村田修一が明かした戦力外通告のウラ側…なぜ男たちは今年引退を決めたのか?

  • 戦力外通告受け巨人を退団した村田修一さんのホームラン秘話
  • 松坂世代の面々が、引退について松坂選手と話した内容を明かす
  • 巨人軍に伝わる『ミスターのハンドパワー』伝説とは?

毎年盛り上がりを見せるドラフト会議。今年は甲子園を沸かせた大阪桐蔭高校の根尾昂選手や、金足農業高校の吉田輝星選手などがプロ野球の世界へ飛び込み話題となった。

一方で、毎年プロ野球の世界を引退し、次の世界へと進む選手たちもいる。12月16日放送の『ジャンクSPORTS』(フジテレビ系列)には、今シーズン限りでプロ野球を引退した、村田修一さん、杉内俊哉さん、山口鉄也さん、ゴメスこと後藤武敏さんの4人の名選手が集合した。

悔しかった戦力外と引退

小学5年生の頃に書いた作文に、将来の夢は「プロ野球選手」と書いた村田さん。野球の名門、東福岡高校のエースで主砲として甲子園に2度出場し、中日ドラゴンズの松坂大輔選手、今年引退した杉内さんらと高校日本代表にも選出された。

プロ入り後は2007年と2008年に、2年連続でホームラン王を獲得し、2011年のオフに杉内さんと同時期に巨人に移籍すると、巨人の第76代四番打者として、リーグ3連覇に貢献。
2017年は、新外国人の加入により、出場機会が限られる中、118試合出場、打率0.262、打点58、そしてホームランを14本打つ活躍をしたが、突然の戦力外通告を受けた。

様々な移籍先の噂が立ったが、結局所属先が決まらず、独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーを続け、プロ野球12球団からのオファーを待ち続ける道を選んだ。しかし契約期限の7月31日になってもオファーは届かず、村田さんは37歳でバットを置いた。

そんな村田さんは、この日スタジオに来ていた他の3人のメンバーと違い、「まだやれる」と思っているという。巨人から戦力外となったときも、「戦力外となって、すぐ興味あるチームなどが新聞とかに出たので、僕も体は動きますし、野球は続けたいなとは思っていましたけど、皆さん引いていって…。こういう面構えが理由なのかどうなのか…」と冗談をいいながら、悔しさをにじませていた。

一方、同じチームにいた杉内さんは、戦力外を受けた後の村田さんの真摯な対応に驚いたと言う。

「正直びっくりでしたけど、その後の村田の対応というのは凄かったと思います。球団納会にもちゃんと出席して、普通ああなったら俺はもう行かないよとなるんですけど、村田の場合はちゃんと行ってゴルフも回って、お酒もみんなで飲んで、みんなの前で一言話して退団したので、凄いなと」

村田さんと言えば、ホームランバッターとしての伝説もあるが、他選手の引退試合でホームランを撃ってしまい、“変な空気”を作ることも多かったという。

2007年10月6日、広島を支えた大投手、佐々岡真司さんの引退試合では、誰もが“有終の美”を期待する中、9回2アウトで打席に立った村田さんはホームランを打ってしまう。
さらに2010年9月3日の試合は、阪神が優勝争いの真っただ中だったため、9回2アウトを迎えた場合のみ矢野燿大さんをキャッチャーで出場させるという、変則的な引退試合だった。阪神リードの9回、村田さんは逆転ホームランを打ってしまい、矢野さんは引退試合に出場することができなかった。

MCの浜田さんが、なぜそんな中でもホームランを打ってしまうのか尋ねると、そこには驚きの事実があった。

佐々岡さんの引退試合の際、村田さんはホームラン35本で4人が並んでいたホームラン王争いの真っ最中だったという。そのため、佐々岡さんは事前に真剣勝負をしたいと言ってくれていたそうだ。
「そうは言っても暗黙の了解があるのは僕も知っているので、まず1球見てストライク。2球目佐々岡さんの縦に割れるカーブが来て、それを見て本気なんだなと思って。それで3ボール1ストライクから、最後はその日の新聞に直球で勝負するって書いてあったので、『絶対直球が来るな』と。引退試合でフォアボールはないので間違いなく直球だなと思って、おりゃあ!って振ったらああいう打ち方になった。でもその36号ホームランで、1本差で初めてホームラン王になったので。その後佐々岡さんが、『これで踏ん切りよく辞められるよ』と言っていただいて」と明かした村田さん。では、矢野さんのときはどうだったのだろうか。

「あの時も4打席目くらいに回ってきたんですけど、球場も矢野さんの引退試合の雰囲気で、これ俺また打っちゃったらやばいなと思いながら、この辺振れば三振するだろうと思って軽くポンと振ったら当たっちゃったみたいな…。実況の方も『いくな!いくな!』と言っていましたけど、僕も走りながら『いくな!ヤバい!ヤバい!あー行っちゃったよ』と…」

