北朝鮮は8月24日午前4時前、西部の平安北道東倉里(ピョンアンほくどうトンチャンリ)に位置する「西海(ソヘ)衛星発射場」から軍事偵察衛星「万里鏡(マンリギョン)1号」の打ち上げを強行したが、またしても失敗した。

朝鮮中央通信は2023年5月の発射失敗を写真付きで報じていた
朝鮮中央通信は2023年5月の発射失敗を写真付きで報じていた
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 5月31日の失敗から3カ月足らずで再び打ち上げを強行したのは、21日から始まった米韓合同軍事演習をけん制するとともに、宇宙開発部門での「重大な戦略事業」を成功させて9月9日の「建国」75周年に向けた祝賀ムードの盛り上げるという思惑があった。

 ところが、それが2度続けての失敗となった。屈辱的な結果に、金正恩(キム・ジョンウン)総書記のプライドは傷つき、北朝鮮指導部の受けた衝撃も計り知れない。

「大きな問題はない」と印象づけ

北朝鮮の朝鮮中央通信は、衛星運搬ロケットの1段目と2段目は正常に飛行したが、3段目の飛行中に非常爆発体系に異常が生じ、失敗したと発表した。

衛星打ち上げを管轄する国家宇宙局は「段階別の発動機の信頼性と体系上に大きな問題はない」と説明した上で「事故の原因を徹底究明し、対策を取った後、10月に3回目の発射を断行する」と明らかにした。

2023年5月の発射では「エンジンの推進力を失った」と説明された
2023年5月の発射では「エンジンの推進力を失った」と説明された

5月の打ち上げでは「1段目の分離後にエンジンが推進力を失い」「エンジンや燃料に問題があった」としたものの、原因特定には至らなかった。

今回はロケットの信頼性や体系に大きな問題はないと強調するとともに、10月には3度目の挑戦をすると明言するなど、「失敗の影響は限定的」という印象づけようという意図がうかがえる。

なぜ失敗公表?

北朝鮮は2012年4月と今年5月の打ち上げの時と同様、今回も時間をおかずに失敗を公表した。前回は失敗にもかかわらず、翌日に写真も公開しており、今回も同様の対応を取る可能性がある。

これまで自らにとって不利な事象は隠すことが多かった北朝鮮だが、なぜ衛星打ち上げについては失敗を公にするのだろうか。

北朝鮮の火星17型大陸間弾道ミサイル
北朝鮮の火星17型大陸間弾道ミサイル

人工衛星打ち上げと長距離弾道ミサイル発射には同じ技術が使われる。だが、北朝鮮はこの二つを明確に区別して対応している。

弾道ミサイルは予告なしに発射する一方、衛星打ち上げは事前に国際機関に通告したうえで実施している。北朝鮮は人工衛星打ち上げをあくまでも「宇宙の平和利用」であり、他国と同様、自分たちにも打ち上げる権利があると主張しているためだ。

日本や韓国などが人工衛星を打ち上げても問題視されないのに、北朝鮮に対してはたとえ衛星打ち上げであっても、弾道ミサイル技術を使った発射は国連安保理決議違反とみなされ、国際社会から批判を受ける。

「火星18型」の発射を視察する金正恩総書記 2023年7月
「火星18型」の発射を視察する金正恩総書記 2023年7月

北朝鮮には、それが「ダブルスタンダード」に映るのだ。

失敗を公表するという行為には、弾道ミサイルではなく「衛星打ち上げ」という側面を前面に押し出し、国際社会からの批判をかわそうという狙いが透けてみえる。

金総書記の責任回避に躍起

一方で、北朝鮮は内部に向けては慎重な対応を取っているようだ。

5月末の打ち上げの失敗は、対外向けメディアの朝鮮中央通信では即座に報じたが、内部向けの労働新聞はこれを報じなかった。今回も同様の扱いとなるだろう。

北朝鮮内部では、打ち上げ失敗は、6月半ばの朝鮮労働党の重要会議(中央委員会総会拡大会議)まで伏せられていた。

この会議では、打ち上げ失敗を党の活動における「最も重大な欠点」と総括し、担当者の無責任さが辛辣に批判された。

金正恩総書記は重要会議で司会を務める事が多い
金正恩総書記は重要会議で司会を務める事が多い

当時の報道を見ると、北朝鮮がこの問題にいかに神経を尖らせていたかが良くわかる。

重要会議では、金総書記が司会もしくは指導し、重要事項を報告する形を取るのが通例だ。しかし、この時は司会者は明示されず、報告者に関しても言及はなかった。

金正恩総書記が小さく写っている党中央委員会総会拡大会議 2023年6月
金正恩総書記が小さく写っている党中央委員会総会拡大会議 2023年6月

また、労働新聞に掲載された会議の写真には、金総書記がアップになったものが1枚もなかった。重要会議にも関わらず、金総書記の存在が極力目立たない形で報じられるのも異例だ。

