埼玉だけじゃない!実は“翔んでる”オシャレなデザイン都市「名古屋」を達人と巡ってみた…

あれから30年…名古屋は生まれ変わったのか

カテゴリ:地域

  • 平成元年に名古屋で採択された「デザイン都市宣言」
  • きっかけは「世界デザイン博覧会」
  • その名残はあちこちに…意外なモノも

宣言で「名古屋をデザインあふれる街に」

 平成もあと2か月…。

平成元年=1989年の7月15日に名古屋で行われたのが、「世界デザイン博覧会」。実はこの時、ある宣言がされた、「名古屋デザイン都市宣言」だ。

名古屋をデザインあふれる街にするという宣言だが、平成の30年間で本当にデザイン都市に生まれかわったのか…

名古屋の街を歩き、「デザイン都市名古屋」を検証してみると、名古屋とデザインの意外な関係が明らかになった。

名古屋ライター「デザイン博で、未来が来た」

平成元年に名古屋で開かれた「世界デザイン博覧会」当時の様子

今回、案内してくれたのは、名古屋を深堀りするブログや著書が人気、ライターの川合登志和さん。取材で名古屋の街をのべ500キロ以上も歩いたという「街歩きの達人」だ。

名古屋ライターの川合登志和さん

川合さん、特に世界デザイン博には、強い思い入れがあるという。

川合登志和さん:
「僕は中学生だったんですけれども、当時名古屋が一気に街並みが変わって、未来が来たなっていうのを中学生ながらに感じたというのはありましたね。その変わった後に生まれた方は、デザイン性あふれる名古屋しか知らないっていうことですね」

デザイン博きっかけに名古屋のあちこちが…

そんな川合さんと一緒に、デザイン博の時に作られたスポットを巡った。

最初に訪れたのは、何の変哲もない「バス停」。しかし、川合さんに聞くと…

川合さん:
「当時、これはビックリした。市バスのバス停ですね。昭和のバス停から一気にコレに変わったんですよ。これがバス停だとは当時、思わないくらいカッコよかったんですけどね。すごい湾曲もかっこいいですし」

デザイン博以前と比べると、たしかにオシャレ度はあがっていた。

デザイン博で変貌した…名古屋のバス停

ピンと来づらい変化も…

さらに、足元にも…。

川合さん:
「これがデザイン博の時に導入されたマンホールのふた。名古屋の街をアピールするデザインにしようということで、市のマークと名古屋の色んな景色が出ています」

よく見ると、名古屋市のマーク「八」を中心に、名古屋城とテレビ塔など名古屋の名所が描かれていた。

マンホールには名古屋の名所「名古屋城」や「テレビ塔」がデザインされていたが…

このマンホールや市バスの色、バス停、そしてゴミ箱など栄の中心部だけでも、こんなにデザイン博で変わったところがあったとは…。

見慣れたこのゴミ箱もデザイン博で誕生

象徴的だったのは博覧会の「玄関口」

デザイン博の玄関口のひとつ 地下鉄の西高蔵駅は他の駅とはちょっと違う

そして、オシャレなデザインは都心以外にもあった。名古屋市営地下鉄名城線の西高蔵駅だ。

川合さん:
「ここが世界デザイン博覧会の白鳥会場の最寄り駅だったんですね。デザイン博に合わせてこういう外観になっている」

たしかに、支えているのはオレンジとブルーの柱、一見して地下鉄のほかの駅と違う。そしてコンコースには…。

川合さん:
「当時、『電話がありますよ』とかを示すピクトグラムです。これもデザイン博で先駆けで導入されて、マークを見るだけで何があるかわかる。デザイン博は見るだけでわかるマークをウリにしていました」

「白い街」と呼ばれていた名古屋

西高蔵駅の構内 天井にはなぜか金網が

さらに天井部分にはなぜか金網が…。

川合さん:
「デザイン博当時は、ここを光が流れていたんです」

当時の画像を見ると一目瞭然だった。天井に光ファイバーが通っていて、近未来を感じさせる作りになっていた。

残念ながら今は光らないが、金網の形やパイプの色は当時のままだ。

当時の西高蔵駅構内 天井には「光ファイバー」が…

世界デザイン博をきっかけに名古屋の街並みは変わったが、それまでは「白い街」と言われていたという。その理由は…。

川合さん:
「それまで名古屋っていうのは、石原裕次郎さんのヒット曲で『白い街』という歌がありまして、名古屋っていうは道路が広くて、ビルが高くて、色彩に乏しいと言われていたのが、デザイン博をきっかけに名古屋の街に色が付いていったんじゃないかなというのを感じますね。今はユネスコに名古屋はデザイン都市として認定されている。平成の30年間というのは、名古屋がデザインを通して、人や町が豊かになっていこうというのを志した30年間だったと思います」

デザイン博とともに生まれた名古屋のシンボルも…

デザイン博で誕生した名古屋駅前のシンボル「飛翔」

一方で、時代と共に消えていくものもある、 それが、名古屋駅前のシンボル『飛翔』だ。この『飛翔』もデザイン博の開催に合わせてつくられたモニュメントだった。

川合さん:
「まだセントラルタワーズもありませんでしたし、大名古屋ビルヂングも小さかったですし、今よりもビルが低かったので、『飛翔』の存在感がすごく大きかったんですね。かつては噴水になってまして。上から水が流れてたんですけど、道路を走る車にかかるということで噴水は中止になっているんです」

さらに、夜はライトアップされて、とてもきれいだったという。

ライトアップされた名古屋駅前の「飛翔」

姿消す「平成の名古屋・玄関口の象徴」

しかし、『飛翔』はリニア開業に向けた名駅周辺の再整備計画で撤去され、姿を消すことに…。

川合さん:
「再開発でたぶんリニアきっかけで失われて行くとは思うんですけど、平成の名古屋の玄関にあった『飛翔』ということで記憶には残るかなと思います」

デザイン博をきっかけにして街の景色も変貌を遂げた名古屋。その精神は、現在へ、そして未来へも受け継がれている。

情報サイト「全国2位」のスポットが名古屋に

いま、名古屋の街でシンボリックな建物といえば、2002年にできた中区・栄の「オアシス21」だ。

外国人観光客の間でも、日本で写真を撮りたくなるスポット全国で2位に選ばれるなど、名古屋を代表するスポットとなった。

外国人からインスタ映えスポットとして人気のオアシス21 名古屋・中区

川合さん:
「SNS時代になって、人とデザインと街が繋がるようになったのかなという気がしますね」

そして、「未来」に続く名古屋のデザインスポットも、いま着々とプロジェクトが進んでいます。

その場所は、1月から改修工事のため休業した『テレビ塔』の真下だ。

名古屋テレビ塔の未来予想図は…

川合さん:
「ちょうど工事をしていますけれども、来年の夏まで工事をして、新しく次の名古屋に生まれ変わる。街歩きの楽しい名古屋にしていくという方針らしいですから、今までにない、歩いて楽しい地上の名古屋が実現するんじゃないかなと思います」

名古屋テレビ塔周辺の“未来予想図”(画像:名古屋市提供)

未来予想図は、テレビ塔を中心に、緑豊かなスペースをいつでもだれでも利用できる開放感あるデザイン、市民や観光客の憩いの場所となる予定だ。

平成元年のデザイン博で始まった名古屋の進化。新しい時代を迎えてもその思いは続いていく。

(東海テレビ)

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