離婚・借金・がん…まさに“人生いろいろ” 島倉千代子の今明かされる素顔

  • 夫が残した借金、さらに実印を渡した相手が残した借金を背負うことに
  • 「歌いたいから元気になります」乳がんが発覚、そして克服
  • 最後の新曲のレコーディングは死の3日前だった…

戦後復興という激動の時代で、歌で人々を癒し続けた一方で、“不幸のデパート”とまで言われた歌手・島倉千代子さん。

この世を去ってちょうど5年となる11月8日放送の「シンソウ坂上!」(フジテレビ系)では、これまでに語られてこなかった島倉さんの75年の人生に迫った。

美空ひばりに憧れて16歳で歌手デビュー

1955年(昭和30年)。戦争が終わって10年が経ち、成長期を迎えた日本。

一般の家庭に、テレビや洗濯機、冷蔵庫という“三種の神器”が普及し始め、少しずつ生活が豊かになり出したこの年に、大スターだった一つ上の歌手・美空ひばりさんに憧れて、16歳でデビューしたのが島倉さんだ。

デビュー曲『この世の花』は、200万枚の大ヒットで華々しいスタートを切った。

伸びのある高音と細かく震える歌い方は“なき節”と呼ばれ、島倉さんの代名詞と言われた。さらに、特徴的だったのが歌に添えられる“語り”。戦争の傷跡を引きずりながらも、ひたむきに復興を目指す日本人の心を鷲づかみにした。

明るく歌うひばりさんと、儚く歌う島倉さん。この二人の存在が、戦後の歌謡界を二分した。

夫の事業が失敗し、借金を背負うことに

1963年(昭和38年)、東京五輪を翌年に控え、街中が建設ラッシュに沸く中、人気絶頂の島倉さんは25歳で有名なプロスポーツ選手と結婚した。

このスター同士の結婚は、当時の世間を賑わせた。

結婚を機に歌手活動をセーブし、夫に合わせて大阪へ移り住み、主婦業中心の生活を送ることになった島倉さん。

しかし、16歳から芸能界で活躍する大スターゆえに、結婚生活では苦労していた。さらにこの結婚が、後の島倉さんの人生を狂わせることとなった。

慣れないながらも主婦として頑張っていた島倉さんは待望の妊娠をするが、引退後に夫が始めたクラブ経営が失敗し、借金6000万円を島倉さんが背負うことに。

大好きな歌を辞めてまで母になろうとした島倉さんだが、借金を返済するために歌手活動を再開。そして、働くために『中絶』という苦渋の決断をする。

結局、結婚5年、30歳で離婚。島倉さんは、睡眠薬による自殺未遂まで起こし、残ったのは莫大な借金だけというまさにドン底だった。

実印を渡した相手に夜逃げされ、さらに借金を背負う

ただ、島倉さんを襲う“不幸”はこれだけではなかった。

離婚後、新たに付き合い出した医師の男性に、不動産事業の連帯保証人になってほしいと相談を受け、世間をあまり知らない島倉さんは、相手に実印を渡してしまった。

結局、男性は4億円もの借金を残して夜逃げをし、連帯保証人となっていた島倉さんがすべてを背負うこととなった。

しかし、島倉さんの態度は意外なものだったという。

30年来の元付き人・綿引あつ子さんは「彼のことを悪く言ったことは全然聞いたことなかったです。もう前進のみ。歌って私が返していくという気持ちですね」と明かした。

その思いとは裏腹に、借金は利子などを合わせて16億円まで膨らんだ。

島倉さんは、返済のため知人を頼り、昼はコンサートや歌の収録、夜はキャバレーやスナックを回ったという。

10歳の頃から島倉さんを母親のように慕っていた小林幸子さんは、「当時、本人から聞いた話では、新宿コマ劇場でずっと定期的にやっていたんですが、『サチね、新宿コマで歌っているときが一番ホッとするの。借金取りも舞台に来ないし』って。『だから、一番お客様に守られているから、それがすっごい楽なの』と話していました」と語った。

そんな借金返済の真っただ中に、歌手生活30周年パーティを開催。そこに現れたのが、島倉さんがあこがれ続けたひばりさんだった。

この時にひばりさんが贈った「もう決して人に騙されることのない人生を送って頂きたい。実印は絶対に離しません!」というお祝いの言葉は当時、世間の大きな話題となった。

そんな島倉さんの人生を知った作詞家・中山大三郎さんと一緒に作り、生まれたのが1987年(昭和62年)、49歳の時に発表した名曲『人生いろいろ』。

時代はバブル景気真っただ中で、この歌は130万枚の大ヒットを記録。

そして、借金を返し続けること10年以上…ついに16億円とも言われた借金を完済した。

この名曲の誕生した背景に番組MCの坂上忍は「『人生いろいろ』がノンフィクションの歌だって知らなかったので、それを知ってあの歌を聞いたら聞こえ方が全然違います」と驚きを隠せないでいた。

