桂歌春さん「苦しいながらも高座を務めてくださり、うれしかった」

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落語家の桂歌丸さんが亡くなったことを受け、歌丸さんの総領弟子、桂歌春さんが記者会見を行い、歌丸さんとの思い出を語った。

桂歌丸門下の総領弟子、桂歌春と申します。

歌丸には歌春、歌助、歌若、歌蔵、そして枝太郎と5人の弟子がおりまして、それぞれ真打ちになっております。

みんなそれぞれ、たくさん思い出を持っております。

それを1つというのは、なかなか難しいんですけれど、私の思い出としては、とても海外旅行が好きな師匠でした。

海外公演で4回。

カナダ・メキシコ・ペルー。そしてヨーロッパ公演を1回。

最後はシンガポールなど、4回経験させてもらったんですけれど、海外へ行くと、何か毎日楽しそうにしておりまして、日本では、いつも歌丸という目で見られることから、多少解放される喜びもあったんじゃないかなと思います。

また、お酒が一滴も飲めない師匠で、まあ、お酒の席は嫌いじゃないんですけれど、酔っぱらいをとても嫌がっておりました。

私もお酒は弱いので、すぐ酔っぱらうのですけれど、日本に居たら必ず小言になるんですが、海外となると『あんたのお酒は陽気でいいね』と、笑って許してもらったのが、楽しい思い出です。

高座(こうざ)の思い出は、師匠が寄席で出ると大概トリを務めるのですけれど、朝から超満員で、11時からお客さんは、ずっと待っているわけなんです。

師匠・歌丸は、4時に高座に上がるんですけれど、私はちょうどその2・3本前に出させてもらって、11時からずっと待っているお客さまは、歌丸師匠を見たいという気持ちは、みんな持っていらっしゃるんですね。

その2・3本前で総領弟子の私が出てきて、私が開口一番、『歌丸登場までもうちょっとの辛抱です。お待ちくださいね』と言うのが、私の鉄板のネタと言いますか、お客様も『俺たちの気持ちがわかるのか』という感じで笑ってくれたのが、もうできなくなるのが寂しいです。

(歌丸師匠が)呼吸器のCOPD(慢性閉塞性肺疾患)を患って、酸素のチューブをつけて高座に上がるのを、最初はとても嫌がったんです。

苦しいけれど、高座の40分~50分は頑張ってつけないで上がっていたんですけれど、なかなかそれがかなわなくなってきたときに、『私はチューブをつけてまで高座に上がりたくない』ともらしたんです。

そのとき、私が『師匠。でも街中ではチューブをつけて、ボンベを引っ張りながら歩いている方が大勢いらっしゃいます。そういう方が、歌丸さんも高座でああやって頑張っているという姿を見たら、力づけられるんじゃないんですか』と、生意気に意見を言いました。

そのときは『いやいや』と言いながらも、その数日後には苦しいながらも高座を務めてくださって、私はうれしかったです。