「風化の意味がわからない」 家族を奪われた遺族が語る地下鉄サリン事件からの24年

カテゴリ:国内

  • 3月20日で地下鉄サリン事件から24年
  • 遺族、弁護団、後継団体施設の周辺住民や元警察官ら200人が参加
  • 死刑執行をひとつの区切りに変わっているものもある

初春の柔らかな日差しが降り注ぐ、朝の霞が関を地獄絵図に変えた地下鉄サリン事件から今年で24年。折しも、2018年7月に教祖の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚ら13人の教団幹部の死刑が執行された中、あるきっかけでご縁をいただいた被害者の1人に「地下鉄サリン事件の集いに参加してみたらいかがですか」との誘いを受け、会場に足を運んだ。

遺族や被害者、弁護団はもちろん、後継団体に不安を覚える周辺住民の方や、事件を知りたいと思って参加した学生、同時期に発生した国松警察庁長官狙撃事件の捜査にあたった元警察官など、200人近くの出席者で会場は埋め尽くされた。

「父は帰らない。であれば命で償ってもらうしかない」

冒頭、一連の事件を詳細に振り返った被害者弁護団の中村裕二弁護士は、警察の初動ミスと連携の不手際、宗教法人という壁、メディアの対応等々、反省点と課題を的確に指摘し、参加者同士の討論会では、テーブルごとにそれぞれの立場から、率直な意見が交わされた。

そして終盤に行われた、サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんと、教団に拉致された父が帰らぬ人となった仮谷実さんの対談。教団幹部の死刑執行を受けた思いについて2人の凛とした声が会場に響いた。

高橋シズヱさん「風化の意味がわからない。事件は昨日のことのように覚えている。現在進行形が続いている」

仮谷実さん「父は生き返らない。であれば命で償ってもらうしかない」

おそらく何度もメディアに聞かれたであろう自身の思いを2人ともはっきりと、躊躇なく語った。言葉としての「忘れない、風化させない」という意味をはるかに凌駕する、強くて確固たる意思を感じさせるものだった。

サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん

前夜電話で話した夫が翌朝、突然物言わぬ人となって帰ってくる現実(高橋さんの手記より)、拉致された肉親が骨まで焼かれ、この世にいた証すらなくなってしまう現実を想像する時、文字通り言葉が見つからない。正確に言えば、想像すらできない。

法律的にはひとつの区切りとなる死刑執行だが、仮谷さんはこうも言った。

「死刑は刑法上の罰、社会への償いだが、被害者の立場から言えば、被害者への償いは何かに関心がある」

死刑執行をひとつの区切りに変わったもの

では、7月の死刑執行の意味は何だったのか。少なくとも遺族や被害者にとって意味はあったのか。被害者弁護団の伊藤芳朗弁護士に聞いた。

「目に見える変化や我々の今後の活動に変化はないかもしれません。でも死刑執行をひとつの区切りにして、少しずつでも変わっているものはありますよ

伊藤弁護士によると、それは高橋さんが語り始めた加害者側への言葉だという。高橋さんは集会で、以下のように述べている。

「被告(死刑囚)の親は何をしているのかを聞いた時、彼らも被害者だと思った。信者も麻原に操られた犠牲者なんだと思った」

仮谷実さんはこう語った。

「心の傷に風化はない。ただ、償い方はある。命の大切さをわかって償ってくれるなら少しは癒される」

教団に父が拉致され殺害された仮谷実さん

「多くの人はそっとしておいてほしい」

もちろん、遺族や被害者の思いはひとつではない。事件を語り継ぐこと、胸の内を明かすことに意義を見出す人もいれば、「早く忘れたい」「なかったことにしたい」という人もいる。教団や死刑囚、信者に対する気持ちも一様に語れるものではないだろう。伊藤弁護士によると「多くの人々はそっとしておいてほしい」という。

高橋さんは遺族会の代表世話人になった際「一人の遺族として発言できないのが悩みだった」と明かしている。遺族会の代表としての立場と、一個人としての思いの間で時に悩み、葛藤を続けてきたに違いない。

中村弁護士に聞くと、こんな答えが返ってきた。

「肉親や近しい人を亡くした悲しみが人ぞれぞれなのと同じです。表向きは明るくても心の中でひきずっている人もいれば、悲しんでいるように見えて実はしっかりしている人もいる。つまり心の問題だから難しいんです

麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚

その中村弁護士は一連の事件を説明した後「事件をどう受け止めたのか、皆さんに考えてほしい」と呼びかけた。固定観念にとらわれることなく過去を振り返り、また反省し、遺族や被害者、関係者の「今」に謙虚に耳を傾け、理解を深めることが大切だということだろう。

サリン事件が発生した時には生まれていなかった学生が目に涙を浮かべつつ、参加者の話を必死になってメモしていたのが印象的だった。
 

実はこの集会に参加した夜、海外での取材中に事故で亡くなった、同業の後輩の奥様と偶然お会いし、話をする機会に恵まれた。亡くなった時以来、8年ぶりの再会となった場で、旧友を交えて明るく思い出を語る彼女の様子と彼の生き写しのようなご子息の写真に、何とも言えない複雑な思いが胸にこみあげた。

こうして人と繋がっていられる「ご縁」に思いを馳せるとともに、生きること、生かされていることの意味を深く噛み締めた一日であった。

(フジテレビ政治部デスク 山崎文博)