どんな記事より命が大事 紛争地取材の課題とトラブル例を紹介する

カテゴリ:ワールド

  • 紛争地の取材はリスクもコストも高い
  • 取材者は伝えるべき事象の目撃者、記録者、証言者だが、当事者ではない
  • 無事帰還して取材の成果を報じるのがジャーナリストの使命

国民保護は国の責務

無事帰国して会見する安田純平さん

安田純平さんの帰国は目出度い限りである。
詳細は知らぬが、日本政府の粘り強い対応が功を奏したのであろう。
“自己責任”ゼロは有り得ないが、同時に国民の保護は国の責務である。
時間は掛かったが、安田さんの無事帰国と我が国政府がその責務をきちんと果たせたことを筆者は素直に喜ぶものである。

この機会に改めて注目を浴びている戦場・紛争地取材の課題とトラブルについて、以下、少しだけ事例を紹介したい。

戦場・紛争地取材のコスト

ボスニア・ヘルツエゴビナ紛争

戦場・紛争地ではリスクが大きいのは言うまでも無い。しかし、同時に、取材する側にとって頭が痛いのはとにかく金が掛かることである。生死に関わるリスクをできるだけ小さくする為の費用の発生が不可避で、これがやたらと掛かるのである。

古い例になるが、1990年代、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボが長期にわたりセルビア勢に包囲され戦闘が続き、欧米を中心に世界中のメディアに注目された時代があった。当時、ロンドン特派員であった筆者も現地入りを目論んだのだが、難題はリスクとそれに対応する装備と費用であった。

セルビア勢は、自分達に不利な報道しかしない西側メディアを敵視、西側メディアのメンバーを撃ち殺したスナイパーに報奨金を出したと言われていた。これに対抗するには装甲車両が必要で、欧米メディアは特注の大型4輪駆動車を現地に持ち込んでいた。その費用を調べると1台辺り優に2000万円を超えることがわかった。

戦場では生命・傷害保険は適用対象外

湾岸戦争

もちろん、それだけでは万全とはいえない。

アメリカのテレビ・ネットワークのプロデューサーが空港から取材拠点のホリデー・インに向かう途中、狙撃され死亡した。彼は車の中、後部座席の真ん中に座っていたらしいのだが、不幸にもその時防弾チョッキを着用していなかったと言われている。

性能の良い防弾チョッキも費用が掛かる。このサラエボ包囲の前、湾岸戦争の時にイギリス軍が使用するのと同じ化学防護服・ガスマスク・防弾チョッキ・ヘルメットを支局で購入したが、この時、ワンセット40~50万円したように記憶している。

加えて難題だったのが保険であった。サラエボは戦場故、通常の生命・傷害保険は適用対象外になる。ロイズ保険組合で特別な戦場保険を手配しなければならなかったのだが、その掛け金が1人当たり1日1,000米ドルという見積もりであった。もちろん掛け捨て。カメラマンやサウンドマンのギャラも高騰し、こちらも1人当たり1日1,000米ドルと言われた。間違いではない。保険もギャラも1人1日1,000ドルだった。

費用が掛かり過ぎた。サラエボ独自取材は結局諦めた。

ボディーガード費用で金銭トラブルも

別の国の話だが、金が関わるトラブルの例としてこんなのもあった。

紛争地取材の為、現地で安全要員・ボディーガード達を手配した。有体に言えばサブ・マシンガンを携えた地元の民兵達を雇ったのである。現地の物価水準が極めて低かった為、見込み費用はそれ程でもなかった。

問題は取材が無事全て終ってから発生した。
ボディーガード達がギャラの分配を巡って内輪揉めを起こしたのである。少し詳しく言うと、悪いのはボディーガード達の元締め的な連中で、ギャラの大半を独占しようとしたのだが、その目論見が他のメンバーに露見して最後のギャラを全部持っていかれたらしい。その額、邦貨にして約150万円と記憶している。

もちろん、取材陣は約束通り対価を支払った。領収証もある。そして、内輪揉めはこちらには関係が無い。しかし、そうは問屋が卸してくれなかった。

現地の1人当たり国民所得は数100ドルというレベルだった。そんな国では150万円は血の気の多い連中にとって命を掛ける価値のある額だったのである。

ギャラを奪われた元締め達は、最初、我々の現場に泣きついてきたようだ。しかし、彼らの尻拭いをする謂れは全く無かったので、現場は黙殺していたようだ。すると暫くして彼らは態度を変え「俺達は約束のギャラを受け取っていない。払え。」と事実無根の難癖を付け始めた。そして、何故か全く異なる第三国に“自称・殺し屋”を派遣して、その第三国の弊社スタッフを脅迫し始めた。

