平成の間に懐かしの「駄菓子」が消えた...このままなくなってしまう? “駄菓子屋ハンター”に聞いた

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  • 平成に入り、駄菓子屋は減少傾向が顕著
  • 原材料の高騰や製造者の高齢化が要因に
  • “駄菓子屋ハンター”「遊びの多様化で顧客が消失した」

「子どもの頃の思い出の味は何ですか?」と聞かれたら、皆さんはなんと答えるだろう。
家庭での手料理、祝い事のごちそうなどさまざまだが、「駄菓子」を思い浮かべた人も多いのではないだろうか。

ひとたび駄菓子屋に入れば、趣向を凝らした駄菓子がよりどりみどり。小銭を握りしめ「これなら買える!」と経済感覚を磨いた人もいるはずだ。
そんなノスタルジックな光景が、街角から消えつつあることをご存じだろうか。

経済産業省の「商業統計」を基に作成

経済産業省によると、駄菓子屋などが該当する「菓子小売業(製造小売を除く)」は事業所数・従業者数は、ここ数十年で大きく数を減らしている。
平成に入ると減少傾向は顕著になり、1991年の6万9,048事業所、15万4,315人に対し、2016年は1万5,746事業所、7万4,304人と半数以下になった。駄菓子と駄菓子屋を巡る状況は、なぜこうも様変わりしたのだろうか。
新元号「令和」が発表され、平成もいよいよ終わりが近づいているが、まずは平成の間に生産終了した商品をいくつか振り返りたい。

「チューペット」「カルミン」「エルコーン」...姿を消した駄菓子たち

持ち手部分に残った液体をおいしく感じた人もいるはず(画像はイメージ)

ソーセージ状の容器に色とりどりのジュースが入ったお菓子と言えば「チューペット」。「チューチュー」「ポッキンアイス」の別名でも知られる。
商品分類では「清涼飲料」に該当するが、凍らせてもおいしく、夏の定番として冷蔵庫に常備していた家庭もあるのではないだろうか。
多くの人に親しまれた商品だったが、2009年、製造元の前田産業は生産設備の不具合をきっかけに販売終了した。

特徴的なパッケージは発売当初からほぼ変わらなかった「カルミン」(提供:明治)

1921年の発売以降、90年以上にわたり愛された、明治のミントタブレット「カルミン」も2015年に販売終了している。
商品名は原材料の「カルシウム」と「ミント」から来ており、適度な甘みと“スースー”とした清涼感が人気を集めた。
一時期はイチゴ味なども販売された人気商品だったが、販売不振により、その歴史に幕を下ろした。

さわやかな風味が魅力だった「エルコーン」(提供:フタバ食品)

直近では、フタバ食品の氷菓「エルコーン」が原材料や人件費の高騰により、2019年1月に生産終了、3月末で商品の出荷を終えている。
メロン・バニラシャーベットのさわやかな風味とコーンのサクサク感から、「チリンチリンアイス」のような懐かしさを感じた方も多いはずだ。
担当者は「1980年の発売より39年の長い間ご愛顧いただきましたが、我々としても本当に残念な思いです」と話す。

時代に合わせて変化する駄菓子も

これらのように表舞台から姿を消す駄菓子がある一方で、時代に合わせて変化を遂げる駄菓子もある。

禁煙志向の変化を象徴する「ココアシガレット」と「マイコス」(提供:オリオン)

タバコ型の砂糖菓子「ココアシガレット」で有名なオリオンは、シリーズの新商品として2018年に「マイコス(myCOS)」を発売した。
商品名は電子タバコが由来で、フレーバーはメンソールさながらの「脳天直撃ミント味」。外箱には「あなたの禁煙を応援します」と書かれている。

この“禁煙応援宣言”は2011年に始まった試みで、「喫煙を煽る商品」との風評を覆そうと、ココアシガレットの外箱にも記載しているという。
同社の担当者は「昔はタバコを吸う姿に憧れた時代もあったが、現在はタバコの肩身も狭くなった。マイコスも禁煙を応援しようと開発した」と語る。
昭和から平成、現在に至る禁煙志向の変化が、色濃く反映された駄菓子と言えるだろう。

「さくらんぼ餅」(左)と「たべプリ」(提供:共親製菓)

駄菓子の定番「さくらんぼ餅」で有名な餅飴には、パッケージがスマートフォン仕様の商品も登場した。
この商品は共親製菓が2013年から販売する「たべプリ」。餅のマス目に合わせて、「マップ」「カメラ」といったアプリが描かれている。

