「歩み去る」能力はあるトランプ 核保有国の意思の変化が脅威認識を変える

カテゴリ:ワールド

  • 第2回米朝首脳会談は決裂したが、危機は戻ってこない
  • 望む条件が得られなかったら「歩み去る」勇気は評価する
  • 問題は、平和か非核化か・・・

歩み去ったトランプ

米朝首脳会談が決裂した。決裂の速報が流れたとき一瞬、すわまた2017年のような緊張が再現するのかと身構えた外交関係者も多かったことだろう。ただし、米国側の記者会見は穏やかなトーンに終始し、危機の再来はないのだということを印象付けた。要は、北朝鮮がミサイル発射せず、核兵器を新たに作らず核実験をしない限りは、米国は対応を急ぐ必要がないと感じているということだ。

会談が行われるまで、ハノイでの第二回米朝首脳会談は中身のないメディア向けアピールに終わるだろうという予測が大半であった。昨年6月にシンガポールで行われた米朝首脳会談は大々的な政治ショーの側面が強く、具体的内容の伴わないぺらぺらの合意にとどまった。そこで、第二回のハノイ会談も派手な演出を目的としたものであろうという観測が大半だったが、今回、米朝両国はあえて決裂してみせたのだ。このことをどのように評価すべきだろうか。

会談は失敗だったのか

ここまで首脳会談の場所や演出を整えておいて合意文書の取り交わしに至らなかったことは、明らかに首脳外交の失敗だと評価を下すべきだろう。しかし、事前の予測ではもっと悪いことが起こるのではないかという不安感の方が強かった。トランプ大統領が大統領選を前に早期の交渉妥結を求めるのではないか、核物質・施設のリストも提出させることなしに平和宣言を出したり制裁を緩めるのではないかという懸念が表明されていたのだから、望む条件が得られなかった時に「歩み去った」こと自体は評価されるべきだと思う。

落ち着いた雰囲気の米国側とは反対に、北朝鮮側は金委員長が憮然とした険しい顔つきで会場を後にしたと報じられている。ひとつひとつの表情などを過大評価するのは問題だが、様々な状況を勘案すると、北朝鮮の方が米国より「困っていた」ことは確かだろう。それは、重い経済制裁が国家予算や指導層の暮らしぶりに直接的な影響を与えているからだ。もちろん中朝国境沿いで事実上の経済取引は行われているが、そうした取引ができたからといって北朝鮮の国庫が豊かになるほどのインパクトはない。そのうえ、金委員長は腐敗の咎で米国との融和路線に反対する急進派を50名以上最近粛清したばかりといわれている。彼の方針が正しいことを国内に示し続けるためには、事実上の核保有国としてのプライドを維持しつつ、飽くなき反対者の粛清と経済成長を担保することが必要となるだろう。

米国に関しては、トランプ大統領が大統領選を前に政治的果実を手に入れるのを焦っているのではないかという報道もあった。しかし、正直なところ外交問題での本質的な進歩はそれ程得点にはならない。むしろこうして首脳会談を開催し、耳目を惹きつけることだけでもプラスであり、何も進展せずともオバマ大統領よりは「何かをやっている感」が出るので、政権的には何の問題もない。

私自身も、トランプ大統領がより大きな宥和策をとりかねないという懸念はずっと持っている。現に、いまも大きな得点になるようであれば北と宥和することにためらいはないだろう。しかし、今回トランプ大統領は平和宣言を出さず、制裁もまるで緩めず、在韓米軍撤退も口にしなかった。北朝鮮とのやり取りはあくまでも交渉事であり、「歩み去る」(walk away)勇気を持たなければいけない。このような取引の戦術はM&Aや不動産取引の現場で毎日のように行われている。

トランプ大統領はそうした現場のディールのプロなので、北朝鮮が意味の乏しいカードだけを切って武器以外の経済制裁解除を要求した際にも、一般人ならば縋りついてしまいそうな安易な選択肢に縋りつかず、歩み去る能力はあるのだ。後から出てきた情報によれば、この大幅な制裁解除が北朝鮮の最も強く主張した条件であり、その見返りに寧辺の核施設の破壊だけが提示されたという。今ある虎の子の核やミサイルを温存するばかりか、将来的にも核兵器を増産する可能性がないとはいえないなかでの制裁大幅解除は、北朝鮮を事実上の核保有国として認める現状追認に他ならない。

