死してなお輝く不屈の政治家・マケイン氏は、反トランプの星になった

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  • マケインという政治家は“何度も蘇った”
  • 葬儀にも招かれないトランプ大統領との確執
  • 信念の人であり、不屈の政治家であったマケインが大統領になっていたら…

マケイン氏は何度も蘇った

ヒラリー・クリントン、ミット・ロムニー、ジョン・マケイン、ジョン・ケリー、アル・ゴア、ロバート・ドール。
 最近のアメリカ大統領選挙の敗者の名前を順に並べてみた。

大統領選挙で敗れた後も政治の第一線で輝き続けるのは非常に難しい。実際、敗者の多くはいずれ忘れられてしまうのが常である。

しかし、マケイン氏は例外であった。しかも、彼の場合、復活したのは一度だけではなかった。何度も甦った。

利益誘導型の政治を非難

ワシントン駐在中、筆者はマケイン氏の口からでポーク(豚肉)或いはポーク・バレル(豚肉の詰まった樽)という言葉が何度も発せられるのを耳にした。この場合、ポークやポーク・バレルは自分の地元の選挙区に利益をもたらす為だけの極めて政治的な予算・政策措置のこと。つまり利益誘導型の政治全般を指すのだが、マケイン氏は、これを非難し、排除を訴え続けた。

どこの国でも大同小異だと思うが、政界には利益誘導型の政治家が少なくない。これを非難し続けると党派に無関係に敵が増えるのは不可避なのだが、それを承知で、当時のマケイン氏は非難を止めなかった。変わり者扱いされるを意に介さず、敢えて“大人の対応”をしなかったのだが、これが2000年の大統領選挙予備選の氏の敗因の一つになった。

しかし、彼は挫けず、大統領への挑戦を諦めなかった。

「日本は大変重要な同盟国」

2000年、サウス・カロライナ州の予備選で演説するマケイン氏

その2000年の予備選挙で、マケイン氏は後のブッシュ大統領(子)と共和党の大統領候補指名を争った。2人の戦いの分け目となったのが、保守派の牙城と言われるサウス・カロライナ州の予備選挙であった。その運動中、氏は、筆者の問いかけに対し「日本は大変重要な同盟国である」と応じてくれた。

実際、マケイン氏は、同盟国を重視し、世界におけるアメリカのリーダーシップと自由と民主主義の推進を掲げる保守派の大物政治家であった。

その死去の報に接し、安倍総理はシンディー夫人宛の弔電で、氏は「日米同盟強化に多大な貢献をしてきた」と称えた。だが、このマケイン氏の姿勢は”アメリカ・ファースト”を掲げ、特にNATOに厳しくロシアに甘いトランプ氏とは相容れなかった。

氏はトランプ大統領とプーチン大統領のヘルシンキでの会談を「最も恥ずべきパフォーマンス」とこき下ろした。

“信念の一票”

2008年、討論会でのマケイン氏とオバマ氏

2008年の大統領選挙では、マケイン氏は共和党の指名を獲得、本番でオバマ氏と戦ったのだが、やはり敗れた。今となってはトランプ氏の先行モデルだったかもしれないと思えるペイリン氏を副大統領候補に指名するという”過ち”も犯したが、決定的だったのは、投票の2か月ほど前に起きたリーマン・ショックだった。以降、氏に勝ち目はなく、オバマ大統領が誕生した。

だが、二度の敗戦にも挫けず、マケイン氏は上院議員としての活動を続けた。

ブッシュ政権のイラク戦争を支持したり、銃規制や中絶に反対する等バリバリの保守派だったマケイン氏だが、例えば、自身の経験から拷問には徹底的に反対し、これを推進したと言われるCIA高官を長官に据えようとしたトランプ政権の人事案には反対した。また、トランプ氏の非寛容な移民政策には「異常な考えに火を着ける」と最初から賛同しなかった。

オバマ・ケアと呼ばれる医療制度改革をトランプ政権が葬り去ろうとした際は、大統領と党の意向に反して、マケイン氏が土壇場で反対票を投じ、トランプ政権の試みを頓挫させた。病を押して登院したマケイン氏のこの投票は“信念の一票”として語り草になるかもしれない。

ベトナム捕虜としての囚われの日々

失敗もあったが、マケイン氏は信念を曲げない、不屈の政治家であった。

いずれも海軍大将に上り詰めた祖父と父を持ち、自身もベトナム戦争に海軍のパイロットとして従軍した若き日のマケイン氏が、作戦任務中に撃ち落とされ、ベトナムの捕虜として、5年以上もの間、過酷極まりない囚われの日々を送ったのはよく知られている。