リラックスし過ぎて、理想のフォームでバットを振ってしまったとの言い訳で、スタジオを笑わせていた。

松坂選手と交わした言葉の数々

プロ野球史上、最速で2000奪三振を達成した杉内さん。
1998年の夏の甲子園に、鹿児島実業のエースとして出場して、なんとノーヒット・ノーランを達成。
その後、社会人野球を経て、2001年に福岡ダイエーホークスに入団し、2年目から先発ローテーションとして定着すると、“魔球”と称されたスライダーを武器に、2005年には18勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、そして投手として最高の名誉である沢村賞を受賞する活躍を見せた。
そして、2011年オフに4年総額20億円の大型契約でジャイアンツに移籍。2014年には2000奪三振を達成し、3年連続二桁勝利で、リーグ3連覇に貢献するなど、まさに順風満帆だった野球生活だったが、移籍4年目に右股関節痛を発症し戦線を離脱。腰回りの3カ所にメスを入れるというプロ野球選手としては前例のない股関節形成手術に踏み切った。
その後再起を図り、3年にもわたる懸命なリハビリを続けたが、再び1軍のマウンドに戻ることなく、通算142勝で17年のプロ生活に幕を下ろした。

そんな杉内さん、「もらう価値ないなと思っていたんで」と、自らの給料を下げる交渉を巨人としていたという。推定5億円の年俸から、90%マイナスとなる4億5千万円の減俸について、妻は「かなり減るけどなんとかなるでしょ」とフォローしてくれたと明かした。

さらに松坂世代の杉内さんは、松坂選手に引退会見の当日に電話で引退を伝えると「松坂が『俺はもう少し頑張るよ』と言っていたので、『5年10年頑張って』ということは伝えました」と話した。

「まさかあそこで泣くとは思わなかったんで。松坂の涙を見たの初めてだったんで、僕もすごく感動しましたね、自分のことなのに」と話す後藤さんは、松坂選手と横浜高校時代でチームメイトだった。
松坂選手らと共に、甲子園で春夏連覇すると法政大学に進学し、東京六大学のリーグ戦で三冠王に。2002年に入団した西武ライオンズでは、松坂選手と再びチームメイトになった。しかも、開幕戦になんと4番でスタメンデビューを飾ると、この日マウンドにあがったのは、松坂選手。横浜高校以来、2人そろっての出場は大きな話題となった。
2011年、横浜ベイスターズに移籍すると主に代打の切り札として6年間プレー。しかし、怪我の影響もあり、近年は1軍での出場が減少し、今年引退をすることとなった。

9月22日、松坂選手のいる中日戦の後に行われた引退セレモニーでは、横浜高校時代の盟友・小池正晃コーチと花束を持って現れた松坂選手。その目には、涙を浮かべていた。

そこでは、松坂選手から「長年お疲れさま」と声をかけられ、後藤さんは「松坂世代のトップとして最後まで現役でいてほしい」と返す男同士の深い友情を感じる会話があったそうだ。

長嶋終身名誉監督のハンドパワー

現役時代には「打たれる気しかしなかった」と笑いながら話した山口さん。実際にマウンドに上がった際も、内野の村田さんなど対して「ヤバいっす、ヤバいっす」といい続けていたという。

高校時代は地元・横浜商業で神奈川県ベスト8まで進むも、ほぼ無名の存在だった。ドラフトにかからなかった山口さんは、単身アメリカに渡り、4年間マイナー生活を送るも、メジャー昇格は叶わず、2005年に無念の帰国。
すると、記念受験だったという巨人の入団テストにまさかの合格をして、この年から始まった育成選手制度で、プロとしてのキャリアをスタートさせた。

プロ2年目の2007年に、その才能が開花し中継ぎの絶対的存在として、大車輪の活躍を見せた山口さんは2008年には育成枠出身として初の新人王を獲得した。
その後もブルペンの中軸として、2008年から9年連続60試合以上登板というプロ野球記録を作ったが、勤続疲労の影は確実に忍び寄り、ここ数年は故障がちになり、今年引退を決めた。
生涯成績は642登板、52勝、27敗で、324ホールドポイントというプロ野球記録を成し遂げた。

そんな山口さんの入団時の推定年俸は240万円。しかし、2012年には100倍となる2億4千万円に。さらに最高3億2千万円と133倍まで上がり、これもプロ野球の歴史上最高記録となっている。

この活躍について、山口さんはジャイアンツに伝わる“ある伝説”を教えてくれた。それは『ミスターのハンドパワー』。

「長嶋終身名誉監督が春のキャンプに視察に来るんですよね。その時にピッチャーの中では長嶋監督にちょっとでも触ってもらったら、その年はすごく活躍するという伝説がありました。それで、(キャンプ中に)長嶋監督と話す機会があって、左肩をポンポンと触ってもらったんですよ。『ウオー!きたー!』って思って、内海さんとかの方見たら驚いていて、『やったな!』みたいな感じで。それでその年は良い成績を残せました」

実際に山口さんが触ってもらった年は、防御率が0.84、72試合登板で44ホールドポイント、最優秀中継ぎ投手を獲得したという。さらに杉内さんも巨人移籍1年目に触ってもらい大活躍を見せていた。

番組ではさらに、共に野球の練習を続ける愛息子から村田さんに書かれた手紙が読み上げられ、村田さんは男泣きを見せていた。

引退をすると次の人生が待っている。
仲間や家族に支えられ、これからも大活躍する男たちの姿が見られそうだ。

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送

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