北朝鮮の“真実”を特派員に手渡した謎の人物「Mr.X」 葬りされない事実の告白 

世紀のスクープを伝えた特派員の記録

カテゴリ:ワールド

  • 謎の人物から北朝鮮の映像を提供したいという突然の連絡
  • その映像が明らかにしたキルジュの町の人々
  • 映像の対価としてMr.Xが要求したものは・・・

彼の無事が確認されるまでは第三者に明らかにしてはいけない話だと思っていた。
でも頬かむりをしてしまうこともできない話だ。

北朝鮮は崩壊すると言われた時期もあったが、どうもそうはならなそうだ。三代目の金正恩への政権移譲もスムーズに行われ、安定しているように見える。韓国の対北融和政策も彼を救い出す動きにはつながらないだろう。それどころか、アメリカのトランプ大統領との二度の会談を通じて北朝鮮は国際社会の一員になろうとしている。そうすれば、北朝鮮に都合の悪いことは葬りさられるだろう。

まずは、彼のことを明らかにすることから始めたい。

謎の人物から突然の電話

「森安さん電話」
ソウル汝矣島の韓国文化放送の中にある支局にかかってきた電話が、彼との初めてのコンタクトだった。2004年のことだ。ソウル赴任から2年経ち、日本語が流ちょうな韓国人スタッフも普段の会話は韓国語で付き合ってくれるようになっていた。

「名乗らない人から電話、韓国語で」
どこかの新聞の韓国人記者かと思いつつ受話器をとった。電話の向こうの声は中年と思しき訛った男だった。ソウルに住む韓国人の発音ではないが、聞き取り易い韓国語だった。

「見せたい映像がある。北の方の映像だ。近くまで来ているので会えないか。」

韓国で北の方とは北朝鮮のこと。鼓動が一気に高まった。

北朝鮮に拉致されていた5人の被害者が帰国 2002年10月

日本では2002年10月に北朝鮮に拉致された5人が帰国してから、北朝鮮に対する関心は高まっていた。北朝鮮と付けばネタになり、連日「北朝鮮関連ニュース」の出稿を求められていた。

当時の韓国は、金大中、廬武鉉と進歩派による政権が続いていた。その「対北朝鮮融和政策」のおかげで、北朝鮮でも軍事境界線に近い金剛山では韓国人の観光目的の往来が許されていた。小中学校の先生の旅行には補助金が出ていた程だ。僕は、金剛山観光の窓口だった現代グループの関係の旅行代理店に知り合いがいたこともあり、便宜を図ってもらい3度金剛山に行ったことあった。そして、その度にカメラを回していた。

また、開城工業団地では韓国企業が出資し北朝鮮の労働者が働く南北の共同事業が行われていて、資材や製品が往来していた。おまけに首都の平壌は、ショーウインドウとも呼ばれ、豊かな市民の暮らしぶりが朝鮮中央放送などで公開されていた。

こうした地域の映像は珍しくはなかった。
しかし韓国政府が「気持ち悪い」ほど北朝鮮を美化する中、北朝鮮の真の情報を求めるなら、脱北者との接点は不可欠だった。ソウル赴任前、警視庁公安部を担当していた私は、中核派や革労協の集会にも足を運び、生の声を聞いていた。

映像が明らかにした数々の真実

電話で北朝鮮映像の提供を申し入れてきたMr.X

電話の男が見せたいという映像は、北朝鮮の中でも北部の公開されていない地域で撮影したものだという。
「見たい。すぐに会いましょう」
僕らは韓国文化放送の1階受付前で会うことになった。すぐに待ち合わせ場所に下りたが、それらしい人物は一向に現れない。僕は、韓国文化放送の知り合いの記者や受付の警備員から、この人は誰かと聞かれたら何と答えようかと考えながら待っていた。

答えが見つかる前に、緑色のポロシャツ姿の恰幅のいいスポーツ刈の男が笑顔で現れた。
「駐車場に停めてある私の車の中で話しましょう」
僕は促されるまま、男の乗用車に一緒に乗りこんだ。男は僕と同じ年くらいか、少し若いように見えた。

「自分はキムソンジン」と名乗った。とっつき易い笑顔だった。

韓国では年上か年下かが人間関係を左右する。年下と聞いて僕には少し余裕ができた。キムソンジン氏は、小さなハンディタイプのビデオカメラを取り出し、映像を見せてくれた。映像は車の中から撮影されたものだった。キルジュという町だという。

路上で遊ぶ少年たち(北朝鮮・キルジュ)

道路の水たまりにできた薄氷の上を時折スケートのように滑りながら歩く3人の子供。決して良い身なりではないが、表情は明るい。そのうちの1人が見事な青洟を垂らしていることに気づいた。

東京では言うまでもなく、ソウルでも最近は鼻を垂らしたまま放置している子供を見かけることはない。だが、この子の鼻と口の間には青洟が足らされたまま半ば固まっていた。栄養状態が良くない地域でみられる光景らしい。

脱北失敗者が集められた施設も

荷台いっぱいに積まれた荷物を痩せこけた牛がひいている(キルジュ)

続いて現れたのは牛車。荷台一杯に物が積まれているが、それをけん引する四つ足の動物は、牛ではあるが、そうとはわからないほどやせていた。頭の角を見えないとロバと見まがうほどだった。そして、薪を積んだ荷車を曳く人や、頭に大きな荷物を載せた人が歩いていた。

