不来方高校音楽部 鎮魂の歌声「にいちゃんのランドセル」 阪神・淡路大震災から25年【岩手・矢巾町】

兵庫と岩手、2つの被災地を結ぶ歌がある。

25年前の震災でわが子を亡くした父親と交流してきた不来方高校音楽部の生徒たちが、17日兵庫に向けて歌声を届けた。

震災から25年目の17日、不来方高校音楽部は、心を込めて特別な曲を歌った。

題名は、「にいちゃんのランドセル」。

歌詞は、阪神・淡路大震災で被災したある家族の話をもとにしている。

不来方高校音楽部の生徒は「高校に入ってからたくさんの曲を練習してきたのですが、その中でも特別な歌で、特に大切な歌だなというふうに…」と話す。

兵庫県芦屋市の小学校で震災の記憶を伝え続けている米津勝之(かつし)さん(59歳)。

米津さんが手にしているランドセルは、25年前に震災で亡くなった長男の漢之(くにゆき)君(当時7歳)が背負っていたもの。

震災で米津さん一家が暮らしていたアパートが倒壊し、漢之くんは、妹の深理(みり)ちゃん(当時5歳)とともに命を落とした。

がれきの中から見つけ出したお兄ちゃんのランドセル。

米津さん「これ漢之の、1月16日にランドセルに入っていた筆箱」

日々の出来事を記した「あのね帳」には震災前日のことがつづられていた。

【米津漢之君の「あのね帳」】

「一月十六日。せんせいあのね、きょう夕方僕とお母さんといもうとであさってまでのごはんをつくりました。ぼくがカレーをつくりました。いそがしくてたいへんだったけど、たのしかったです。あした、たべるのがたのしみです」

漢之くんが楽しみにしていた「あした」は、訪れなかった。

悲しみに暮れた米津さん。

しかし、「泣き続けていても子どもたちが喜ぶはずがない」と2人の命を語り継ぐことを決意する。

【1996年1月 芦屋市追悼式】

米津さん「私は漢之と深理の命を受け継がなければならない。短い人生だったけれど、2人の命の分までも私が生きてやらねばならない」

震災の後、米津さんは新たな命を授かった。

次女の英(はな)さん。そして次男の凛(りん)君。

(2009年1月)小学生になった凛君(当時6歳)が背負っているのは、亡くなったおにいちゃん漢之君が使っていたランドセル。

凛君は、6年前の追悼式で遺族代表としてお兄ちゃんお姉ちゃんへの思いを語った。

米津凛君(当時11歳)「入学した4月から兄のランドセルで登校しました。友達に汚いな、ぼろいな、と言われても、このランドセルには僕の祖父や父や兄の思いが詰まった温かみがあるので、ぼろくてもいいと言いました。兄と姉は心の中で永遠に生き続けて見守ってくれています。」

亡くなった息子と娘の命を受け継ぎたいという米津さんの思いは、本になり「にいちゃんのランドセル」という歌も生まれた。

その後、不来方高校音楽部の東京公演を聴いた米津さんは「にいちゃんのランドセル」をぜひ歌ってほしいと申し出た。

米津さん「(東京公演を聴きにいったとき)“あ、何か違うな”と思ったんですね。色んな合唱をこれまで聞いてきて、”なんかこの子たち、すごく違うな”というのを感じて」

不来方高校音楽部 村松玲子教諭「こちらは(東日本)の震災が8年たって、日常の中ではそれ(東日本大震災)は、なかなかもう話題に上らないような時期になっていたんですね。ずっと同じ強い気持ちで語り継いでいる方がいるということが、やっぱり衝撃だったんですね」

(2019年12月24日 岩手・盛岡市)

練習を重ねた不来方高校音楽部。

米津さんの前で「にいちゃんのランドセル」を歌った。

♪『にいちゃんのランドセル』…不来方高校音楽部合唱

震災から25年を迎えた今日(17日)、芦屋市では、米津さんが追悼の挨拶を述べた。

米津さん「私の前に2年半前、北から彗星のように現れた岩手県立不来方高等学校音楽部のみんな。音楽部との出会いが初めての東北行き、初めての高校生との対話につながりました。年齢や時間や場所を超えてつながれるのです。」

そして不来方高校音楽部は、今日も米津さんと電話をつないであの曲を届けた。

♪『にいちゃんのランドセル』…不来方高校音楽部合唱

不来方高校合唱部の生徒は

「自分にも小さい弟がいるので、兄弟の絆を強く感じながら歌った」

「少しでも米津さんの思いに寄り添えるように歌った」

「歌はすごい人の力になると感じた。これからもどんな人にあっても、歌を通して笑顔・明るい気持ち、思いやりを持って生活していけたらいいと思う」

と話した。