「これからが楽しみと思っていた」森昌子さん突然の引退宣言に“恩人” 加藤登紀子さんが語る

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  • 歌手の森昌子さんが年内での引退を発表…その理由を明かし名曲の数々を振り返った
  • 「2度目の引退です。3度目はありません」会見を見ていた加藤さんは何を思った?
  • 森さんが加藤さんにプロデュースを依頼した45周年アルバム。作成の裏側を語る

28日、年内での引退を発表した歌手の森昌子さん(60)が東京都内で記者会見に臨んだ。

デビューから47年。なぜ歌手人生に幕を下ろすのか?
森さんは記者の質問に丁寧に答えた。

「これからの自分の人生を大いに楽しんでいきたい」

ーー引退の理由は?

昨年の10月に還暦を迎えました。その時に、私も60歳になるんだって、ふと本当に初めてなんですけど、考えてしまうようになりました。
これからの自分の残された人生はあとどれくらいあるのかなと何故か真剣に考えるようになってしまったんです。
わたくしは幼少期から今まで本当に自分の時間を使った時が少なくて、悲しいことに思い出もそんなに多くありません。
ですから、芸能活動以外に時間をかけて、これからの自分の人生を大いに楽しんでいけるよう、大変勝手でワガママとは分かっているんですが、そのように決断をいたしました。

 
――引退発表のタイミングはどう決めた?

本来でしたら後援会の方々、6月ごろにファンの皆様にご報告してから終わろうかと考えておりましたが、日々お仕事をしていく中で、雑誌・新聞の仕事ですとかそういう時に記者の方から「これからの目標は」とか、「50周年に向けて何かやることは考えてらっしゃるんですか」と尋ねられるたびに口ごもってしまい、なかなか本当のことが言い出せなかったんです。
その苦しさもあり、もうこのままでは無理だなと自分で判断をいたしまして、引退ということにさせていただきました。


――ご家族にはどのように報告を?

母と食事をしたときに、「母さん、私ね今年でもう歌手やめるから」という報告をしました。母はなんでもお見通しなので「昌子、よく14年間頑張ってくれたね、ありがとね」と言ってくれました。
そして、子供たちにも今はちょっとお互いに忙しいので、1年に会えるか会えないかという状態の中で、メールで言いました。そうしましたら母と同じように「母さん、お疲れさまでした」と返信が戻ってまいりました。


――数ある名曲の中で、一番好きな曲は?

私にとって歌というのは子供と同様、とても愛しいものであり、一つ一つがやはり心を込めて歌っていたものですから、どれか一曲と言われてもなかなか難しいですが、やはり森昌子という歌手を作ってくれたのがデビュー曲の「せんせい」です。
あとはそうですね、絞るのは難しいですが…でもちょっと歌に悩んでいた時に、方向性としてこれから自分がどういう歌を歌っていったらと思った時に歌った歌が「哀しみ本線日本海」という歌で…それでちょっと自分も大人の歌が歌えるようになったかなと思いました。
そのあとは円広志さんに作っていただいた「越冬つばめ」で。森昌子のキャラクターではない、逆の女性を演じることができたという意味では、大変自分の心の中に残っております。
 

「直撃LIVEグッディ!」では、森さんに楽曲を提供したこともある歌手の加藤登紀子さんをゲストに迎え、森さんへの思いを語っていただいた。

「人生のつらい局面で加藤さんの歌に救われた」と依頼した45周年アルバム

安藤優子:
加藤さんは数年前にプロデュースされたということですが、今回の引退発表というのは?

加藤登紀子さん:
もうすごくビックリです。森さんは何回も私のコンサートにいらしてくださって、「登紀子さんみたいに楽しそうに、これからずっと歌っていきたいから、何か一緒にやりたいです」と言ってくださって。
歌手というのは誰かのために身を捧げて歌うのではなく、自分の体の中から自分の人生を表現する、そういう感じの曲をぜひ森さんには歌ってほしいと思って、曲を書いたりレコーディングにもすべて立ち合いました。
森さんはこれからがスタートだと思っていたので、ちょっと残念です。

安藤:
歌声が全く聞けなくなってしまうのは、私どもも本当に残念に思います。森さんの会見はどのようにご覧になりましたか?

加藤さん:
会見を聞きながら、私が60の時はどうしていたんだっけと思っていました。私は61の時に40周年を迎えて、人生をもう1回奮起する感じがありましたね。
夫が58で他界したとき、ラブソングやオリジナルを歌うのがつらくなっていたんですけど、ちょうど60になった頃、エディット・ピアフの「愛の賛歌」という歌が、飛行機事故で亡くなった恋人を思いながら歌ったものだとふと思い出して、今私はこれを歌わなくちゃだめなんだと思って…家に帰っても子供も巣立っていて1人だったから、歌手として全身をかけて歌っていく、それが始まったなというのが私の60でした。
60前になると声が変わるので、私は50くらいからボイストレーニングを始めましたね。

立本:
森さんは、子宮がんや離婚など人生のつらい局面で、加藤さんの歌に救われたということでプロデュースを依頼されましたが、そこで加藤さんに歌唱法も教わっていたそうですね。

立本:
部屋にはマネージャーも立ち入り禁止、歌い方を変えるために発声練習を行い、3カ月の猛特訓をされたそうですが、その時のお話を伺っても?

加藤さん:
私が50から始めたボイストレーニングの先生は、「(森さんは)本当に気持ちよく声を出す人だね」と話してました。
60となると自分で自分の声を作っていかなければならないから、これから楽しみだなって思っていたんです。

安藤:
50になると声の出方が変わってくるというのは、初めて知りました。

加藤さん:
よく「声がいつまでも変わりませんね」って言われるんですけど、若いうちは何も考えなくても声が出ていたんですよ。だけどある程度の年齢になると、思ったより出ないときもあるし、キーも変わってきます。
だけど(ボイストレーニングのおかげで)声というのが分かってきたので、今はちゃんと「こういう風にすればこういう声が出る」というのが面白いくらい分かります。

安藤:
会見中、森さんが「2度目の引退です、3度目はありません」とおっしゃったときに、加藤さんがボソっと「何度やってもいいから戻ってらっしゃい」とおっしゃっていて。それは加藤さんの偽らざるお気持ちだと思いました。
私も、1日でも長く森さんの歌声を聞いていたいと思うファンとしての気持ちと、今回の森さんの決断をできるだけ尊重していきたいなという気持ち、でもやっぱり寂しいと思ってしまう…きわめて複雑な思いです。

(「直撃LIVE!グッディ」3月28日放送分より)

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