「元悪代官」は「今も悪代官」!~与野党に喝を入れる大島衆院議長の思い~

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  • 国会にダメ出し!「元悪代官」憤りの理由とは
  • “悪巧み政治家”は今や絶滅危惧種に?
  • 「越後屋、おぬしも悪よのう」のリアルエピソード

衆議院議長の「異例の談話」と「苦言」

大島理森衆議院議長は去年12月に福岡で行った講演で、外国人労働者の受け入れを拡大する法案(入管法改正案)をめぐる与野党の攻防を振り返り、「与野党には合意形成に努めてほしかった」と苦言を呈した。三権の長の一人である衆議院議長がこのような苦言を呈することは異例だ。

講演する大島衆院議長(2018年12月21日 福岡市)

だが、大島氏が苦言を呈したのはこれが初めてではない。大島氏は、去年の通常国会が閉幕した際には衆議院議長として談話を発表した。森友学園問題を巡る財務省の文書改ざんなどを取り上げ、「民主主義の根幹を揺るがす問題だ」と厳しく指摘したうえで、次のように締めくくった。

「第一義的な責任は、もちろん行政府にあることは当然でありますが、しかし、そのような行政を監視すべき任にある国会においても、その責務を十分に果たしてきたのか、国民の負託に十分に応える立法・行政監視活動を行ってきたか、については、検証の余地があるのではないでしょうか」(衆議院議長談話、2018年7月31日)

国会にダメ出しする「元悪代官」

大島氏は、国会に対して厳しくダメ出しをしているのである。懸念しているのは、文書改ざんや厚労省の不適切データ問題、防衛省の日報問題など、行政府と立法府の緊張関係の上に成り立つ議院内閣制の前提が崩れていることと同時に、国会のチェック機能そのものも失われていやしないかということだ。

この大島氏の懸念にもかかわらず、その後の臨時国会でも、入管法改正案の審議を巡り与野党の対立はエスカレートするばかりだった。法案の不備を指摘する野党と、外国人労働者を受け入れる重要性を指摘する政府与党の溝は埋まらず、野党の国対委員長が、裁定を求めて大島議長のもとに駆け込む事態に発展した。そこで大島氏は、法律の施行前に政省令を含む全体像を国会に報告させ、その報告について法務委員会での質疑を行うよう与党に求めたのである。異例の議長あっせんだ。

野党6党派が大島衆院議長に申し入れ(2018年12月10日)

大島氏のもとに与野党を問わず議員が駆け込むのには理由がある。大島氏が「悪代官」と呼ばれていた自民党国会対策委員長時代の実績と相手が納得するまで話を聞く姿勢が、党を超えた厚い信頼に繋がっているからだ。

そもそも「国対政治」とは何なのか

大島氏は、議長に就任する前は自民党の国対委員長を2度務め、通算在任記録は1430日で党歴代一位だ。国会対策委員会とは、いったい何をしている所なのだろうと思う方もいるかもしれないが、実はこれは各党が設置している「非公式の機関」である。法案の審議や本会議の議事進行などは国会の議院運営委員会で正式に決定される。が、その正式決定に至る交渉、前さばきを行うのが各党の国会対策委員会であり、そのトップである国対委員長だ。

国対は交渉の過程が表に見えにくいことから密室政治との批判を受けることもある。一方で、法案審議の進め方など、与野党が正面からぶつかっていつまでも結論が出ないような場合に、国対委員長が調整に乗り出す仕組みは「機能すれば」合理的な手法と言える。大島氏は今、議長という立場上はっきり言えないだろうが、元国対委員長として本音では現在の国対委員長らの動きを歯がゆく思っているに違いない。

「何でもかんでもワシのところに持ってくるんじゃない。与野党でよく話し合いなさい」というお叱りの声が聞こえてきそうである。では、大島氏はなぜ国対委員長時代に悪代官と呼ばれたのだろうか。そのルーツをひも解くと、大島氏のいまの憤慨の理由が見えてくる。

“悪巧みする政治家”は絶滅の危機

「越後屋、おぬしも悪よのう・・・」
「いえいえ、お代官様ほどでは・・・」

 昭和の時代劇でよく聞いた“悪巧み”のお決まりフレーズだが、この代官と越後屋の関係は、永田町では10年ほど前の自民党の国対委員長・大島氏と、パートナーの漆原良夫公明党国対委員長の関係を語る際に用いられた。大島氏が悪代官、漆原氏が越後屋といった具合だ。

漆原良夫 元公明党・国対委員長

2人が「悪代官」「越後屋」と呼ばれた理由は諸説あるので、念のため解説する。

(1)大島、漆原両氏そろっての人相の悪さから称された。
(2)両氏が昼夜問わず頻繁に密会を重ね、国会対策を練ったことから称された。
(3)上記の2要素をふまえ、「両氏自らが互いに呼び合う」ようになった。

