「向き合う」って難しい。新人記者の豪雨取材

  • 被災した自宅1階を復旧作業の“休憩所”に
  • 最愛の家族を亡くした遺族の悔恨の思い
  • デスクから教わった“災害報道”の意義

「右手で持ったマイクに力が入らない」

そんなことが何度もあった。
相手の顔を見て、当時の状況を、今の気持ちを聞かなければならない。
なぜ、悲しみに暮れる人の心の傷をえぐり取るようなことを「仕事」として、聞かなければならないのか。
初めての“災害現場”取材、初めての“避難所”取材、初めての“遺族”取材。きっとここで感じたことが、これからの記者人生を歩む上での立脚点になると思う。
忘れないうちに、忘れたくないから書き留めたい。

西日本豪雨の取材に応援組として、先月29日から1週間、広島に行った。
新人記者としての初めての出張は、豪雨から20日以上が経った頃だった。
連日のニュースも、発災直後の救助・救出報道から、“復興か転出か、住民に葛藤”、“仮設住宅が着工”、“重機不足、生活再建に不可欠”といったものへとトーンが変わっていった。
与えられたミッションは、災害の犠牲となったご遺族の取材。緊張と不安を抱きながら現場へ向かった。

被災自宅を復旧作業の“休憩所”に

最初の取材先は安芸区矢野東の避難所。発災から3週間が経過したが、未だに交通渋滞が酷く、この日は午前6時に出発し、避難所に着いたのは午後7時半過ぎだった。
体育館の外にある水洗い場で、歯磨きをする人、顔を洗う人、これから登校しようとするセーラー服姿の女子高生の光景が、まず目に入った。
カメラマンとVEは車内に待機し、「じっくり頑張って」と送り込まれた。
「すみません」の「すみ」の言葉が出たあたり位から、右手を挙げられノックアウト。

そんな中、首にタオルを巻いた男性と距離を縮めることができた。
「今から家の片付けに帰るけど、来るね?」。この男性が私の最初の取材相手になる。

今回、安芸区で最も被害の大きかった梅河団地に妻と愛犬と3人で暮らす男性は、自宅の裏山が土砂で崩れ、一時は土砂で顔まで埋まった。
周辺の住宅一帯も同じような被災状況だったが、そこには“助け合い”の精神が生まれていた。

「みんな、自分の事で精一杯やけんね。重機の業者の人や、ボランティアの人が休む場が無かろう』」

西永さんは自身も被災しながらも、自宅1階のリビングを復旧作業の休憩の場として開放しているのだ。
冷蔵庫の中は、訪れる人のための飲料水で一杯で、泥だらけの状態から修理した扇風機も設備されていた。多いときは20人以上集うという。
昼を過ぎると、作業員やボランティアの方が集まった。
彼らは「ここが安らぎの場所になっている。また頑張ろうと思える。」と話していた。

安芸区を後にし、御遺族取材のため東広島市へ向かった。

初の遺族取材「話すことで心が紛れた」

向かった先は、娘と夫婦の3人家族。夫が勤務後、同僚を車で送る途中に安芸区矢野で被災した。
自宅は、市内の住宅街のため、妻や娘さんはいるはずだ。インターホンを鳴らすと、窓から顔をのぞかせた妻とお会いできた。
「お線香だけでも」とお邪魔し、亡くなった中東さんが好物だっただろう「あんぱん」が供えられた仏壇に手を合わせた。
話を伺えば伺うほど、後悔の念が伝わってきた。
「これは、伝えなければ」。妻の言葉に突き動かされ、取材を依頼した。

「取材をさせていただけませんか」
ご判断は相手に託した。鼓動が高鳴る。
「話すことで気持ちが紛れるんよ」と、取材を引き受けてくれた。

先月6日午後5時すぎ、勤務を終えた夫から電話があり、妻は『雨がひどいから職場近くの旅館に泊まってきたら』と助言した。
しかし、真面目な夫は『職場の片付けをして、同僚を車で送ってから帰宅する』と答えたそうだ。

「午後7時12分か13分だったと思います。熊野町のスーパーで『渋滞になった』というのが最後の電話でした。
後から私が何度もかけでも繋がらなかったですね。電話をかけても応答がないまま。
待っている間は、「もう駄目かな」と思う半面、どこか病院にいてるかな、とか記憶がなくなったのかな、とか、色々と考えましたね」

