大学生の半数は“キャラ”を積極的に使い分けている!? 調査してみたらリアルな人間関係が見えてきた

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  • 大学生の53%が「キャラクターを使い分け」してコミュニケーションしている
  • 仕方なくというよりむしろ積極的に使い分けている
  • 専門家「SNSの普及はキャラの使い分けに強く影響している」

自分らしさ重視?大学生の“キャラ分け”

「いじられキャラ」「盛り上げキャラ」など、その人が持つ個性を示す「キャラクター」。

クリスマスから忘年会に新年会とイベントが続く中、ぜひ欲しいのは「盛り上げキャラ」だろうが、「自分は複数のキャラを持っている…」と意識している人はどれくらいいるだろうか。

そんな中、「大学生意識調査プロジェクト FUTURE2018」から12月3日、「キャラクター」に関する興味深い調査結果が公開された。

「大学生の人間関係とキャラクターに関する調査」によると、大学生の53%が他者とのコミュニケーションにおいて「キャラクターを使い分けている」というのだ。

2018年7月9日~30日にかけて、青山学院大学・駒澤大学・上智大学・専修大学・千葉商科大学の1~4年生男女1000人を対象に行われた調査。

社会人の場合は、上司と友人、それぞれと話すときにまるきり同じ態度という人は少ないだろうが、今回の調査はあくまで大学生の「自分が所属するグループの中でのキャラクター」について聞いたもの。
「使い分けていない」と回答した47%は「そもそもキャラクターを作っていない」タイプだという。

別の項目では、大学生がキャラクターを使い分ける理由にも注目している。
キャラクターを使い分けていると回答した530人のうち、最も多かった意見が「自分の立ち位置を作るため」(49.9%)というもの。
続くのは「周りの人に歩み寄るため」(34.5%)、「より多くの人と安定的な関係を築けることに魅力を感じるから」(32.1%)だ。

「キャラクターを使い分ける人の数」については、「増えたと思う」「やや増えたと思う」と回答したのは87.8%にも上った。
 

では、大学生たちはグループ内で日々気を遣い、嫌々ながらキャラクターを使い分けているのか?というと、必ずしもそうではない。

自分が使い分けているキャラが「自分らしい」と感じている人は61.7%、「半分くらいは自分らしい」と思う人は33.0%で、「自分らしくない」と答えたのはわずか5.3%という結果だった。

アンケート結果を見てみると、「いじられキャラ」と「いじりキャラ」などのまったく異なるキャラクターを仕方なく使い分けるというより、大学生は積極的に「キャラクター」を使いこなしているように感じる。
 

では、なぜいくつものキャラクターを使いこなす人が増えている、と感じているのだろうか?
SNSの普及によって、状況に合わせていくつかのアカウントを“スイッチ”するようなコミュニケーションを得意とする若者が増えているということなのだろうか?

今回調査を行った現役大学生である「FUTURE2018」にお話を聞いてみた。

SNSの普及で、より「キャラ」の違いが見えるようになった

――大学生の「キャラクターの使い分け」には何が影響している?

まず、リアルで人間関係を築くためにキャラクターを使ってきたのは大学入学以前からです。だいたい、対人関係を気にするようになる中学生くらいから、私達はキャラを使っていると思います。

しかし、中学を卒業したタイミングくらいで、みんながスマホを持ち始めると、リアルでは出せない自分の一面をSNSでの「キャラ」として出す人が増えてきます。そのような友人にリアルで会うと「SNS上とのキャラ」が違うと感じることも多いようです。実際、連絡手段とはなっていますが、文面や絵文字で「キャラ」を変える人も多いです。

このように、リアルで以前からキャラを使いつつも、SNSの普及で、より明確になって「キャラ」の違いが見えるようになりました。 それは「キャラ」を作ることに慣れたというよりも、作っている人を見ることに慣れたに近いと思います。

「FUTURE2018」によると、大学生が「キャラクターの使い分けをする人が増えている」と感じているのには
(1)コミュニティの広がり
(2)役割意識
(3)「キャラクター」という言葉の浸透

があるという。

大学生になってバイトを始めたり、“大人”として扱われる機会が増えること、サークルやゼミなどの新しい環境・様々な人と接する機会が増え、「誰にでも同じ態度を取る」ことが難しくなることから自然とキャラクターが増える、という実感があるという。

また、これまで学校で所属していた「クラス」がなくなることで、自分が所属するコミュニティを取捨選択できるようになり、自らが選んだ集団で「自分は“面白い人”がいいのか、“気を遣える人”がいいのか?」と、役割を意識することが強くなることも理由だという。

