内田裕也さんと40年来の友人 崔洋一監督が語る“ロックンロールな人生”そして妻、樹木希林…

カテゴリ:国内

  • 17日、内田裕也さんが肺炎のため亡くなった 
  • 内田さんと40年来の親交がある崔洋一監督が「直撃LIVEグッディ!」に生出演 
  • 内田さんにとって、妻・樹木希林さんとはどういう存在だったのか?

貫いた“ロックンロール”な人生を振り返る

妻の樹木希林さん(75)が旅立ってからおよそ半年の3月17日、内田裕也さんが亡くなった。79歳だった。

年越しイベント「ニューイヤー・ワールドロック・フェスティバル」では、希林さんが最も愛した歌『朝日があたる家』を、伸びやかな歌声で披露した内田さん。
2016年11月に尾てい骨を骨折してから車いす生活を余儀なくされていたが、この日内田さんはスタッフに支えられ、立ち上がり熱唱した。

決して弱々しい姿は見せず、最後まで「ロックンロール魂」を貫いた内田さん。
「直撃LIVEグッディ!」では、内田さんと40年来の親交がある映画監督・崔洋一さんをお招きし、晩年の生き様や妻・希林さんへの思いを教えていただいた。

大村正樹フィールドキャスター:
崔監督と内田裕也さんのご関係は40年以上になるそうで、崔監督が助監督をしていた映画の出演交渉がきっかけで内田裕也さんに出会ったそうです。その後、内田さんと共同脚本という形で映画「十階のモスキート」が作られ、内田さん主演、崔監督は初めての監督作品となったそうですね。

安藤優子:
なぜ内田さんを主演に選ばれたんでしょうか?

崔洋一監督:
逆なんですよね。裕也さんっていうのは独特の嗅覚といいますか、無名な若者たちが好きで…私は名実ともに無名な若者の1人でしたから、何を思ったかピックアップしようとしてくれたんだと思います。

安藤:
崔監督は裕也さんの晩年、いつごろから体調を崩されていたかご存知でしたか?

崔監督:
関係者の方と時々連絡を取り合っていまして、状況をお聞きしていましたので、山あり谷ありということは聞いていました。入退院というのは「ザ・ノンフィクション」の撮影中にもあったことでございますので、そのこと自体に危機感は持ってなかったんです。

安藤:
退院されると思っていたんですね。

崔監督:
希林さんが亡くなられてから、京都国際映画祭で「ザ・ノンフィクション」を一本化して映画として上映させていただいたんですけど、そのときも祇園の鯖寿司で有名なお店で献杯をして楽しく一時を過ごして。
裕也さんは独特の、ある意味で人たらしといいますか、人との接し方に天才的な部分がありまして。世の中は強面の裕也さんを想像していると思いますけど、決してそれだけではない人なんです。

安藤:
裕也さんが愛されていた部分は、私たちにも伝わっていたと思いますよ。

崔監督:
裕也さんは、「全身表現者」という言い方がいいと思うんです。ミュージシャンでありながらも、映画の企画も出演ももちろん、脚本もお書きになるという。だからすべて、細かく言えば、一人の人間の中でいろんなことがぶつかり合って、矛盾だらけの方なんだけど、その矛盾も含めて内田裕也という一個の人間というか…一個の作品と言いますか、その存在することに意味があった。そういうアーティストだと思います。


伊藤洋一(エコノミスト):
希林さんの言う“透明感”と“魂の美しさ”。裕也さんはそれを貫いていて、彼女はそれをずっとわかっていて、“何があっても私はこの人と別れない”と決意していたんじゃないかなと僕は思っていたんですが…

崔監督:
保護者的な部分が希林さんの中に強くあったんじゃないかと。やんちゃな子供を持った感覚が強かったんだと思います。

安藤:
希林さんが亡くなったというのは、想像以上の喪失…ロスだったんしょうか?

崔監督:
そうですね。遠くに離れてるが故に存在としては大きかったと思うんですよね。ただ希林さんもおっしゃってるんだけど、底抜けに明るく笑いあえる2人なんだけど、きりがないくらい憎しみを持つという。それって言いえて妙で、僕は夫婦というより一対の男女として考えるとわかりやすい。バディというか相棒というか、一対の男と女なんだと僕なんかは思いますね。

三田友梨佳アナウンサー:
内田さんの言葉で言う“ロックンロールな人生”を全うできたのも、空間的な意味合いよりも精神的な意味合いでずっとそばに寄り添っていたのが樹木希林さんで、樹木希林さんの存在があったからこそ“ロックンロールな人生”というものが成り立っていたんだろうなって感じました。

安藤:
そうですね。どこかで根っこの束を持っていてくれたのが樹木希林さんなんじゃないのかなって思います。

大村:
希林さんには多大に感謝していましたよね。ただ樹木さんも内田さんがいるから頑張れたという部分があったんじゃないかと思います。

・1989年、音楽事務所を襲撃。裕也さんは「外国人ロック歌手ばかり使い、日本人を使わないので抗議しようと思った」と話していた。

・1991年、東京都知事選立候補。結果は5位、約5万票あまり獲得した。

・2011年、東日本大震災の被災地を支援。


崔監督:
旧友であるジョンレノンとオノヨーコさんの影響は大きかったんだと思います。いちミュージシャンであっても社会にコミットしなければいけないという、そういう強い意志をお持ちでしたね。

大村:
変な話ですが、ミュージシャンとしてのヒット曲の数々より、人とのコネクションとか、若いころの沢田研二さんにいち早く目をつけて、声をかけたというお話もありますよね。

安藤:
プロデューサー的な感覚がわりと強かったんでしょうか。

崔監督:
おっしゃる通りです。コーディネートとプロデュースの能力が非常に高い方だと思います。したがって無名の僕もピックアップされたんだと思います。

大村:
内田さん最後の舞台となったのが「ニューイヤーワールドロックフェスティバル」でした。

樹木さんが「人生の最後に…」と語った曲を熱唱した最後の舞台

<ニューイヤーワールドロックフェスティバル 2018.12.31~2019.1.1>

・46回目となるカウントダウンイベント。東京・ロンドン・台北・ソウルの4都市で開催

・内田さんは車いすで登場したが、途中立ち上がって熱唱した。

 

崔監督:
お客さんの熱気、お客さんがユニゾンで入ってくれたりしたんで、本当にいいライブだったんです。その熱気を受け止めて裕也さんが立ち上がったように思います。

安藤:
見ててくれるお客さんの盛り上がりってそのままアーティストに伝わりますもんね。

崔監督:
最後のステージになりましたけど、本当にロックしてるステージだなって思います。

大村:
立ち上がって歌われた『朝日のあたる家』という曲は、樹木さんが生前「人生の最後に聞いて逝きたい」と公言されていた曲。思いのこもった歌だったんですね。

 
内田裕也さんの安らかなご永眠をお祈りいたします。


(「直撃LIVE グッディ!」3月18日放送分より)

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