締め切りは守れず、アニメ放送後に大直し!? “漫画の神様”手塚治虫さんの素顔

  • あだ名は「おそ虫」。旅行へ行った手塚先生を追いかけたら…
  • 30分のアニメが6分しかできず…危機を乗り越えたありえない方法
  • 天才と称された巨匠も若手漫画家に嫉妬

2018年に生誕90周年、そして今年2月9日で没後30年を迎えた、漫画の神様・手塚治虫さん。

2月19日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系列)では、世界が認め、日本アニメの礎を作った手塚さんの真相に迫った。

漫画の神様のあだ名は「おそ虫」

『どろろ』や『リボンの騎士』『鉄腕アトム』など、記憶に残る名作漫画・アニメを生み出した手塚さんだが、編集者からは「おそ虫」という意外なあだ名を付けられていたという。

天才と称されていた手塚さんだが、締め切りを守らないというダメな一面もあったのだ。

当時、手塚プロは編集者が泊まり込みで原稿を待つのが日常だったというが、そんな編集者たちを尻目に、手塚さんは布団で横になり、原稿の締め切り期限を電話で編集社に交渉する姿が映像で残されている。

元アシスタント・伴俊男さんは「あまりにもたくさん仕事を引き受けておられて、すべてきっちりと原稿を納めるというのは不可能に近い状況だった」と振り返った。

多い時で『ブラック・ジャック』や『火の鳥』、『三つ目がとおる』など、合計15本もの作品を同時進行していた。

そんな“おそ虫”手塚さんが原稿も仕上げずに旅行へ行ってしまうと、編集者たちはさらに大変だったようだ。

その時の様子が『ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~』という漫画に描かれている。

旅行中の手塚さんを追って鹿児島へ原稿を取りに行ったスタッフに対して、、数本の原稿を旅行先で描いていた手塚さんが「飛行機止まってくれないかな」と驚きの発言をしたという。

数時間後には1本目の原稿があがり、スタッフが鹿児島空港へと運ぶも、貨物輸送の受付は終わっていた。この日中に東京へ原稿を届けなければ印刷が間に合わず、別の原稿を受け取る必要があったスタッフは、原稿を見知らぬ乗客に頼み、東京へと届けてもらったというエピソード。

手塚プロダクション取締役・清水義裕さんは「もう最後は乗る人でした。今では許されないですけど、その人に名刺を渡して。原稿を3枚渡して。今じゃ考えられないですけどね」と明かした。

アニメの原稿が間に合わない!

さらに、漫画だけでなくアニメの制作現場でも“おそ虫”エピソードがあったという。

約40年に渡り、『鉄腕アトム』の声を務めた声優の清水マリさんは「1週間に1本のアニメーションは大変で忙しいので、絵が完成していないときがあって、そんな中でも声を入れていた」と当時を振り返った。

声を吹き込む際に、手塚さんの絵が間に合わず、仮の絵が用意されていることも少なくはなかったというが、これはまだマシな方。原稿が全く間に合わなかった時に手塚さんは、セリフの長さを「線」で表現したという。

どういうことなのか首をかしげたくなるが、清水さんは「私のセリフを言い切るまでが茶色の線で、お茶の水博士のセリフが青の線で、会話が線になっているんです」と、絵に合わせてではなく画面に映る線の長さに合わせて声を吹き込んでいたと説明した。

漫画に加えてアニメ制作にも追われ、キャラクターの絵が間に合わないこともあったというが、そんな状況の中で、本当にアニメの原稿が放送に間に合わないことがあったという。

1963年の12月31日に放送された『鉄腕アトム』。

30分の放送時間だが、6分ぶんしか仕上げられなかった手塚さんは、アニメの途中で『鉄腕アトム』の制作現場を紹介する実写のメイキング映像へと切り替え、その後強引にアニメ、しかも再放送の映像へと戻すというありえない方法で危機を乗り越えた。

『マジンガーZ』の作者であり、手塚さんをよく知る漫画家・永井豪さんは「手塚先生は本当に生涯で15万枚という莫大な枚数の漫画を作品に残しているんですが、それだと年数から考えると1日に10ページは確実にあげないといけない。絵を描くスピードやアイデアを生み出す力、作品に向かっての集中力も体力もいるので、それは大変な作業になると思います」と話した。

放送したのに…直しの作業!?