当時、番記者として両氏の取材をしていた私の結論は(3)である。

大島・漆原両氏は、悪代官と越後屋を自称して様々な策=悪巧みを駆使し、当時の民主党と話をつけ、ねじれ国会などの難しい状況を巧みに運営した。時代劇での悪代官と越後屋の悪巧みは、ある種の談合=悪として描かれるが、国会における彼らの悪巧みは、法案審議を円滑に進めるための「必要悪」だったと私は考えている。いま国会で、悪代官―越後屋のようなやり取りを目にすることはほぼない。与野党の国対間のやりとりも、次のような落としどころのない、平行線のものがほとんどだ。

「なぬ、強行採決するなんてケシカラン!徹底抗戦だ」
「いえいえ、審議は十分尽くされているので採決に応じてください」

今なぜ大島氏の発言力が増しているのか。それは昨今の国会の空転、混乱続きの状況を見るに、国会議員のなかに大島氏のような“悪巧み”をする人材、巧みに国会運営のかじ取りをする人材が著しく減少し、絶滅しかけているからだと言っていい。

与野党の建設的な話し合いの機会が乏しく、互いに着地点を見いだせず、結果、駆け込み寺のように議長のもとを訪れる様は、国会の機能不全と言われても仕方がない状況と言える。

「おぬしも悪よのう」のリアルエピソード

実は、大島・漆原両氏が悪代官と越後屋の強固な関係を築くうえで、もうひとり、別の重要な役者がいた。当時の民主党の山岡賢次国対委員長である。小沢一郎氏の側近であり、人相面でも大島氏、漆原氏に引けを取らない、党きっての策略家だった。

山岡賢次 元民主党・国対委員長

大島氏、漆原氏、山岡氏は、自公政権下で侃々諤々の協議を続けるなかで、濃密な関係を築き上げてきた。国会運営をめぐり、首を縦に振らない山岡氏に対し大島氏が説得を重ね、漆原氏も山岡氏との接着点を模索した。時には日に何度も三者が顔を突き合わせ、互いの信頼関係を築き上げていった。党派を超えたこの三者の関係は、自民党が下野し、山岡氏が与党の国対委員長になった後も続いた。こんなエピソードがある。

民主党政権下のとある日、山岡氏と相対していた漆原氏の目の前で、おもむろに電話をかける山岡氏。この日も、大島氏、漆原氏と国会運営をめぐり折衝を続けていた最中だった。

「この件については自公と合意しましたからね」

 電話の相手は鳩山首相だった。山岡氏がこのように伝えると、鳩山首相は「これは小沢幹事長も了承しているのですか?」と問うた。山岡氏は「もちろんです」と言い、鳩山首相は「それなら大丈夫です」と言って、電話を切った―。

実はこのとき山岡氏は、小沢幹事長に「了承を取っていなかった」のである。

 当時の懸案に対して、悪代官と越後屋が山岡氏を説得し、山岡氏も両氏の意をくんでシレっと了承を取り付ける。対立の先に合意を見出そうする姿は、まさに「おぬしも悪よのう」の世界だ。当時を振り返り、漆原氏はこう語る。

「国対委員長同士が決めたことを、党のトップや官邸にひっくり返されたことはないねぇ」

そして、いまの与野党の攻防、国会運営についてこうクギを刺す。

 「大島さんに国対委員長みたいことをさせちゃいかんよ」

「51対49」の精神

大島氏は国対委員長として、「51対49」で勝てればいいという信条を持っていた。相手(野党)に譲れるものはしっかり譲る、相手の言い分をとことん聞く。議長になったいまもその信条を貫いているのだろう。会期内の法案成立を優先した与党の強引さが際立つ国会運営も、また国会を遅延させることに主眼を置いた野党の戦術も、そろそろヤメにしてほしい。

年明けの1月10日、玉川大学で講演した大島氏は、学生から「国会の行司役として心がけていることは何か?」と質問され、こう答えた。

 「やっぱりきちっとした野党の存在があることが、民主主義には非常に大事なことだと思うんです。野党に『頑張ってくれ』と時々言うんです」「そして与党に対しても、ちょっと行き過ぎれば「ちょっと行き過ぎだよ」と言わなきゃならん」「目線は国民の皆さんに置きながらジャッジをしていかなきゃならんと思っています」

講演する大島衆院議長(1月10日 東京・玉川大学)

新しい元号になる今年、果たして国会は変わるのだろうか。そして、大島議長のボヤキが収まる日は来るのか。厚生労働省による「毎月勤労統計」の不適切調査問題は確実に与野党攻防の焦点になるだろう。政局を超えて、与野党のチェック機能は果たされるのか。通常国会はまもなく召集される。

(政治部・官邸キャップ 鹿嶋豪心)

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