蔵王の樹氷「昭和初期まで無名」・絵ハガキなどで徐々に知名度アップ 山形大

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今や山形の冬の代名詞となっている「蔵王の樹氷」だが、昭和初期まではあまり知名度は無かった。どのようにその名が全国に広まったのかが、山形大学の研究で明らかになった。

「蔵王の樹氷」の知名度が高まっていく過程に迫ったのは、樹氷研究の第一人者の山形大学理学部の柳澤文孝教授。昭和5年に発行された「酢川高湯温泉」の案内図が研究の糸口となった。「蔵王の樹氷」はその16年前の大正3年に発見されていたが、案内図のメーンはスキー場などの鳥瞰図で、樹氷は裏面に写真が掲載されただけ。さほどアピールされていなかった。

柳澤教授によると、スキーや冬山登山が流行していた当時は、全国で樹氷が見つかり、「蔵王の樹氷」の認知度は決して高くはなかった。

(山形大学理学部・柳澤文孝教授)

「発見の頃から全国的に有名で唯一の物と思っている人も多いかもしれないが、実際には一番遅い後発組だった」

全国に広まるきっかけとなったのは、当時の鉄道省が発行した「絵はがき」や昭和8年に日本山岳会が東京で開いた山岳写真の展覧会。その後、山小屋の建設などインフラが整備されたことで、蔵王でスキー大会や映画撮影が行なわれ、知名度の遅れを挽回していったと分析している。

今回の研究成果は9月に山形県で開かれる「雪氷研究大会」で発表される。