“平成の三四郎”と呼ばれた柔道の古賀稔彦さんが3月24日朝、自宅で亡くなったことがわかった。

がんの手術を受け療養していた…

2019年・古賀稔彦さん:
違うのは気持ちなんですね、気持ち。
どんなに厳しかろうが、どんなに先輩に投げられようが、やっぱり「クソ」と思って「なにクソ」と思って、立ち上がって頑張っていく

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1992年バルセロナオリンピック・古賀稔彦さん:
ちょっと判定では負けたような気がしましたけど、よかったです

平成の三四郎と呼ばれた、1992年バルセロナオリンピック柔道男子71キロの金メダリスト・古賀稔彦さんが、3月24日朝 川崎市内の自宅で亡くなった。53歳だった。

関係者によると、2020年夏ごろにがんの手術を受け療養。
古賀さんに会った関係者は、とても痩せていたことに驚いたという。

「まだ信じられない気持ちでいっぱいです」

古賀さんの訃報に、柔道界からは悲しみの声が上がっている。

野村忠宏さん:
まさかこの早いタイミングで悲しい結果を聞くっていうのは、正直ショックでしたね

そして、古賀さんと同じバルセロナオリンピックの金メダリスト吉田秀彦さんは…

吉田秀彦さんのコメント:
古賀先輩の訃報を聞き、今はただ驚きと、まだ信じられない気持ちでいっぱいです

1992年のバルセロナオリンピックでは本番直前、古賀さんは吉田さんとの乱取り中に左膝の靭帯を損傷。

それだけのアクシデントを乗り越えて、金メダルを獲得したことに吉田さんは心が震えたという。

吉田秀彦さんのコメント:
ケガで柔道ができる状態ではなかった古賀先輩が優勝した瞬間、私が金メダルを取ったとき以上の喜びを感じました

佐賀・みやき町に住む古賀さんの母・愛子さんが、FNNの取材に心境を明かした。

古賀さんの母・古賀愛子さん:
びっくりしかないです。けさ電話があって亡くなったと。
元気に戻るかなという気持ちが多かったけど、仕方ない

(「イット!」3月24日放送より)