震災が人生を一変させた…サンドウィッチマンが“芸人人生”を懸けた3つの決断

  • 2011年3月11日、サンドウィッチマンは気仙沼にいた
  • 芸人廃業まで覚悟したという義援金の立ち上げ…
  • 「僕らを見て震災を思い出してください」

1998年にコンビを結成し、今年で芸歴20年を迎えた「サンドウィッチマン」。

あの日、サンドウィッチマンの2人は東北にいた。それが彼らのこれからの人生を変えた。

11月1日に放送した「直撃!シンソウ坂上」では、これまで誰も知らなかった人気芸人の素顔を、番組MCの坂上忍が直撃した。

ロケ中だったサンドウィッチマンは気仙沼で被災

2011年3月11日。

この日、東北でのレギュラー番組の撮影のため、宮城県気仙沼市を訪れていたサンドウィッチマン。地震が発生した午後2時46分は、撮影がちょうど休憩に入ったところだった。

この時にロケに同行していたカメラマンがとっさに撮影した震災時の気仙沼の様子が残されていた。
そこには、慌てて逃げ惑う人々や落下する看板…凄まじい揺れだったことを物語る光景だった。

そして今回、震災当日にロケに同行した共演者が当時の様子を語ってくれた。

ロケで共演していた熊谷育美さんは「伊達さんかな。ちょうど『海の市』で買い物をされていたと思うんですね。伊達さんが戻ってくると、ものすごい揺れが起きて、一人でも立っていられる状態じゃなかった。お二人とも本当に『何が起きているんだろう』という状況で、上を見たり下を見たり…」と振り返った。

地震発生時に、サンドウィッチマンたちがいたのは海沿い。30分以内には10メートルを超える津波が来るとの情報が入り、津波から逃れるために安波山に避難した。

スタッフの迅速な対応で安波山に着いた一同は、そのあと、気仙沼に押し寄せた非現実的な光景を目の当たりにすることになる。さらに夜になると、サンドウィッチマンが昼間にロケをしていた気仙沼の町は火の海になっていた。

震災翌日、サンドウィッチマンは急遽、ラジオ番組に出演。「僕らはどうしようもない」「見ていることしかできなくて」と生々しい様子が二人の口から語られた。

“笑いを届ける”以上に「募金しかない」という思い

そんなサンドウィッチマンが芸人人生を懸けたともいえる3つの決断がある。

一つ目は「義援金の立ち上げ」。

被災してから5日後、東京で『東北魂義援金』という、義援金立ち上げの会見を行った。その会見での表情は普段とは違い、重く固いものだった。

芸人の先輩から「先頭切ってアクションを起こせ」と背中を押されたことがきっかけで、義援金を立ち上げたと明かすが、同時に救いたいけれど何もできない無力さを痛感したことを明かした。

そして、「何かできることはないか」と考えた時に、芸人として“笑いを届ける”以上に「募金しかない」という思いに至り、偶然気仙沼にいて生きて帰ってきたからこそ、震災の当事者として伝えることが“使命”だとも話した。

会見の最後には、「笑い合える日が必ず来る」、「必ずまた笑いを届けられる」と、いつか被災地に笑いを届けることを誓った。

なぜ、募金活動という決断をしたのか、芸人廃業まで覚悟したという当時の心境を坂上に明かした。

「何が出来るかなって思った時に、お金が必要になってくる。現金や通帳を家に置いて避難している人がほとんどだったので、募金を集めようと決めました」と伊達みきおさんは打ち明けた。

ただ、この決断は芸人としては正しかったのか…そう悩んだという二人に坂上も「周りから見れば『偉いね』という色がついてしまう。そう思われていい職業なんだろうかっていうのもありますよね」とその葛藤に共感していた。

「そこは正直『?』でした。芸人としていいのか、僕ら見て笑ってくれる人いなくなるんじゃとか話し合ったんですけど、富澤がそういうイメージが付くかもしれなけど、それを超える面白いことをやればいいんじゃないかって言ったんです。富澤がこういうことを言っているのであれば、全力でそっちの方をやってもまだ間に合うかなって思って」(伊達みきお)

「このご時世、いろんな見方をされる方がいて、“売名行為”という話も出たり…」と坂上が問いかけると、富澤たけしさんは「“売名”ってちょっとショックだったのは、俺らそんなに売れてなかったんだ…」と落ち込んだという。

ラジオ番組への出演…寸前まで悩んだ“入り”

二つ目の決断、それは「ラジオ番組への出演」。

震災から1週間、メディアは災害放送中心の自粛ムードの中で、あるラジオ番組からサンドウィッチマンに思いもよらぬ話が届いた。

それは「オールナイトニッポン特別放送」のMC。

なぜ、この特番を二人に任せたのか。プロデューサーの冨山雄一さんは「震災から3~4日ぐらいは災害報道ということでニュースをやっていたが、サンドウィッチマンさんが募金活動をブログ等で表明していて、東日本大震災に対してラジオとしてのメッセージが出せるのではないか」と考え、放送の前日にオファーしたと明かした。

また、冨山さんは「東北放送という宮城県で流れているラジオも、それまではずっと生活情報を流していたんですが、『サンドウィッチマンのオールナイトニッポンだったら、ぜひ宮城県内で放送したい』というので、お二人もどうやって被災地に向けてメッセージを発信しようか、2時間はかなりハードルが高かったのでこわばっていたような印象があります」と振り返った。