さらに、「キャラクター」という言葉の浸透も見逃せない。
FUTURE2018は「たとえば、友達からムチャ振りをされた時に『俺そんなキャラじゃないから』などと断る理由にしたり、ある特定の人を友達に紹介する時に『○○キャラみたいな人』と説明するといったように、キャラクターという言葉が一般的に使われるようになったため、キャラクターを使い分ける人が増えたと感じているのではないか」と語っている。

SNSは、大学生がキャラクター分けをするようになった理由というよりも、使い分けるキャラクターをより分かりやすく捉えるツールとしての役割が大きいようだ。

「キャラがあると周りから認められる」

一方で、教育心理学・発達心理学を専門とする、京都大学・日本学術振興会特別研究員の千島雄太氏は、SNSと大学生の「キャラクター分け」の関係について、「SNSの普及はキャラの使い分けに強く影響している」と分析する。


――「キャラクターの使い分け」にSNSは影響している?

SNSの普及は、キャラの使い分けに強く影響していると思います。

もともとキャラクターは、自分の特徴の一部を切り取って表現するものですので、顔が見えないネット上のコミュニケーションに合っているといえます。ネット上では、リアルとは別の人格として振る舞うことも可能なため、実際の人間性とはかかわらず、自分のキャラクターを容易に作り上げることができます。

SNSによってキャラクターを使い分けたり、同じSNSの中でもアカウントを使い分けたりと、以前よりも自分のキャラを作り上げる方法やチャンネルが増えたことも拍車をかけていると考えられます。

また、近年ではゲームやアイドルなどでも数多くの登場人物の中で、一人一人をわかりやすくキャラ立ちさせる傾向があります。そういった情報がインターネットやSNSで共有されていることも、キャラクターが若者の中で自然と取り入れやすくなった一因と考えられます。これらのことは、大学生の中でもキャラクターを使い分ける人が増えたという実感に繋がっていると思います。


――学生のコミュニケーションの中で「キャラクター」はどんな役割をしている?

キャラクターを使い分けている人の中で、ほとんどの人が「自分らしいキャラが作れている」と回答しているということは、それぞれの関係の中で自分らしいキャラを持っているということだと考えられます。
私が行った調査においても、キャラがある人の方がない人よりも、集団の中で自分に役割があるという感覚(自己有用感)が強いという結果が出ています。
つまり、キャラクターがあることによってグループの中で自分が周りから認められるということです。

逆に言えば、それぞれの関係の中で自分の居場所を確保するために、キャラクターをうまく使い分けているとも言えます。このように、キャラクターは「グループ内での位置づけを安定させるためのツール」になっていると考えられます。また、キャラクターによって自らの一面的な特徴をデフォルメすることで、相手が理解しやすく円滑で享楽的なコミュニケーションが生まれやすいという特徴もあります。

今回の回答ではキャラクターを自分で使い分けている人を対象にしていますが、一方で、キャラを嫌々与えられてしまう場合やキャラに沿った振る舞いを強いられる場合もあります。そういった場合は、本来の自分である感覚や、友人関係への満足感が低くなってしまう傾向にあります。

一方で「キャラ疲れ」も増えていく

――今後、大学生の「キャラクター分け」はどうなる?

今後はSNSの普及も相まって、キャラクターを介したコミュニケーションや、キャラの使い分けはより増加していくはずです。自分の一部をあるキャラクターによって特徴づけることへの抵抗は弱まり、むしろそれを楽しむ傾向が強まると考えられます。

一方で、様々なキャラクターを演じることで、本来の私のイメージが拡散してしまい、本当の自分とは何なのかということに悩む人も増えてくる可能性があります。特に「自分に正直でありたい」「一貫した自分を持つべき」と考える人にとっては、キャラの使い分けは負担に感じるはずです。
「キャラ疲れ」という言葉もありますが、このような“キャラに伴うストレス”を感じる人も増えていくでしょう。

さらには、キャラは表面的なコミュニケーションには有用ですが、深い関係を築く際には足かせになる場合もあります。なぜなら、キャラはありのままの等身大の自分を表すものではないからです。
そのため、お互いの深い相互理解を促進するコミュニケーションが、今後減少していく可能性があります。

SNSの普及でキャラを作ることが普通になり、キャラがあることによって周りから認められる。リアルな人間関係でも「いいね」をもらえるようにふるまっているという一面もあるのかもしれない。