たくさんの脱北女性がトラックの荷台に乗せられ連行された(清津市)

自動車は全く見られない。自動車が来たと思ったら、溢れんばかりに人を荷台に乗せたトラックだった。その人達を降ろしていた場所は、中国側で捕まり送還された脱北者や、脱北を試みて国境地帯で捕まった住民が一時的に集められている「ノンボ集結所」だという。

吐く息の白さでずいぶん気温が低いことがうかがえた。

トラックをおろされ集結所に連行される脱北女性たち(清津市)

僕が映像に関心を抱いたことを確認して、キムソンジン氏は続けた。
「自分は脱北者出身で北朝鮮と現在もビジネスをやっている。それで、北朝鮮内部の映像を入手できる。」
ソンジン氏が持っていたカメラは、SONYのマイクロテープを使ったビデオカメラ。当時でもあまり見かけないタイプだった。現在のスマホと比べると決して小さいサイズではないが、スーツのポケットにも収まる当時としては最も小さいモデルだった。これなら北朝鮮に持ち込んでも、目立たず撮影できるということか。

韓国人を警戒する脱北者

映像の内容について、彼のインタビューを事務所で撮影することにした。韓国文化放送の受付は、僕と一緒ならチェック無しに通ることができたので、ソンジン氏は、名前・住所など個人情報を残すことなく支局に入ることができた。

韓国人スタッフに聞いたが、韓国の放送局には国家情報院の職員が常駐していて、色々チェックしていた時代があったという。軍事政権時代の名残か、休戦状態とは言え北朝鮮と対峙しているため警戒を緩めていなかったのか、日本の放送局の中に情報機関の職員が常駐しているとすれば大変な問題になっただろう。

支局の中では、韓国人スタッフが、カメラを三脚に立てインタビューの準備をして待っていた。予め電話を入れ説明してあったからだ。キムソンジン氏が心変わりする前に、取材を進めたほうが良いと思った。韓国人スタッフに囲まれ、ソンジン氏はさっきより明らかによそよそしい態度に変わっていた。

これまでも何度か、脱北者の取材をしたことがあったが、彼らは、一様に韓国人にある種の警戒感を持っているように見えた。かつては命がけで逃げてきた脱北者は、英雄で珍重されていた。脱北してくる人の数が増え珍しくなくなり、特に「対北朝鮮融和政策」の下では、かつてのように華々しく宣伝されることもなく、むしろ厄介ものになっていた。仲良くしようとしている国から逃げてきた人を歓迎していては、その国と仲良くできないだろう。

そうした社会の空気を反映してか、脱北者は韓国人を信用していないように見えた。脱北者は大事な取材相手と思っていた僕は、直接会話できなければ本音に迫れないと思い、韓国語の勉強に熱が入った。

映像の内容をスラスラと説明したMr.X

ソンジン氏の持ってきたカメラを大型モニターにつないで、場面ごとに質問した。ソンジン氏は、撮影場所がどこで、どんな人が映っていて、何をしているのか、スラスラと話した。まるで自ら撮影したかのようだった。ソンジン氏曰く、北朝鮮にいる知人が撮影した内容を電話で確認したという。

当時、北朝鮮では、中国の携帯電話が通じるエリアがあり、一部の市民が隠れて使っているという記事を韓国の新聞で読んだのを思い出した。韓国人スタッフも大変な映像を持ってきたものだと興奮状態になり、この人物のペンネームに自分の名前の一部を使ってくれと言い出す始末だった。

映像の対価を求められ

「この映像は幾らくらいになるかな」
インタビュー後、車まで見送りに出た僕と二人きりになったタイミングで聞いてきた。直感的にソンジン氏とのつながりは維持したいと思った。「ネタを金で買うのか」という議論になることは必至だと思った。しかし、日朝交渉が始まり関心は高い。「対北朝鮮融和政策」が進む中、見えにくくなっている北朝鮮の赤裸々な現状を伝える意義はある。それで、上司も説得できるだろうと思った。だが、足元を見られてはいけないと思いなおし、報道機関なのでそれほど大金は出せないことを説明した。

「いくらにもならないな」ソンジン氏は独り言のように言った。ソンジン氏からは申し入れもあった。
「定期的に映像を提供するので、目立たない小型カメラを提供してほしい。」
一台しかないので同じカメラを北朝鮮の中と外を行ったり来たりさせているが、テープだけでやりとりできるようにしたいというのだ。

ソンジン氏が帰ってから、提供するカメラについて、韓国人スタッフと相談した。「同じものは新しく買わないとない」とのこと。代わりに支局にある一般的なデジタルビデオカメラとテープを用意してもらった。

後日、ソンジン氏にそれを手渡すと、大きさにやや戸惑っていた。この時点では、素性のよく判らない相手にわざわざ高価なカメラを買ってまでして、渡すわけにはいかなかった。

提供された映像は、真偽を確認する必要があった。筆者は、当時急増していた脱北者を複数取材し、その映像が真実を映し出していることを確信することになる。(次回へ続く)

【執筆:フジテレビ 元ソウル特派員 FNNプロデュース部長 森安豊一】

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