異例なトップ外交が行き着く先は

問題は、これが本来実務者、せいぜい国務長官までのレベルの人間がやるべきことであって、米国大統領がトップダウンでやる仕事ではないということ。民間の投資ファンドにおいては、投資判断は最終的にトップが下さざるを得ない。下っ端がやる仕事はいわゆる物件の質やリスクの見極めの仕事(デューデリジェンス)であって、最終的に材料が出そろった後はトップが交渉に臨むものだ。ただ、米国政府は投資ファンドではない。事実上の新たな核保有国であり透明性の乏しい独裁国家との取引であるということを考慮しても、やはりこうしたプロセスは異例であると言わざるを得ない。ただし、今までの正当なやり方では、北朝鮮の核保有を止めることができなかった。米国の歴代政権はいずれも、北朝鮮に対する核不拡散政策において失敗してきた。「異例であるにせよ、トランプ大統領はそこそこの安打を打ち、逆転ホームランの可能性も残っているのではないか。」この期待値こそ、トランプ政権が利用しているものだ。

こうした異例なトップ外交が行き着く先はどこだろうか。トランプ大統領は、非核化は急いでおらず、究極的には非核化する、と約束に期限を設けない立場を明確にしている。これは、実は米朝両国ともにある程度望むところなのではないかとさえ、思ってしまう。

既に明らかだが、彼我の認識や立場の差には大きな広がりがある。北朝鮮は非核化せずに経済開発を手に入れたい。米国は非核化に向けて大きく舵を切らないのに制裁を解除し経済開発に協力することはしない。非核化に時間がかかっても、北朝鮮が自重姿勢をとる限り米国は急がずに済むし、北朝鮮としても核兵器を手にしたまま米国の敵対姿勢を緩めることができたわけだから、一定の成果は手にしている。

言葉を換えれば、今回の会談で見えた米朝関係の好材料は、少なくともシンガポール合意文書における曖昧な目標だけは正式に合意しており、それを破らない限りはかつてのような敵対関係には戻らないで済むという見通しが今回維持されたことだ。北朝鮮は核実験やミサイル発射を行わない限り、約束を守っていると見なされるのだ。2018年3月までは、核戦争の一歩手前まで行っていたはずの米朝が緊張緩和したことにより、新たな国家間関係が生まれたことは明らかだ。問題は2020年に民主党の大統領候補が勝った場合、交渉の進捗が止まることだが、それでも核戦争の危険は再び忍び寄ってくることはないであろう。

問題は平和か非核化か

北朝鮮 寧辺の核施設

多くの西側知識人は、「北朝鮮は問題を非核化から平和にすり替えることに成功した」と非難し、それに騙された(と思しき)トランプ政権を批判している。しかし、この言説は正しいだろうか。問題は非核化なのか、平和なのかと言えば、そもそも平和に決まっている。問題が非核化なのだとすれば、中国の核もロシアの核も取り除くべきだ。米国の核もそうかもしれない。目的が平和にあるからこそ、「攻撃的な強権国家が核を持ち、周辺諸国を威嚇することは許されない」という主張が可能になるのだ。そして北朝鮮が現状の勢力図を変更しようとしたり、周辺諸国を威嚇することをやめれば、北朝鮮は「強権国家だけれども攻撃的な国ではなく、経済開発を通じて徐々に自由化を進めるべき対象」という目で見られるようになる。それは何もトランプ政権のせいではない。単に、北朝鮮が核保有に成功してしまったことによる必然的な結果なのだ。

核を持ったうえでそれを使わず、正面切って米国を軍事挑発せず、南北融和すれば、北の攻撃意図はぐっと下がったと評価されることになる。それは自然な構造変化である。力、ないし脅威と言うのは、能力かけるところの意思であり、意思の変化は脅威認識を変化させ得るからだ。核保有した国の意思が、侵略ではなく核保有国としての現状維持に向かった場合、相手国も徐々にその変化に適応していくことだろう。

歴史はすでに動いてしまったのであり、止められないのだから。

日本ができることは、残念ながらごく限られている。日本は非核化という要求を言い続けるべきだが、その実現のために引けるレバーはもう大して残ってはいない。結果的に、日本がいま行っている制裁継続以外にできることは、北の核保有を織り込んだ自国防衛の強化と、直接会談による関係改善、そしてその時期が訪れたときには米国主導の北朝鮮開発への参画くらいしかないのだ。

執筆:国際政治学者 三浦瑠麗
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