また、小林さんも「でも(島倉さんは)明るく歌ってるでしょ?すごいと思います」と感動していた。

やっと借金を完済したのに…がんを発症

そんな島倉さんに更なる悲劇が襲った。

1993年(平成5年)、島倉さんは54歳で乳がんを発症した。

がんを告白した当時の会見で島倉さんは「私の中で“がん”という言葉は、イコール死に繋がるもの」と明かし、これまでの人生を振り返り、「いろいろありすぎます。やっといろんなことが終わって、やっと心静かになった時だったので、がんにはなりたくなかったですね。私にはありがたいことに歌がありまして、歌が好きだから、歌いたいから元気になります」と述べ、最後にはこらえていた涙があふれた。

その後、手術を行い、毎日続く放射線治療にも必死で耐え続けた島倉さんは、1か月に及ぶ、辛い放射線治療を終え、乳がんを克服した。

そして、退院から約24日という早さでコンサートに復帰した。さらに、活動の幅を広げて、バラエティでも活躍し、持ち前の天真爛漫さがうけて人気者となった。

歌手人生をかけた死の3日前のレコーディング

だが、島倉さんを再び病が襲った。

2010年ごろに肝臓がんを発症し、3度の手術を受けるなど必死に闘っていたという。

闘病中の島倉さんだったが、2013年(平成25年)、75歳の誕生日には、レコード会社の人気歌手が一堂に会した記念コンサートに出演し、出演者たちから祝われ、元気そうな姿を見せていた。

乳がんの時とは違って、病状について沈黙を貫いたのは、2014年に歌手活動60周年コンサートを予定していたからだった。それが島倉さんの目標であり、周囲に病気が知られると、治療を勧められ、舞台に立てなくなると恐れたため、誰にも言うまいと心に決めていたという。

そんな島倉さんは、かねてからのファンだった南こうせつさんに、歌手生活60周年で歌いたい新曲の依頼をする。

島倉さんの楽曲『からたち日記』の中で、「このまま別れてもいいの?」と語る島倉さんにインスピレーションを受けたこうせつさん。「またかわいい声で。こんなかわいい人がいるんだったら、そのまま自分の作品にしようと思いました」と明かした。

コンサート中にこうせつさんの元を訪ねた車いす姿の島倉さんの姿を見て、こうせつさんは予定よりも早く新曲を作り上げる。

そして、完成した新曲『からたちの小径』。

レコーディング日が迫る中、その半月前に島倉さんから、こうせつさんの元に電話があったという。

こうせつさんは「『もうすぐレコーディングですね、頑張りましょう』という話かと思ったら、『その日を待てない』と。声だけでも録っておきたいって。これは尋常じゃないと思いまして、島倉さんの自宅に録音機材を運ぶ段取りをつけました」と明かした。

島倉さんの体力を考え、10日早めたレコーディング。こうせつさんは、島倉さんを気遣い、近くで待機していた。

こうせつさんは、島倉さんがスリーコーラス歌えるか、いても立ってもいられなかったというが、島倉さんはフルコーラスを3回歌い切り、その歌声は闘病中とは思えないほど、気力あふれる声だったという。

「スタッフからすぐに電話があって、歌えたって。本当に安心しました。『声だけでも残しておきたい』と島倉さんが言った。彼女は本当に歌手のプライドを持ってやり遂げたんです。完璧ですね、あり得ない、奇跡かな…」と振り返った。

レコーディングを終え、島倉さんから直接お礼の電話があったと明かす。

「夕方本人が直接話したいということで電話に出ました。で、泣かれたんですね。それで『皆さんに感謝します』って、だから『待ってくださいって。もうちょっとしたら本式のスタジオ押さえてます。それまでに体調を整えて、今度さらに自由に歌ってください』と言ったんですが、いま思い出すとそれに対して島倉さんは答えてなかった。何かを感じてたのかな。そしたらその日の夜に昏睡状態に陥って、その3日後に亡くなったんです…」

2013年11月8日。島倉さんは75年の人生に幕を下ろした。

小林幸子さんに贈った指輪に込めた思い

島倉さんの葬儀には交流のあった歌手など3000人が集まり、死の3日前に収録された最後の歌と最後のレコーディングで収録された肉声が披露された。

意識を失う数時間前に命の限りを尽くして吹き込んだ新曲に、こうせつさんは「(島倉さんは)いろいろなことを体験したんです。でも、あのコロコロしたかわいい声と微笑みは変わらないんです。普通、人間がああいう体験をするとまず顔が変わります。それから声が出なくなるんです。でも、最後の最後まであれはあり得ない。奇跡です。もう泣けてきますよ」と目を潤ませた。

小林さんは母と慕う島倉さんからもらった、一生大事にしたいものがあるという。

それは島倉さんとペアの指輪。飾りの部分がひっくり返り、その裏には「忍」と書かれている。

「人生は、何があっても忍びなさい。何にも言わずに忍びなさい。どんなことがあっても忍耐。何しろ、余計なことを言わずに、忍びなさいという意味だからね」と、島倉さんが指輪に込めた思いを明かした小林さん。

激動の時代に人々を歌で癒し続けた島倉さんの波乱の人生。

借金やがん…人生の波にもまれながらも、歌を愛し、歌に生かされた人生を全うした。

「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54

直撃!シンソウ坂上の他の記事