東名開通50年 「できない」と言われた工事やり遂げた男たち 静岡県

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26日に行われた、東名高速道路の全線開通50周年を記念したイベント。

東名の歴史や効果を紹介するパネルや、働く車が展示されたほか、サービスエリアでは記念の商品も販売されていました。

レスリング女子五輪3連覇 吉田沙保里さん

「父の運転で母が助手席に乗ってその頃ナビがなかったので、母は地図を見ていろいろやっていた覚えがある。休憩にはSAに入って家族でご飯を食べるというのがすごく思い出に残っています」

イベントが行われた足柄サービスエリアは、50年前開通式が行われた場所でもありました。

1969年5月26日、神奈川県の大井松田インターと御殿場インターの間が開通し、東名高速道路の歩みが始まりました。

東京と愛知県小牧市を結ぶ総延長347キロ。

それまで約10時間かかっていたところが、半分の5時間に短縮されました。

今では、1日約41万台が利用するまさに日本の大動脈で、50年間の経済効果は60兆円にものぼります。

NEXCO中日本・伊原泰之さん

「日本のモノづくりを支えている道路でございまして、多くの物流事業者のみなさまはじめ、多くのみなさまにご利用いただいております」

特に貨物輸送における効果は大きく、近年取扱量が増加しているインターネット通販を始め便利な世の中を下支えしています。

仲田悠介記者

「長泉町南一色を走る東名高速道路は、約20メートルの高さの土が盛られて作られています。その工事は、最も難しい工事の一つだったということです」

1962年に着工し、7年で全線が開通した東名。

総工費約3400億円の大工事でした。

元日本道路公団 三嶋信雄さん

「大変だった。土質試験器具がなかった、日本は貧乏で。今だったら機械が自動で試験やるんですけど、当時は人間の力でやるんですよね、実験を。我々若い人は試験機の代わりに入社したもんですね」

三嶋信雄さん75歳。1964年、19歳の時に日本道路公団の社員として長泉町で行われた試験盛土工事に携わりました。

三嶋さん

「(先に開通した)名神高速道路では、使っちゃいかんと言われる土を、あえて使わざるを得なかった。だから燃え上がった。若いから、使えるようにしようとそういう勢いで来て」

富士山や箱根山が近い県東部は、「関東ローム」と呼ばれる水分を多く含んだ火山灰のやわらかい土が多く、東名を作る前提となる盛土をした時に地面が沈んでしまわないか、試す必要がありました。

三嶋さん

「計算上は使えないことになるんです。高い盛土はできないと。せいぜい4.5メートルくらいでしょう。20メートル盛るにはどうすればいいかということですね。『じゃあ、実際に土に聞け』というんです。『土がしゃべるんですか?』と言うと怒られたけどね。実際に盛ればいいんです。そうすれば答えが出るでしょう、というのが日本道路公団の脈々と続く技術」

150日かけて、20メートルの高さの盛土をしてみたところ、土に含まれる水を排出する地層を盛り込めば、安全性が確保できることがわかりました。

「できない」と思われていたことが実現。

その後全国各地にできる、高速道路の建設にも大きく役立ちました。

三嶋さん

「あっという間の50年だったということと、名神に続いてこの工事やったんですけど、この時に道路土工屋の技術のほぼ8割とか9割を確立した時代ですね」

県内には、2012年に新東名も開通。

東名で慢性的に発生していた渋滞も大幅に減少しました。

新東名は災害時の迂回路や、自動運転技術の活用でも役割が期待されます。

NEXCO中日本・伊原泰之さん

「東名と新東名高速道路のダブルネットワークが形成されて、より安定的な物流・観光・地域の皆様のお役に立てるようにしていきたいと思っています」

多くの人の苦労を糧に、半世紀もの長い間、日本の発展を支えてきた東名。

新東名とともに、今後も静岡・そして日本の経済と観光を支え続けます。