同時に何本もの作品を描いていたが、どれに対しても決して手を抜かなかったという手塚さん。

今も残る手塚さんの漫画の原稿には、修正の跡がいくつも見られた。“自分が納得いくまで、とことん直す”、そのこだわりはアニメにも及び、清水さんは最も記憶に残っている出来事を挙げた。

41年前に第1回24時間テレビの目玉企画として放送された、2時間の長尺アニメ『100万年地球の旅 バンダーブック』。

当時、大人気だった『ブラック・ジャック』がアニメに初登場するなど話題をさらった日本初の2時間アニメだが、仕上げるまでに異常なこだわりを見せたという。

清水さんは「一番困ったのは、セリフを書き直しするんです。絵コンテで書いてあった話を全部、ほとんど全部やり直すんです」と告白。

放送が始まったにも関わらず、放送中に後半の作業をするような状況で、なんとかギリギリ間に合ったこの作品は、24時間テレビ内で最高の30.4%という高視聴率をマークした。

しかし、放送が終わったあと、そのアニメに対して手塚さんはさらに、通常ではありえないこだわりを見せたという。

「まだ、直したいところは山ほどあって、直しの作業になるわけです。その当時は、まだ再放送も決まってないし、もちろんビデオという商品が出てくる前の話ですから」と、仕上がりに納得いかず、陽の目を見るかどうかわからない状況で直し始めたのだ。

わずか20秒ほどのシーンでも4つの直しを入れるなど、細かな直しは天才ゆえのこだわりかもしれないが、直した理由は本人にしかわからないという。

天才と称された巨匠も若手に嫉妬…

天才と語り継がれている手塚さん。

初めて漫画を描き始めたのは8歳で、その作品は『ピンピン生ちゃん』。そして、17歳の時に漫画家としてデビュー。

当時の大阪大学附属医学専門部(現・大阪大学医学部)在籍中に『ジャングル大帝』の連載をスタートさせ、以後、手掛けた作品は700以上にも及んでいる。

しかし、長女・るみ子さんは「本当にコンプレックスは強くて、人ができて自分ができないことがあると、それをすごく気にしているようなところがありました」と意外な素顔を明かした。

そんなるみ子さんは、5年前に手塚さんの遺品を発見。

今では限られたスタッフ以外、立ち入ることができない、手塚さん生前最後のアトリエにあった、25年間開けられることがなかったキャビネットの中に、手塚さんのコンプレックスが垣間見られるものがあったという。

るみ子さんが見せてくれた紙の束には、人間のような動物のような女性のキャラクターが描かれていたが、「動物が人間に変わっていくというシーンを描いた連作です。ネズミなんですけど、何度も同じようなキャラクターを描いている。手塚の一つのコンプレックスが、自分がきちんと絵を学んできていないというので、女性の体を描くのがすごく苦手だということを本人も語っています。どうやったら色っぽく見せるか、女性の体のラインが出せるかというのは一生懸命練習して、それに見合うようなものを創れればと考えていたのではないかと私は思います」と話した。

しかし、そんなコンプレックスからか、手塚さんはすでに巨匠であったにも関わらず、若手作家に嫉妬心を燃やしていたという。

かつて『ハレンチ学園』で爆発的な人気を得た永井さんは「その時、一番売れている人に対して、すごくライバル心を燃やすんです。僕が『ハレンチ学園』でバーッと話題になったら、すごく睨まれたりしました。僕としては、手塚先生は本当に憧れの人なので、その状況は悲しいなと思いながら、それで僕の人気がある程度落ち着いたら、手塚先生も普通に接してくれるようになって、すごくうれしかったという思いがあります」と当時のエピソードを語った。

ゲストの伊集院光さんは「この間、藤子不二雄Aさんに聞いて、頭角現してヒットしてくると、あんなに面倒見のいい手塚先生が急に口も利かなくなるって。でも、後輩の藤子A先生は、『オバケのQ太郎』がヒットした時に、ある日突然そういう態度になって、でも、寂しかったけどついに手塚先生の嫉妬を受けられたという喜びが同時にあったと言ってました」と明かした。

漫画に人生をささげて、生涯第一線で描き続けた手塚さん。60歳という若さでその一生を終え、その死を世界中が偲んだ。

自分の漫画を待ってくれている子どもたちのために、締め切りに追われても、決して仕事を減らさなかったといい、大好きな漫画を描き終えると、満足そうに笑い、気分転換には逆立ちまでしていたという。

スタジオでは、MCの坂上忍は「『火の鳥』の実写版のオーディションに行ったのを覚えていて。子役だったので断片的にしか記憶にないんですけど、見事に落ちました」と明かした。

また、ゲストの真矢ミキさんが「手塚さんの作品は、“現実ってこんなもの”という突き放されたようなすごい世界観を見せられるんです。人の業や死生観も含めて、それが醍醐味なんだと言われている気がします」と語った。

「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54

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