2019年をポジティブに生き抜くための哲学 『他人は他人!』自分に自信を持つには ~マイナスの感情を乗り越える方法~

石井梨奈恵
カテゴリ:ワールド

  • デカルト哲学から学ぶポジティブに生きる方法
  • 自分の判断基準を持ち、それを他人に譲らない
  • 自身への「自信」や「卑下」をどうコントロールすべきか

「こんなに頑張っているのに、会社で評価されない」
「あの人はきれいで優秀。私なんて・・・」

人生に、悩みはつきものだ。
17世紀に活躍したフランスの哲学者デカルトによると、人間は常にいろんな感情を抱いていて、その感情は大きく6つに分けられる。
驚き、愛、憎しみ、欲望、喜びと悲しみ。現代人が日常生活で抱える問題や悩みに対して、哲学が答える!フランス哲学が専門の津崎良典氏(筑波大学准教授、パリ在住)に、パリ支局長石井梨奈恵がインタビュー。生活密着型の哲学談義第一弾!

心の中に防波堤を作る

石井:フランスには、個性をとても大事にする文化がある。「他人は他人」という考えが強い。例えば、暑い夏でも分厚い皮のコートを着ている人や、身体にたくさんのタトゥーを入れた人、真っ赤なマニキュアをしてデコルテ(首回り)が大きく開いた服を着るご高齢の女性など、様々な人がメトロ(地下鉄)に乗っていたとしても、「他人は他人」というように、誰も気にしない。個性に対して、とても寛容な国だと思う。

津崎:自分がどうしたいのか、どうしたくないのか、その判断基準が重要なポイントになる。まず、人間がどのように判断するかというと、私が専門にしているフランスの哲学者デカルトによれば、「知性」=知ること、そして「意志」=何か実行する能力の二つが協働した産物が判断。例えば、「この中に入っているのは、確かに水で、酒ではない(=知性)だから、仕事中でも飲もう(=意志)」と判断する。

ところで、2世紀の古代ローマの皇帝で、哲学者でもあったマルクス・アウレリウスは、「人間は、心の中に城壁を築かなければいけない」という言葉を残している。なぜかというと、生きているといろんなことが心の中にやってくるから。失恋とか嫉妬とか、いろんな嫌な感情が起きるので、防波堤みたいなものを心の中に築かなければいけない。

防波堤は具体的になんなのか。自分は何が好きで何が嫌いか、何を良いと思うか何を悪いと思うか、自分はどう考えるか、ようするに「イエス」か「ノー」かの判断の基準を自分の中に作っていくこと。その判断の基準が防波堤。

この判断基準を、他人に譲った時にその防波堤が崩れてしまう。他人に譲るというのは、「自分の判断基準を他人に委ねて他人の判断基準で自分を判断する」こと。

他人の判断基準で自分をジャッジしない

デカルトの墓があるサンジェルマン・デプレ教会

石井:自分の判断基準をきちんと持ちたいところだが、それを際立たせると、日本社会では「出る杭は打たれる」のように、軋轢を生んでしまうことがよくある。そのため、会社など組織の中で、他人とのイザコザを避けるためになるべく目立たないようにしたり、必要以上に自分を卑下したりしてしまう人もいる。自分の中にきちんとした判断基準を持ちながら、「自信」をもって、「卑下」せずにいるためには、どうしたらよいのでしょうか。

津崎:
自分の中にきちんと判断基準を持ちながら、しかし、それだけで生きていくとやはり人間関係に軋轢が生まれてしまうから、ケースバイケースで、判断基準をどの程度緩めるかをコントロールしていかないといけない。

防波堤をすごく高くしたり、低めたり、防波堤の門を少し開いてみて、他者の判断基準を受け入れてみる。でも、やはりここは譲れないと思うこともある。そのせめぎ合いで常に生きていかざるを得なかったりする。

それがうまくいかなくなると、自信の喪失になったり、自分を卑下したりしてしまう。どうして卑下するかというと、自分の判断基準を他人に委ねて他人の判断基準で自分を判断するから。「世間一般では、こういう人生モデルは良くて、こういう生き方が素晴らしい」。

その判断基準に照らして、自分のことを判断して「劣っている」と思うから、「どうせ私は」というふうになってしまう。でも、そうではなくて、「自分はやはりこういうふうにする、したい」というのが判断の結果だから、そのための基準がしっかり自分の中にある人というのは、卑下することがない。

判断基準を失わないというのは、繰り返しになるが、「自分の判断基準を他人に譲らない」ということ。他人の判断基準で自分の生活をジャッジ(判断)しない。そうしてしまうと、自己卑下になったりしてしまう。デカルトだったら、そう考える。

「自信」や「卑下」をコントロールするには

デカルトの墓

日本語の「基準」=英語の「クライテリア」は、ソクラテスやプラトンが使っていた古代ギリシャ語の「クリネイン」という動詞からできている。「クリネイン」は、分けるという意味。つまり、基準があるからこそ何かと何かを区別、分けることができる。ある基準があるから、その基準に照らして身長が高いとか、低いとか。ある基準に照らしてお給料が高いとか低いとか。その基準は「月給20万円」であったり、「身長180センチ」であったり。その基準が変われば、今まで身長が低いとされていた人は高い方に区別される。自分の判断基準を他人に任せずに、失わない。しかし、失わないと同時に、それを柔軟に変えていく。

