借金2億円超、選手は自分だけ…トラブルや挫折を乗り越えた“不屈のアスリート”たち

  • 体操の日本代表から転向…年収500万円から0円に!
  • 元日本代表高原選手はサッカークラブ「沖縄SV」を設立。選手、グラウンド探しに奔走
  • 所属チームが解散…自ら会社を立ち上げるも借金2億4000万円

借金や大けがなどのさまざまなトラブルや挫折に負けずに競技を続けてきたアスリートたち。

9月2日に放送された「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系列)では、さまざまな困難を乗り越えて現在も活躍する”不屈のアスリート”たちが登場した。

「自分の足でリングをおりたい」桜庭和志の数十年来の仲間への思い

格闘家の桜庭和志(49)は、プロレスラーに憧れ、23歳でプロレス界入り。

桜庭選手の名前を世界に知らしめたのが、当時最強と言われたグレイシー一族との伝説の一戦。

相手陣営が提案した「レフェリーストップなし」や「決着まで無制限ラウンド」という異例のルールを桜庭選手は受け入れ、90分に及んだ戦いの末、見事勝利をつかんだ。

その後、リングを求めてさまざまなジャンルの格闘技大会に出場した桜庭選手。これまでの功績が讃えられて、2017年7月に世界最大の総合格闘技団体「UFC」に殿堂入りが決定。

プロレス好きのケンドーコバヤシさんは、殿堂入りのことは桜庭選手にサプライズで発表しようと本当のことを言わずに招待状を出したが、「面倒くさい」と動かなかったので、結局「表彰したいから来てください」と言い、会場に来てもらったというエピソードを明かした。

そんな桜庭選手には一緒に戦ってきた数十年来の仲間がいる。

それはプロレス界の帝王・髙山善廣さん(51)。

いま、都内にあるリハビリ専門の病院に入院し、入院生活は1年4カ月にも及んでいる。

2017年5月に試合中の事故で頭部を強打。脊髄損傷を起こし、事故から4日後に手術、その6日後には一時心肺停止になるなど生死をさまよった。

番組では、リハビリに励む高山さんに密着。そこで髙山さんは「悔いは自分の足でおりたい。最後にリングをおりたのは運ばれたとき。最後のリングは自分の足でおりたい」とリハビリにかける思いを打ち明けた。

現在、日本のみならず世界中のファンやファイターたちが髙山さんの復活を願い、支援活動をしているという。

競技を転向!年収500万円から0円に…

華麗な空中技を繰り広げる「エアリアル」で、日本のエースとして活躍する田原直哉選手(37)。

実は、体操の元日本代表。

ジュニア時代から体操で優秀な成績を残し、大学生で日本代表入り、「技の天才」と呼ばれるほどの逸材で「オリンピック出場」という夢を抱いていた。

だが、2004年のアテネ五輪は代表から落選。一方で、体操団体は金メダルを獲得し、日本中を熱狂させていた。

失意のどん底に落ちた田原選手は、その後も右肩筋断裂などの大けがを負い、諦めかけた25歳の時に偶然テレビで見ていたのが、トリノ五輪の「エアリアル」だったという。

「これなら五輪に出られるかも」とスキー未経験ながら、競技の転向を決意した。

競技転向3年目には日本選手権2位、6年目には日本人初のワールドカップ3位の入賞を果たすも、2010年のバンクーバー五輪と2014年のソチ五輪の出場は叶わなかった。

そして、競技転向から12年で念願の平昌五輪に出場。次の目標は41歳で迎える北京五輪でのメダル獲得だという。

そんな田原選手は、年収500万円から0円になってしまったことがあるようだ。

「所属したチームの契約が切れ、ソチ五輪の1年前に契約が切れて、自腹で遠征。バイトもして、一番厳しいのは遠征費なんですが、自分の生活にどれだけお金をかけないかということも苦労した。泊まり込みで民宿でバイトして、宿代と食費を浮かしてあとは練習」といった生活を送っていたという。

選手は自分だけ…ゼロからのチーム作り

1998年にジュビロ磐田に入団し、20歳で日本代表に選ばれたサッカー・高原直泰選手。

2002年の日韓W杯では代表入り確実と言われていたが、エコノミークラス症候群を発症して代表から落選という挫折を味わっている。

その直後は、無念を晴らすようにゴールをあげ、最年少でJリーグ得点王とMVPを獲得。ドイツリーグや韓国リーグ、東京ヴェルディなどプレーする場を求めて渡り歩き、2015年には34歳で出場機会を求めて、J3「SC相模原」へと移籍した。