ベトナムで捕虜となったマケイン氏

映像でマケイン氏の動きにぎこちなさを感じた方も多いと思うが、捕虜時代に受けた拷問が原因で氏の両腕は肩より上に上がらない。自分の髪の毛を梳かすことができなかったと言われている。

通常の生活に戻れなかったとしても全く不思議ではなかったのだが、彼はあっさり復活した。

軍歴は諦め、代わりにシンディー夫人の出身地・アリゾナ州でまず連邦下院議員に当選、その後、上院に転じた。

政界では共和党に属し、前述のように、大統領の座に二度チャレンジし、いずれも失敗したのだが、彼はそれでも折れず、上院議員として活動を続けた。歯に衣着せぬ物言いも変わらなかった。

そして、最近では、トランプ大統領に対する手厳しい発言と是々非々の行動で党派を超えて注目を集めていた。
特に、一部の民主党支持者にとっては、希望の星のような存在になっていたと言えるかもしれない。

葬儀にも招かれないトランプ大統領

(現地で報道された、マケイン氏の最後の言葉を読み上げる友人)

25日の死去を受け27日に発表された国民へのお別れのメッセージで、マケイン氏は「我々は世界で最も偉大な共和国、理念・理想で纏まる国家の市民です。特定の血脈に基づく父祖の地を持つ国家ではありません」「壁を打ち壊すのではなくてその裏に隠れたり、我々の理念・理想を変革の原動力と信じるのではなくてその力を疑ったりすれば、我々の偉大さを損ねることになるでしょう」

“We are citizens of the world’s greatest republic, a nation of ideals, not blood and soil.”
“We weaken it when we hide behind walls, rather than tear them down, when we doubt the power of our ideals, rather than trust them to be the great force for change.”

と述べ、名指しこそ避けたが、トランプ大統領と支持勢力の政治姿勢を根底から批判した。

このマケイン氏に対し、トランプ氏は時に容赦ない攻撃をしてきた。大統領選挙期間中には「私は捕虜にならずに帰還した人間の方が好きだ」と、マケイン氏の当時の苦難を全く無視した心無い発言さえもした。悪性脳腫瘍で闘病中のマケイン氏を“死にぞこない”と評したホワイトハウスのスタッフはさすがに更迭されたが、トランプ政権は、名指しこそしないまでも、マケイン氏の投票行動をたびたび非難してきた。

だが、当然、氏は挫けなかった。むしろ、トランプ政権側が彼を非難する度に輝きを増した。

マケイン氏の死去に際して、当初、トランプ大統領は、その功績を称えるコメントは全く発さず、家族へのお悔やみの言葉をツイッターで発信しただけだった。



そして、マケイン氏死去に関する報道陣の問いかけを何度も無視した挙句、2日以上経ってから、型通りに毛の生えた程度の声明をようやく発表した。

そのマケイン氏の葬儀にトランプ大統領は招待されていない。故人の意向らしい。大統領の座を争ったブッシュ元大統領(子)とオバマ前大統領が弔辞を依頼されていると伝えられているのとは対照的である。

特にリベラル系を中心にアメリカ・メディアは、ここ数日、マケイン氏死去と彼の功績、それにトランプ氏の冷たい反応を報じ続けている。トランプ大統領が“出席できない”葬儀の模様も大々的に報じられるだろう。これらが、強固なトランプ支持層にどのように映るのか、少し注目したい。

不屈の政治家・マケイン氏が大統領であったなら…

歴史に“たら・れば”は禁物である。しかし、マケイン氏がもしも大統領になっていたら世界はかなり違った状態になっていた可能性が高い。

2008年のオバマ大統領誕生の選挙のことを言っているのではない。2000年のブッシュ大統領誕生の選挙の時のことを言っている。

2000年、予備選で笑顔のマケイン氏

その翌年、2001年に911の同時テロが発生し、アフガン戦争・イラク戦争、そして、今も続く対テロ戦争が始まったことや、ロシアや中国・トルコなどで権威主義的勢力が伸張し、北朝鮮の核・ミサイル開発が進捗したこと、温暖化の進展などなどに思いを馳せると、信念の人・不屈の政治家・マケイン氏が、2000年から2008年までの、あの激動の8年間に、もしも大統領だったら…と思うと筆者は残念でならないのである。

(執筆:フジテレビ 解説委員 二関吉郎)


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