娘とともに国家宇宙開発局を視察 2023年4月
娘とともに国家宇宙開発局を視察 2023年4月

金総書記が今年4月、娘を連れて国家宇宙開発局を視察し、衛星打ち上げの陣頭指揮を執る姿を誇示していた時の大々的な報道とは、違いが際立っている。

北朝鮮の宣伝扇動当局は、打ち上げ失敗が金総書記の権威の失墜につながらないよう、最大限配慮した形で報道したということができる。

台風被害では首相を厳しく叱責

北朝鮮は常に、公式報道機関を活用して、金総書記の権威・イメージの向上を図っている。

その一つの方法に、幹部らに対する「叱責」がある。

食料不足や新型コロナウイルスの流入などの困難に見舞われると、宣伝扇動当局は、住民の不満の矛先が金総書記ではなく、党幹部に向けられるようにする。

その結果、金総書記は自身の責任を回避するだけではなく、逆に「住民に寄り添う立場から幹部を叱責する指導者」というイメージが強調されるようになるのだ。

台風6号の被害を受けた農場を視察する金正恩総書記 2023年8月
台風6号の被害を受けた農場を視察する金正恩総書記 2023年8月

北朝鮮では8月、台風6号が朝鮮半島を縦断したのに伴い地方都市が大きな被害を受け、住民たちが困難にさらされた。この時、矢面に立たされたのが、金徳訓(キム・ドックン)首相だ。

金総書記は8月21日に南浦市にある干拓地で堤防が決壊した現場を視察しながら金徳訓首相や内閣の対応、現場責任者に怒りを爆発させた。

「今回の被害は自然災害ではなく、怠け者たちの無責任性と無規律による人災だ」

「怠け者らが無責任な働きぶりで国家経済事業を全て駄目にしている」

堤防決壊の現場で担当者を叱責
堤防決壊の現場で担当者を叱責

「国の経済司令部を導く首相らしくなく、人民の生活に責任を持った主人らしくない思考と行動に遺憾を禁じ得ない」

金総書記が事実上のナンバー2ともいえる地位にある首相をここまで徹頭徹尾批判したのは、過去にも例がない。

自ら冠水した現場に入る金正恩総書記 2023年8月
自ら冠水した現場に入る金正恩総書記 2023年8月

一方、同じ視察で、金総書記が浸水した田畑に足を踏み入れ、腰まで水に浸かって被害状況を確認したり、雨に濡れながら対策を講じたりする写真が公開された。

人民のために体を張って災害対策に取り組む姿を示し、首相との違いを際立たせた形だ。

この時、金徳訓首相をはじめ現場担当者らの責任を追及する意向も示している。

台風の直撃によって穀物生産に大きな打撃が予想される中、国民の不満を抑えるにはスケープゴートが必要だった。首相をやり玉に挙げたのは、金総書記の危機感がそれだけ大きいことを意味する。

かつてないプレッシャー

では、今回の衛星打ち上げの失敗では、誰の責任が問われるのか。

経済分野の責任者である首相が厳しく批判されたように、軍事部門でも高官が名指しで「叱責」を受けるのか。筆者はその可能性は排除しないが、高いものではないとみる。民生部門とは違い、軍事分野は高い専門性が要求され、更迭が容易ではないからだ。

北朝鮮は今、日米韓の軍事的な動きをリアルタイムで把握する必要性を痛感しており、まずは軍事偵察衛星の打ち上げ成功を最優先にしているという事情もあるためだ。

北朝鮮の軍事偵察衛星をめぐっては、そこに搭載される撮影機やデータ伝送の技術力は軍事的に十分なのかどうか疑問は残る。仮に打ち上げに成功しても、衛星が軍事面からの要望を満たすのはまだ時間がかかりそうだ。

トラクター工場を視察し農業に力を入れているとのアピールも 2023年8月
トラクター工場を視察し農業に力を入れているとのアピールも 2023年8月

北朝鮮は今後も軍事偵察能力の向上を目指して、衛星の打ち上げを継続していくだろう。

2度の失敗で金総書記の権威は一時的に大きく失墜することになったが、成功すれば、一気にそれを上書きできる。

3度目の正直となる10月の打ち上げは果たして、金総書記の威信を取り戻すものになるのか、それとも権威をさらに失墜させるものになるのか。金総書記にはかつてないプレッシャーにさらされることになるだろう。

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。