この案件に筆者が関わったのはこの辺りからだが、事態を最終的に収拾するまで2年ほど掛かったかもしれない。“自称・殺し屋”は第三国の警察が逮捕した。それまでの労力&安全対策コストたるや、、、大変だった。

フリー・ジャーナリストへの敬意

シリアのアルカイダ組織

金に纏わる話が続いてしまったが、生死に関わるリスクを可能な限りゼロに近づける為に必要な費用は極めて重要である。ケチってはいけない。

ただし、上記エピソードはアルカイダが本格的に活動を始める前、ISはまだ存在さえしていなかった頃の話である。後藤さんの悲運、安田さんの辛苦とは比べ物にならない。ISが猖獗を極めていた頃ほど酷くは無いかもしれないが、現在のシリア・イラク取材のリスクはより大きく、かつ、質も異なる。

心臓が口から飛び出すような思いというものを筆者が実感したのも戦争取材中のことだったが、こうした現場にしっかりしたバックアップ態勢や非常連絡手段も無しのまま挑むのは、無謀とも言える行為になる。

現地での護衛とスポンサー、そのスポンサーが裏切らないよう睨みを効かせる連絡員と後方支援態勢、これらの全てを、しかも、場合によっては複数、有することは戦場・紛争地取材においてマストだと筆者は考えている。そして、適切な最新装備も不可欠なのだが、フリー・ジャーナリストの多くはこうした条件がほとんど揃わないまま、ほぼ単身で現地に乗り込む。これには相応の敬意を払うべきだと思う。

成果のない取材は失敗

しかし、言うまでも無いことだが、取材の目的はあくまでも報道することにある。
逆に言えば、きちんとした報道に結びつく成果が無ければ、その取材は失敗である。
取材には半日程度で済むものもあれば、何ヶ月・何年と掛かるものもあるが、目的は同じ“報道”である。
取材の場がどんなに異なっても、やはり目的は同じ“報道”である。
取材に出かけたら、然るべき成果を挙げて、無事帰還し、報道する。これが基本である。
それが出来なければ成功とは言えないし、そう言ってはいけない。

また、取材者は基本的に人々に伝えるべき事象の目撃者であり、記録者であり、証言者の役割を果たす。
しかし、当事者ではない。そうなってはならない。そこに突入しようとすれば、相当な確率で、拘束されたり殴られたりすることを承知の上で確信犯的に出掛けて行き、現場で揉めるシーンを隠し撮りして「私は某国公安に殴られた!」と報じるような取材をかつてアジア地域で時折見かけたものだが、こういった手法は間違いなく邪道である。

それに、命が危うくなる場所では誰も決してこんなことはしない。シリアやイラクではもちろん有り得ない。

逃げ帰る勇気も必要

我々は取材・報道する者であって、ニュース・メーカーではない。公平な第三者でなければならない。

この稿のタイトル「どんな記事より命が大事」は、うろ覚えで申し訳ないが、80年代のニカラグア内戦を取材する外国人記者達の溜り場のどこかに書かれていた言葉だと記憶している。無事帰還して取材の成果を報じるのがジャーナリストの使命で、両立が難しければ、帰還を優先すべしという戒めでもあると筆者は個人的に理解している。

それでも不慮の事態は必ず起こる。
だからこそ余計、そして、常に、無事の帰還を優先することを取材者達は意識すべきである。

生死に関わるリスクを嗅ぎ取る能力とそのリスクの大きさを測る能力、そして、より大事なことだが、危険と悟ったら尻尾を巻いてさっさと“逃げ帰る勇気”が、戦場・紛争地取材では特に必要になる。そして、臆病者と後ろ指を差されることを甘受する覚悟も時には持たねばならないのである。

帰還することは取材に出かけることよりも重要と言えるかも知れない。
3年4ヶ月にも渡る監禁生活を耐え抜いた安田純平さんの精神力を称え、その無事の帰還を改めて喜びたい。

(執筆:フジテレビ 解説委員 二関吉郎)

関連記事:二関吉郎解説委員 すべての記事を読む

平成プロファイル 忘れられない取材の他の記事