17年前の2004年8月、沖縄・宜野湾市にある沖縄国際大学の構内に、米軍普天間基地を飛び立った大型ヘリが墜落・炎上した。
幸運にも死者は出なかったが、事故は同基地の危険性を強烈に突き付けた。
大学のすぐ近くで暮らす男性は、複雑な思いを抱き続けている。

松本幸清さん:
とにかく名護市辺野古に移設するかどうかは別にして、早めに撤去していただきたいというのが心情でしょうね

沖縄国際大学の近くに住む松本幸清さん
沖縄国際大学の近くに住む松本幸清さん
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2004年の米軍のヘリ墜落事故から17年 当時現場の様子は…

2004年にヘリが墜落したとき、那覇市の職場にいた松本さん。事故の一報を聞いて、近所に住む兄に電話をかけ、家族の安否を確認した。

家路を急ぐと、そこには…

2004年8月 事故現場から上がる黒煙
2004年8月 事故現場から上がる黒煙

松本幸清さん:
バスを降りて歩いてきたら、「ここは通さない」と黄色いテープやらバリケードが置かれて…この道路は封鎖状態で、大げさに言うと戒厳令だなと

迂回した道には多くの人が集まり、松本さんもそこから初めて、ヘリが炎上して黒焦げになった壁を目の当たりにした。

2004年8月 墜落したヘリの一部
2004年8月 墜落したヘリの一部

松本幸清さん:
えらいことだな、中で事務員の方がたなんかいて、死んだり怪我をしたりしてないかなというのが気になりましたね

墜落現場から松本さんの自宅までは約100メートル。
松本さんは、生まれたときから普天間基地のすぐ側で暮らしてきた。

沖縄戦の最中、住民の土地を強制的に接収して造られた普天間基地。生まれ育った土地を奪われた人たちは、基地の周辺に住まざるを得なかった。
松本さんの家族も例外ではない。

松本幸清さん:
父親も兄たちも、みんな米軍の軍作業、従業員で生業を立てざるを得なくなって、米軍に対して食べさせてもらっている…非常に矛盾するところがありましてね。自分の集落を基地につぶされたという恨み、怒りはあります

米軍基地への思いは複雑だったが、17年前の2004年に暮らしの目の前で起きた事故で、”墜落の危険”という恐怖が加わった。

松本幸清さん:
ヘリコプターの事件とか、そういう新聞記事を読むたびに、次は自分のところじゃないかなという不安で

2004年8月 墜落事故付近
2004年8月 墜落事故付近

2021年8月  普天間基地では夜間の飛行訓練が増加

日米の騒音防止協定が守られず、騒音は激しさを増していて、宜野湾市には「眠れない」などといった苦情が相次いでいる。

松本幸清さん:
これがまた2度目の沖国大墜落、3度目の沖国大墜落にもまたいつかつながるのではないかと、市役所に抗議する人は多分氷山の一角で…大半の人が我慢して耐えていて。あるいは怒りを募らせていると思いますね

普天間基地の移設問題…しかし移設先には問題が

2014年に政府が約束した、普天間基地の5年以内の運用停止は反故にされた。政府は辺野古への移設が唯一の解決策と繰り返すが、埋め立て予定地には軟弱地盤が見つかり、設計変更を余儀なくされた。

名護市辺野古の埋立予定地
名護市辺野古の埋立予定地

国が県に申請した設計変更が仮に承認されたとしても、軟弱地盤の改良工事で工期は当初の8年から12年まで延長される。
その間、普天間基地の危険性は放置され続けるか。

松本清幸さん:
辺野古の人たちに危険を移していいかと言われると、それはちょっと「はい」とはすぐには言えないが、じゃあこの普天間飛行場はどうするんですか。
沖縄県民からどうぞとあげた飛行場の土地というのはないんですよ。そういう意味からも、辺野古はどうなのかなと。宜野湾市民は複雑だと…早く辺野古とは切り離して、普天間飛行場を早めに返還してもらいたいというのが正直な感想ですね

2016年12月 名護市沖合に不時着して大破したオスプレイの1部
2016年12月 名護市沖合に不時着して大破したオスプレイの1部

基地と隣り合わせで暮らさざるを得ない市民に”恐怖“を与えた、沖縄国際大学の墜落事故。
人命が奪われる取り返しのつかない事故が起きてしまう前に、危険性を取り除いて欲しいという市民の願いは募るばかりだ。

(沖縄テレビ)

沖縄テレビ
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