被災地でも放送されるラジオ番組への出演に、サンドウィッチマンが最も悩んでいたことは時報明けの入り。冨山さんは「被災地、被災者のみなさんに寄り添う言葉を発して、気持ちに答えた上で入ってくのが普通なのですが、『オールナイトニッポン』か『被災地に寄り添うラジオ番組』かというところに、ギリギリまで悩んでいたと思います。言葉から入るか、ショートコントか…」と明かした。

寸前まで悩んだというサンドウィッチマン。

放送7分前に伊達さんが更新したブログには、「俺たちの仕事は芸人です。人を笑顔にさせてナンボの世界に14年います。被災地の皆さんに聞いてほしいです。元気に行くぞ!」と想いがつづられていた。

そして、番組のオープニング。サンドウィッチマンが出した結論は「ショートコント」。

この放送を聞いたリスナーたちから「震災後笑ったのは初めて」や「こんな時だからこそ、暗くならずに笑いを届けてください」というメッセージが届いた。

3月18日に実際に放送されたラジオの音声を聞いた坂上は「ラジオの声を聞いていると、富澤くんって伊達くんより慎重な人なのかなと思ってたけど、腹をくくると富澤くんは頼もしいね」と感心していると、伊達さんは「富澤がサンドウィッチマンを引っ張ってます」と笑顔を見せた。

毎日2時間の生放送をやっている坂上は、自分が発した言葉は消せないため、どこまで言っていいのか悩む部分もあると話すと、伊達さんは「特に避難所で聞いている人もいたので、何かにリンクする言葉は避けないといけないと…」と慎重に言葉を選んだといい、富澤さんも「番組が被災地だけじゃなくて全国で聞いている人もいるので、バランスはどうしたらいいのか…」と悩んだという。

そして、伊達さんは「今までの仕事で一番難しかったかもしれない」と振り返った。

「まだ違う…」悩み続けた被災地でのライブ

サンドウィッチマンが芸人人生を懸けたともいえる最後の決断、それは「被災地ライブ」。

実際に東北でお笑いライブをやるまでに約1年半かかった。

伊達さんは「何度も被災地には行っているんですけど、まだ違うな、まだ違うな…」と感じていたというが、何度も行くうちに知り合いができた岩手県の大船渡からライブの誘いを受け、大船渡でのチャリティーライブを決めたという。

震災発生から1年4カ月の2012年7月29日。

サンドウィッチマンが震災後、初めて東北でお笑いライブをすることを決断した。

トラックの荷台がステージで、場所は駐車場というお笑い芸人にとって、決してベストという環境ではなかったが、800人を超える地元の人々の前で念願だった笑いを届けた。

さらに、ライブ終了後にできた長い行列。サンドウィッチマンは地元の人々と一人一人、硬い握手を交わした。

「まだ笑いはいらないのでは…」そう感じていた二人を被災地の人たちは温かく迎えてくれた。

「僕らを見て震災を思い出してください」

そんな彼らは、今でも続けている「東北応援バスツアー」という活動がある。

2013年から開催し、東京のお客さんと一緒に東北の被災地へと出向き、少しでも復興の手助けになればという思いで行っている活動。

多忙なサンドウィッチマンだがプライベートでも東北を訪ねて、地元の人たちの交流を絶やさないでいた。

震災を経験したサンドウィッチマンが、東北と向き合う活動は今年で8年目。今やテレビに出ることが東北を元気づける存在にまでなった。

さらに、二人が毎年3月11日に必ずしていることがある。自分たちが避難した安波山に登り、気仙沼の人々と黙とうをささげること。

「続けることのすごさ。震災があって、どこかでサンドウィッチマンを思い出すけれど、それを引きずっている感じがみじんもない」と坂上が触れると、伊達さんは「僕らを見て震災を思い出すという人もいますが、全然思い出してください、と。それが風化につながらないわけですから。僕らを見たら東北のことを思い出してください。そして、また遊びに来てくださいと、そういう考えでいこうと富澤と話しました」と明かした。

東北を支え続けた8年間には、意外な人物が支えてくれたという。

「『お前らが先頭切って動け』と言ってくれたのは(島田)紳助さんなんです」と伊達さんが告白すると、坂上は驚きを見せた。

続けて「和田アキ子さんからも電話を頂いて、富澤に。『私、どうしたらいい?あなたたち、一生懸命頑張りな』とエールを頂き、いまだに毎月、義援金を僕らの口座に振り込んでくださるんです。ずっとです。僕らがやっていることを、後ろで大先輩たちが見守ってくれているような気がして。我々が立ち上げた『東北魂義援金』は、今もう4億円を超えているんです。こんなことになるとは思わなかったです」と話した。

そして、坂上は「これからのサンドウィッチマン」について聞くと、富澤さんは「震災の影響で『サンドウィッチマンは良い人』みたいなイメージがあったので、『バイキング』が始まるときにやった、地引網クッキングでイメージをめちゃくちゃにしてやろうと思ったんです」と告白。

そんな背景があったのかと驚く坂上だが「全然下がってない」と指摘すると、富澤さんが「そうなんです、上がっちゃったみたいな。あとは、坂上さんと絡むと勝手に好感度が上がってくると思う」と笑いを誘った。

すると、坂上も「それ分かる」と同意しつつ、「なんとかサンドさんの好感度を下げようと頑張れば頑張るほど、俺が下がってサンドさんが上がるんだよ」と嫉妬すると、富澤さんが「その感じはありますね」と納得していた。

震災を機に、お笑いを続けるかどうか悩み、それを二人で乗り越え、東北と向き合ってきた8年間。彼らの被災地への活動はこれからも続いていくだろう。

「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54

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