同社によると、スマホ仕様のパッケージを思いついたのは、2013年当時の機種「iPhone5s」とさくらんぼ餅の容器サイズがほぼ同じだったため。
「昔食べていた方が、再び食べるきっかけになれば」(担当者)との狙い通り、ネットなどで注目を集め、売り上げも伸びたという。

時代の流れとともに、多くの人々の思い出となってきた駄菓子。このまま過去の遺物として、埋没してしまうのだろうか?
全国350軒以上の駄菓子屋を巡った“駄菓子屋ハンター”としてメディアでも取り上げられる、土橋真さんにお話を伺った。

遊びの多様化で顧客が消失した

“駄菓子屋ハンター”こと土橋真さん

――駄菓子屋・駄菓子の減少が相次いでいるのはなぜ?

コンビニなどの普及、駄菓子屋の店主の高齢化など、さまざまな要因が考えられますが、一番は子どもの遊びの選択肢が多様化したことでしょう。
昔は駄菓子屋に集まることが遊びの一環でしたが、今はゲーム機やスマートフォンで個人でも遊べます。顧客が消失してしまったのです。

駄菓子を製造するメーカー側にも、時代の変化により、原材料の高騰、食品衛生法の遵守などによるコスト増が発生しています。
小さな商品一つ一つに包装やバーコードの記載が求められるようになりましたが、商品の価格は簡単には値上げできません。

駄菓子を主力商品とするメーカーは、少人数で経営しているところも多く、高齢夫婦2人で製造...なんてケースも珍しくないと聞きます。
残念ですが、廃業するところは今後も増えていくでしょう。


――駄菓子屋・駄菓子を取り巻く状況は平成の間に変わった?

昭和のころ、駄菓子屋という場所は、親が来ることはほぼない「子どもたちの世界」と言えるような場所でした。
ですが、それが平成に入り、大人たちがノスタルジーを感じる場所へと変化したように感じます。

今は、コンビニの接客で子どもたちにも丁寧な「ですます調」を使うような時代ですが、昔の駄菓子屋では悪さをすれば怒られもしました。
思い返せば、友人以外の先輩や他校の子どもなど、自分が知らない世界と触れ合える、活きた社会勉強の場でした。


――駄菓子とお菓子はどう違う?駄菓子にしかない魅力とは?

個人的な見解となりますが、「駄菓子=100円でいくつも買える物」「お菓子=100円で1~2個しか買えない物」だと思います。
魅力は作り手と消費者の距離感が近く、昔と同じ商品がほとんど変わらぬパッケージ・味・価格帯で楽しめることではないでしょうか。
自分が知る限りでも、親子3代、同年齢の時期に似たような駄菓子を食べていたってことがザラにあります。

「駄菓子は国宝クラスということを伝えたい」

――駄菓子はこれからどう変わっていく?

いわゆる「昔ながら」の駄菓子屋はなくなりますが、レトロ感を売りとした「駄菓子バー」などのお店は逆に増えると思います。
「駄菓子屋はなくなる」と言う方は多いですが、駄菓子屋に親しんだ世代や定年退職された方が、その道徳的側面に注目して店舗を開くケースもあります。
企業の事務所内に併設されるなどして、形を変えつつも残っていくはずです。

一方で、駄菓子そのものに関しては、海外からの輸入品が増えると考えられます。私の調べでは、既に国内に流通する駄菓子の1~2割が海外製造品です。
国内の製造者たちは高齢化が進み、後継者も不足していますが、海外ならお金を出せば製造してくれますし、人件費も安くつきます。
実際、海外で生産した商品を自社ブランドで販売するメーカーもあります。悲しいことに、これは日本社会の縮図と一緒です。


――駄菓子に親しんできた子どもや大人に伝えたいことは?

世界一厳しいと言われる日本の食品の法律をクリアし、低価格を維持する駄菓子は、それだけで国宝クラスなんですよ!ということを伝えたいです。
駄菓子はお菓子としてのレベルが本当に高い。大人になると「懐かしい~!」となってしまいがちですが、改めて食べてほしいと思います。
子どもたちには、利益度外視で駄菓子屋という場所を提供してくれた、おばちゃんたちの温かみを覚えていてほしいですね。

イメージ

販売終了となった駄菓子を巡っては、別企業が類似品を発売するケースもあるが、いざその商品を食べても何かが違うと感じることがある、
もしかすると「そういえばあの頃に食べた」という、幼い頃の記憶を含めての”思い出の味”なのかもしれない。

平成が終わり、老夫婦が運営する街角の駄菓子屋はなくなってしまうかもしれないが、古き良き駄菓子文化が続いていくことを願いたい。


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