『95%が事故を知らない世代』日航機墜落事故 最後の慰霊登山も

カテゴリ:国内

  • 1985年8月12日 あの日から33年
  • 慰霊登山に80代の遺族も 高齢化と“事故を知らない世代”
  • 風化させないためにいまも続くJALの取り組みとは

1985年8月12日 あの日から33年

「J、A、L JALという文字がはっきりと見て取れます」

1985年8月12日 午後6時56分-

JAL123便は、御巣鷹の尾根に墜落した。

現場から救出された生存者はわずか4人。 乗客・乗員520人もの命が失われた。

33年後の2018年8月12日

272人の遺族が御巣鷹の尾根を登った。
家族の墓標を目指し、墓標の前で花を手向けた。
犠牲者が好きだったグッズを供えた。33年の思いが込められていた。

午前10時過ぎ。墜落地点の昇魂之碑の前に遺族がそろった。
黙祷を行い、「安全の鐘」を鳴らした。
犠牲者の冥福、空の安全が祈られた。

そんな中、目立ったのは遺族の高齢化だ。

80代の遺族も 遺族の高齢化と“事故を知らない世代”

「これが最後の登山かもしれない」娘2人を亡くした山岡武志さんは81歳。

妻や息子に支えられながら登山に臨んだ。

「今年が最後」

覚悟の登山だ。

出発地点から墓標までは、休みなく歩いても40分。
足場が悪く段差もある。高齢者には厳しい道のりだ。
それでも「娘が待っている」と歩を進めた。出発から2時間後。墓標の前に辿り着いた。

手と足は疲労で震えていた。

息子の直樹さんは「来年は厳しいかもしれない」と父親の体調を案じた。

事故で娘を亡くした吉田公子さん。84歳。
「皆さんに助けてもらいながら頑張って登りたい」
吉田さんの家族が寄り添って山を登る。杖を使いながら歩を進めた。

ゆっくりと。ゆっくりと。

33年間という月日は遺族の高齢化を進めた。
高齢の遺族は登山が困難になっているのが現実だ。

日本航空では“事故を知らない世代”が増え続けている。
日本航空の社員数は14,560名。

そのうち、事故当時、日本航空に入社していた社員は754名(2018年3月31日現在)。

“事故を知らない世代”は95%にのぼる。

若手を指導する立場の社員も“事故を知らない世代”だ。
忘れ去られてしまう…
危機感を覚えている遺族。日航にも同様の危機感を持っている社員がいる。

風化させないために 遺族、日本航空の取り組み

今回の慰霊登山には、地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん。
東日本大震災の津波で子供を亡くした両親らが初めて参加した。
御巣鷹の事故で9歳の息子を亡くした美谷島さんの呼びかけだ。

美谷島 邦子さん

様々な事故、事件の遺族が御巣鷹の尾根に集まった。

遺族同士が交流する機会に「8月12日」はなり始めている。
どの遺族も危惧しているのは「風化」だ。
遺族が一同に集まって「風化」を防ぎたい思いもある。

日航も風化を防ぐ取り組みを行っている
新入社員は必ず御巣鷹を登る。事故の教訓を忘れない為に。
事故を起こした機体を展示している安全啓発センターでも研修が行われる。

その研修センターを美谷島さんらが訪れた。
遺族らを案内したのは入社3年目の髙崎さん。
啓発センターには遺書や、遺品も展示されている。
事故の原因や遺書の内容などを遺族に説明する。
涙があふれ、声が詰まる。遺族が横から、そっと声をかけた。

息をのみ、深呼吸した。説明を続けた。

髙崎さんは、案内が終わったあと、遺族の前に立った。
「私は事故が起きてから生まれた。旦那さんを亡くされ、お子さまを亡くされた方々が、私の説明を聞きながらどう思ってらしたのかと考えながら、ご説明させていただきました。」
遺族の美谷島さんはこう応じた。
「知らなくて当然、だからこそ一緒のところに立って一緒に泣いてくれること。あの涙が私たちは力をもらえますね」

人の心を動かすのは、同じく人の心なのかもしれない。

御巣鷹の墜落事故に限らず、これからも凄惨な事件や事故を知らない世代は増える。

しかし、心の奥底に教訓が刻み込まれれば、人はそれを忘れることはないだろう。

同時に風化もすることはないだろう。

(国交省担当 相澤航太)