そして、2016年に「沖縄SV」を設立し、オーナー兼選手兼監督までこなしている。

チーム設立のきっかけを高原選手は「スポーツで地域活性化をしたいという話があり、チームを作ってモデルケースを作ってほしいと言われて、『これからやりたいこと全部できる』と思って」と土地勘もない、知り合いもいない、沖縄に繰り出し、ゼロからのチーム作りを始めた。

まずは「選手とグラウンド探し」を始めたという高原選手。

「やろうと決めた時に、選手は誰も決まっていない。自分しか…。最低11人集めないと…」と、Jリーグで一緒にプレーしていた選手たちに声を掛けると4人が立ち上がった。

その後、セレクションを重ねて17人のメンバーを確保し、ボールや練習グッズなどの備品をすべて自費で購入。練習グラウンドも見つかり、2016年2月に「沖縄SV」が始動した。
 
また、高原選手は「強いチームを作って上を目指すのではなく、地域貢献・地域活性に少しでもつながるチームにしたい」と農業を行い、マンゴーやバナナを育てているという。

ただ、高原選手は監督も兼務していることもあり、選手交代のタイミングなどは自分で選ぶことができるため、「暑い試合とか疲れたら交代しちゃうので、それはズルい。誰も言えないんですけど…」とチームメイトからクレームが上がっていた。

チーム存続のために借金2億4000万円

バスケットボール界のレジェンドで現役25年のリーグ最年長プレイヤー・折茂武彦選手(48)。

日本代表では1995年にアジア大会の中心メンバーとして銅メダルを獲得。他にもさまざまな記録を持つスーパーアスリートだ。

2016年には、2位以下に2000得点近く差をつけ、日本人初の通算9000得点を達成し、前人未到の1万点は目前に迫っている。

折茂選手は選手として活躍する一方で、所属チーム「レバンガ北海道」の社長という顔も持っている。

2011年に以前所属していたチームが運営会社の経営悪化のため解散してしまい、キャプテンを務めていた折茂選手は、自らチームの運営会社を設立して社長に就任。

試合や練習の合間にスポンサー集めやチームのPRに奔走した。

チームは赤字状態で遠征費や給料がまかなえず、愛車を売り払って貯金を切り崩したが、1年後には底をついてしまった。そこで、折原選手はメインスポンサーの社長に借金を頼んだ。その額は2億4000万円。

当面の運転資金として経営が軌道に乗り出した矢先、「Bリーグ」の発足が決定。注目度の高いB1への参入のため、折茂選手は支援を求めて走り回り、チームの将来性をアピールした。

そして、見事にB1リーグ入り。「レバンガ北海道」は2017~2018シーズンの観客動員数がリーグ2位で、スポンサーは200社以上、設立後初の黒字を達成。

MCの浜田雅功さんが「借金までしてやりたかった?」と問うと、折茂選手は「あまりやりたくはなかった…。周りがお前だろ、みたいな雰囲気になって。選手だったので経営なんてわからないので、当然2億4000万円の借金をしますよね」と明かした。

髙梨沙羅選手が憧れるコーチの恥ずかしい経験

女子スキージャンプの髙梨沙羅選手が憧れているという、日本代表のコーチ・山田いずみさん(40)。

女子スキージャンプの歴史は浅く、初のW杯開催は2011年で、五輪もまだ2回のみ。

幼稚園の頃に競技を始め、男子に混ざって大会に出場することもあったという山田さんは、中学の時に、現在五輪で使われている「ノーマルヒル」を日本人女性で初めて飛んでいる。

日本女子スキージャンプ界を切り開いたパイオニアである山田さんは、2009年に現役を引退。2013年に日本人初の女性コーチに就任し、髙梨選手の専任コーチも担当している。

そんな山田選手には苦い経験があるようで「中学生の時、女子の部を初めて作ってもらったんですけど、出場した選手が私だけ。普段はトロフィーとかもらえるんですけど、その時だけティアラみたいなもので、すごく恥ずかしかった」と語った。

さらに、「競技を続けていくうちに少しずつ下の子たちが増えていったが、まだ数が少なかったので、一人でも辞められると競技として成り立たなくなってしまう」と話し、山田さんは「辞めたいな…」という子たちには家に呼んで美味しいご飯を食べてもらい、「頑張れるよ」と声を掛けていたという。

輝かしい記録や活躍ばかりが注目されてしまうが、困難やトラブルを乗り越えてきたアスリートたちは『努力のアスリート』でもあるようだ。

さまざまなフィールドでの彼らの今後の活躍に期待したい。

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~7:57放送

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