アメリカ最後のエリート大統領が逝った

カテゴリ:ワールド

  • エリート大統領だからこそ世界を動かせた
  • 経済、そして第三の候補で再選シナリオが破綻
  • 1992年大統領選は民主党の「スター誕生」の物語

東西冷戦を終結させた大統領

マルタ会談で冷戦終結を宣言 旧ソ連のゴルバチョフ書記長と

アメリカの第41代大統領、ジョージ・H・W・ブッシュ氏が死去した。
1980年代は外交の世界に身を置き、1990年以降はメディアの立場で国際情勢をウォッチしてきた筆者にとって、H・W・ブッシュ大統領は、東西冷戦を終結させ、ドイツ再統一を実現させ、湾岸戦争を勝利に導いた大統領だった。

湾岸戦争

と同時に、初めて取材したアメリカ大統領選挙(1992年)で、ビル・クリントン氏の当選=H・W・ブッシュ大統領の再選失敗を伝えることになった。それは都合7回の大統領選挙の取材と選挙分析の原体験となっている。

最後のエリート大統領

振り返ってみてつくづく思うのは、「H・W・ブッシュ大統領は本物のそして最後のエリート大統領だった」ということ。下院議員、国交回復前の事実上の駐中国大使、CIA長官、副大統領という経歴だけでなく、職務に対する真摯な態度と人柄も特筆に値する。H・W・ブッシュ以降の大統領はと言えば、やんちゃで実利主義の42代クリントン、危なっかしくて頑固な息子の43代ジョージ・W、学者肌で有言不実行の44代オバマ、そして取引さえうまくいけば全て良しの45代トランプだ。何が違うって、高い公職にある者は大義のために謙虚に奉仕しなければならないという自覚の有無だ。「ノブレス・オブリージュ」とも言われるが、その大義とは自らの支持層や利益団体の枠にとどまらず、時には国境も越えて世界規模で考え、そのリーダーたれ!というものだ。当時はアメリカが今とは比べようのない圧倒的パワーを持っていたのだからとんだ時代錯誤に思えるかもしれないが、実はほんの25年前のことだ。

1992年11月の大統領選投票日の夜、筆者はアーカンソー州の首都リトルロックの州知事公舎前から「クリントン氏が勝利演説」を中継リポートしていた。そのしばらく前にヒューストンにいた当時のワシントン支局長から「H・W・ブッシュ大統領が敗北宣言」の一報を受けたのだが、待てども待てどもクリントン氏は登場してこない。後に有名になる「時間を守らない“クリントン・タイム”」の洗礼だった。

H・W・ブッシュの誤算

なぜH・W・ブッシュ大統領は再選を阻まれたのか?
外交安保での成果にあぐらをかき、国内経済の悪化に対し無策だったから。「経済こそが大事なのだ。愚か者!」とクリントン氏の選挙参謀だったジェームズ・カービル氏が喝破した話はすでに神話化している。

加えて保守系で大金持ちの実業家が第三の候補者として選挙戦に参入したことがH・W・ブッシュ大統領の誤算だった。財政再建を重視する共和党支持者、いわゆる「財政保守派」の票などが第三の候補に流れたとみられるからだ。この選挙の各候補者の得票数をみると、クリントン44,909,806、ブッシュ39,104,550、第三の候補19,743,821。保守系の第三の候補に入った票が65%対35%でH・W・ブッシュ氏に行ってさえいれば、得票総数ではブッシュ氏がクリントン氏を上回っていた計算になる(当落を決めるのは大統領選挙人の獲得人数なので、IFの議論でしかないが)。

「スター誕生」の物語に必要な歳月は

妻・バーバラ・ブッシュさんと一緒に

それ以上にトランプ時代の今だからこそ意識しておくべきこと。それは、1992年大統領選挙では民主党に有力候補者は不在だったのに、結果的にクリントン氏がブッシュ再選を阻んだことだ。民主党の予備選は有力視された人たちが軒並み不出馬となり、どんぐりの背比べだった。クリントン氏は初戦のアイオワ州で大敗、しかし次のニューハンプシャー州で僅差の2位を確保し、生き残った。そして、若さや演説のうまさ、経済重視のメッセージなどが効いて、あれよあれよと民主党の大統領候補となり、大統領に当選した。

今、2020年の大統領選でトランプ大統領と戦える民主党のスターが見当たらないと言われるが、「スター誕生」の物語に必要な歳月は1年足らずで十分なのだ。

また、共和党の予備選では、現職大統領に対し保守派の論客パット・ブキャナン氏が挑戦したことが、H・W・ブッシュ大統領の選挙戦略を狂わせた。2020年の予備選挙で共和党主流派がトランプ大統領に挑む事態になれば、それも波乱要因になる。

妻バーバラさんを亡くしてからは体調を崩し入退院を繰り返す日々

H・W・ブッシュ大統領の死去が、大統領選の温故知新に導いてくれた。合掌

(執筆:フジテレビ 解説委員 風間晋)

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