これが、「自信」や「卑下」をコントロールする方法。

石井:文化によって違いはあるものの、日本人だからとか、フランス人だから、という国籍は関係なく、すべての人に当てはまる考え方なのですか。

津崎:判断基準をしっかりさせることは、フランス人であるから、日本人であるからではなくて、人間だったら全員やらなければいけないことだ、というのが哲学者デカルトの考え方。ただ、判断基準は文化によってかなり左右されるから、そこで軋轢は生じる。フランス人的な考え方を持っている人か、日本人的な判断基準を持っている人か。あるいは、日本の中だって、関東的な判断基準や、関西的な判断基準がある。外国だったらこういうふうにするんだと思ったら、やっぱり自分の判断基準を広げなければいけない。

日本だったら「結婚してるんですか?お子さんいるんですか?」とか、すぐに聞くけれども、フランスだったら急にプライベートな質問をぶつけるのはご法度になる、というなら、「ああ、そういう世界もあるんだな」と自分の判断の基準を変える。臨機応変に対応できるように。

 自分が常にきちんした判断基準を持っていて、きちんと物事をとらえて、とらえたところに応じて意志をうまく使用できていると、つまりきちんと判断を下せていると、どういう人間になれるかというと、たとえ相手が夏でも皮のコートを着ていても、それがその人の判断で、その人の知性と意志の結果、そういう判断をして皮のコートを着ているわけだから、その人を尊重できるようになる。自分が常にそうしていたら、相手の判断も尊重できる。でも、自分の判断基準を常に誰かに委ねている人は、その人の判断でその人を見るから「おかしい」となる。「夏は暑いから、半袖シャツに半ズボン」という、誰が決めたか分からない判断基準に自分を委ねている人は、「なのに、あの人は毛皮のコートを着るなんておかしい」とか、「ご高齢の女性が赤いマニキュアにミニスカートはおかしい」という判断を誰かがしていて、その判断基準から「あの人はおかしい」となってしまう。

自分の判断基準がある人は、相手もそうなんだろうと思って、結局相手のことも、というか相手のくだした判断も尊重できる。これは結構、大きなこと。

実際にやろうとしたらとても難しいことだが、そこを目指そうとデカルトは言っている。

自分の判断基準を他人に譲っていないか

パリ 凱旋門

フランスで個性が様々なのはなぜなのかというと、おそらくデカルトの教えを生きている人が多いからなのではないか。自分の判断基準を他人に譲っていない人が多い。

「だから、私はこう判断する、だからあなたは私の判断も尊重してもらいたい」。

日本の場合、自分の判断基準を他人に譲りすぎている。その他人の判断で自分のことをジャッジするし、他人の判断でまた別の人のことをジャッジするから、みんなが不幸になる。

「他人の判断基準からすると、私はこんなにひどい」とか。「本当はマニキュアしたいのに、ダメなのかな」とか、そういう、自分のことを卑下する目で他人のことも見て、「あの人、マニキュアしておかしい」とかね。

 石井:自分を変えたいと思っている方や、自分に自信を持ちたいと考えている読者の方々に、今年1年ポジティブに生きていくためのメッセージをお願いします。

津崎:新年にあたり、ポジティブなメッセージということで、一言でいうと、やっぱり「自分を生きる」こと。自分の内なる声に素直になる。自分はどうしたいのか、もっと自分を愛せということです。自分のことを愛するというのはどういうことかというと、やはり繰り返しになってしまうが、判断基準を他人任せにしないとうこと。だけど、独りよがりにならないようにその基準は常に見直していかなければならない。

あの人には恋人がいる、でも恋人がいなければいけないという他人の判断基準があって、それにしばられているから、恋人がいない私は負け犬なんだというけれど、本当に恋人がいる人生って大事なんだろうかと自分の判断基準を問い直してみる。そうすると、自分はもうちょっと一人でもいいかなって、思っている人を、他人は叩いちゃダメだめだ、ということになる。

だって、その人の判断基準でそう考えているわけだから、その人を尊重してあげる。その代わり私のことも尊重してね、と。これは、日本人とかフランス人とかの国籍ではなくて、たまたまフランスに生まれたデカルトという哲学者のメッセージ。

これは、フランス人にも日本人にも向けられた新年のメッセージだと思います。

 (次回に続く:第2回は「嫉妬心をコントロールするには~マイナスの感情を乗り越える方法」予定)

津崎良典先生(左)と筆者(右)

【取材:FNNパリ支局長 石井梨奈恵】

【津崎良典先生プロフィール】
1977年生まれ。2000年、国際基督教大学(ICU)教養学部を卒業。2010年にパリ第一大学パンテオン=ソルボンヌ校にて博士号を取得。2015年より筑波大学人文社会系准教授。2018年、哲学にまったく馴染みのない読者を対象にデカルトの思想を分かりやすく解説した『デカルトの憂鬱——マイナスの感情を確実に乗り越える方法』を扶桑社より上梓。同年4月から一年間の予定でパリ第一大学パンテオン=ソルボンヌ校にて在外研究中。2019年2月より、イマジニア株式会社が運営する「10MTVオピニオン」においてデカルトに関する一般向けの解説動画がインターネットで連続配信。『デカルト全書簡集』(知泉書館)や『ライプニッツ著作集』(工作舎)の共訳者でもある。