【独自】脱北元兵士“被弾の瞬間”語る 任務の知識で逃走ルート選ぶ

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2017年、南北軍事境界線にある板門店(パンムンジョム)から、北朝鮮の兵士が、5発の銃弾を受けながら、韓国に脱北した。

その元兵士が、初めて日本のメディアに素顔を出して取材に応じ、命からがら脱北した瞬間の詳細を語った。

呉青成(オ・チョンソン)さんは2017年11月、当時、朝鮮人民軍の運転兵として勤務していた板門店から韓国側に脱北したが、仲間の兵士から銃撃され、瀕死(ひんし)の重傷を負った。

車に乗って板門店に向かった呉さんは、脱北の直前にある選択を迫られたという。

呉青成さんは、「本来はこっちへ行くべきだ。こちらに行けば車道があり、円滑に行ける。南北首脳会談の時、金委員長が乗った車が来たコースが本来の車道だ。しかし、こちらに行けば潜伏要員がいる。わたしは、こちらには常に兵士がいなかったことを知っていた。わたしはずっとここで働いていたので、それを知っていて、こっちに行ってはいけないと考え、車をこちらに回した。しかしその時は、ここに排水溝があることを知らなかった」と話した。

呉さんが乗っていた車は、排水溝にはまって動けなくなり、武装した北朝鮮の兵士に追いつかれた。

呉青成さんは、「(仲間の兵士が)近くに来たことを知って走ったが、同時に2発撃ってきた。まず1発被弾して、出血がひどくなって、内臓が破裂し、意識を失った」と話した。

家族を北朝鮮に残してきた呉さん。

死も覚悟したという。

呉青成さんは、「目を閉じてしまえば死ぬと思って、目をずっと開いていたことは記憶に残っている。真っ先に思ったのは、ただ両親のことだった」と話した。

被弾した後遺症は残っているが、今後、大学で学んで、南北統一に生涯をささげたいと話している。