無我夢中で過ぎた東日本大震災からの12年。津波で妻を亡くした男性は、妻が大好きだったヒマワリと誰でも集える図書館を作り、悲しみしかなかった被災地を笑顔溢れる場所にしようとしている。

みんなが忘れないように

福島県相馬市原町区の八津尾初夫さんは、津波で流された墓石を新たにたて直した。
「うちの女房のね。孫たちとかひ孫とか、忘れないように。女房がいなかったら、これまでの農業できなかったもんな」

八津尾初夫さん 津波で流された墓石を新しく
八津尾初夫さん 津波で流された墓石を新しく
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2011年、東日本大震災の津波で妻・一子さんが犠牲となった。
「ここで海抜6mあるから、なんぼ大きい津波だって、ここに来ないと思っていたから」

東日本大震災の津波で妻・一子さんは犠牲に
東日本大震災の津波で妻・一子さんは犠牲に

妻との最後の会話

激しい揺れを感じ、急いで自宅に戻った八津尾さん。大きな被害もなく、ほっとしたのも束の間…松並木が一瞬で見えなくなった。
「うちの本家のおじいさんが”津波が来る”と。みんなで慌てて車に乗って”ちゃんと付いて来い”って言ったのかな。そんな感じだな」
別の車に乗り込む一子さんにかけたこの言葉が、夫婦の最後の会話になった。

「ちゃんと付いて来い」 最後の会話に
「ちゃんと付いて来い」 最後の会話に

置き去りにして申し訳なかった

震災から2週間後、行方不明となっていた一子さんは、押しつぶされた車の中で発見された。
「辛かっただろう。置き去りにして申し訳なかったなって」
震災の津波で、八津尾さんが暮らす地区では77人が犠牲になった。

八津尾さんが暮らす地区では77人が津波の犠牲に
八津尾さんが暮らす地区では77人が津波の犠牲に

無我夢中で過ぎた12年

農家として40年以上、夫婦二人三脚で歩み続けてきた八津尾さん。南相馬市では原発事故の影響で、一時コメの作付けが制限されたが、試験的な栽培を独自で行い妻のため「無我夢中」で前に進み続けた。

農業を40年以上 原発事故の影響で一時コメの作付けが制限
農業を40年以上 原発事故の影響で一時コメの作付けが制限

「満足だった。自分で試験して、放射性物質がないと調べられて。生育もどうなのかっていうのもわかったので、満足でしたね」
放射性物質はほとんど検出されなかったたが、その年のコメは捨てるしかなかった。

コメは廃棄 それでも「満足だった」
コメは廃棄 それでも「満足だった」

新たな夢 地域の憩いの場を作る

その後は田んぼを譲り、一時は生きがいを見失っていた八津尾さん。2023年、新たな夢を実現した。それは「地域の憩いの場を作ること」 新たに建てた自宅の隣でオープンした「八津尾のうえん図書館」床や本棚などすべてを手作りし、一年をかけて完成させた。

八津尾さんの新たな夢「八津尾のうえん図書館」
八津尾さんの新たな夢「八津尾のうえん図書館」

「コミュニティが震災後あまりないんですよ。だからここに来て、本を見なくてもお茶を飲みながらお話できるような場所と思って」
八津尾さんが集めた農業に関する専門書から、子どもたちも楽しめるように絵本やぬいぐるみも。誰でもいつでも、自由に入り利用することができる。

子どもからお年寄りまで集える場所を
子どもからお年寄りまで集える場所を

これからは喜び楽しさを共有

オープンから約半年。地域の人などから300冊以上の本が贈られ、今は新たな本棚作りに追われている。震災の悲しみを抱えるこの地域だからこそ、これからは喜びや楽しさを共有したいと考えている。
「私そば打ちもやるので、そのうちそば打ち教室でもやって。あとは料理教室。本も大事だけど、コミュニケーションをとってもらって、みんな元気になってくれればいいかなと思って」

震災の悲しみを抱える場所から笑顔になれる場所へ
震災の悲しみを抱える場所から笑顔になれる場所へ

妻が好きだったヒマワリ

妻・一子さんが好きだったヒマワリ。八津尾さんは畑一面にヒマワリを植え、地域の人に開放した。
「(一子さんは)羨ましがっているだろうな、いいな~って。こっち来て一回ヒマワリ見ろって言うわ」

畑一面に妻が好きだったヒマワリを植えた
畑一面に妻が好きだったヒマワリを植えた

ヒマワリの花言葉は「憧れ」そして「あなただけを見つめて」 いつも周りを笑顔にしていた妻のように、この場所を大切に育んでいく。

(福島テレビ)

福島テレビ
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