「亡くなったという連絡が入る直前、虫が鳴いていたんです。今まで聞いたことのない声の虫の音が家のどこからか聞こえるので。
でも後々思ったんです。『虫の知らせ』だったんだと。
田舎育ちの素朴な、短気な所もあったけど、私みたいな者を嫁に貰ってくれて。
どこに行くにもついてきてくれたり。本当に、純粋に、優しい。そんな人でした」

『もっと引き止めておけておけば良かった』。
電話で、豪雨の中帰宅しようとする夫をとめられなかった妻は、悔恨の念に苛まれた。

2度目の遺族取材を試みるも・・・

この日は、豪雨の翌日に起きた土砂崩れで、妻と長男を亡くした男性を探すため、集落を1軒1軒訪ねた。

「ごめんください」。声をかけても家には誰もいない。
周辺の集落に住む人たちは、避難所にいるか、慣れ親しんだ場所と別れを告げ、転居しているかのどちらかだからだ。

現場から600m離れた先の家に住む方が、この男性と親交が深いらしいという情報を掴んだ。
その男性に声を掛け話を聞いた。
「色んなメディア来とるけど、断っとるけん、だめかもしれん。でも、明日家を片付けにくるらしいけん」。
翌日、近貞さんが自宅に来ることが分かった。「また明日、伺います」と声を掛け、後にした。

その後、亡くなった妻や長男の勤務先に向かった。妻の勤務先は話はしてくれたが、カメラの前でのインタビューはNG。
その後、長男の勤務先に取材をお願いするも断られた。
会社の外で仕事帰りの人を待ち、声を掛け続けたが、再び「お引き取り下さい」と言われ、その場を後にした。
無言で車に戻り、カメラクルーから「駄目なときは駄目。次に行こう」と励まされ、この日は断念した。

“家族の思い出”を探しに自宅へ・・・

早朝から、前日に伺った同じ道を通った。近貞さんがいらっしゃる時間に合わせ、私も現場で待っていた。

次第に、近貞さんのお姉さんや妹さん、娘さん、近所の方々が10人ほど集まり、近貞さんもやってきた。
この日は家の片づけや、家族写真・結婚写真などを探すために大勢集まっていたのだった。
悲しみに包まれた空気感というよりは、あえて元気にふるまっているかのような雰囲気で、近所の方や妹さんが、近貞さんを勇気づけているように見えた。

「もしよろしければ、取材をさせていただけませんか」。
近貞さんは、何も嫌な顔はされず、ただ「分かりました。」と応えてくださった。

作業の邪魔をしてはならない。
私も誠意を持って、思い出探しの手伝いをさせていただいた。
妻の保険証やバックなどは見つかったが、写真は見つからなかった。

土砂崩れが起きたのは豪雨の翌日、7月7日の早朝だった。
近貞重雄さんは、家の周辺の異変を感じていた。

「ちょうど朝起きて、家の裏口から外に出て、家の裏に流れる小川の様子を見に行ってね。
おかしいな、と思って家の前まで戻ってきたら、大きな音がしましたよ。ドッカーンっ言うてね。
砂埃が舞って、屋根が飛んでいくのが見えた。
『京子~』『和志~』って叫んでも反応がないし、そしたら次男が『逃げな危ない』って言うて・・・・」

生まれてから70年住み続けた我が家と、最愛の妻と長男を亡くした近貞さんは、妻と子供3人の5人家族。
当時、長女(41)は前日の大雨で会社から帰宅できず不在だった。

土砂崩れの後に、唯一残ったのは1階の台所部分。
実は、土砂崩れが起きる直前まで、この台所で家族4人で朝食を食べていたのだ。
当時、台所に残った次男と、外の様子を見に行った近貞さんは無事で、台所の隣の部屋に移動した妻と2階の自室に戻った長男が犠牲になった。

「親の話では、この裏は岩盤だから崩れないと言っていたんですが、谷ですからね。はやく気がづいて逃げとれば助かったんですが。」

ーー最後に奥さんとお話したのは?

「ちょうど朝、(妻が)寝ていたので、『谷の様子がおかしいぞ』言うて。『なんか道路が普段と違って水が上がっとる』って。
そういう話をしたのが最後でしたね。
見つかるまでは夜も眠れんかった。」

デスクから教わった“災害報道”の意義

取材内容を放送する前、私は悶々としていた。
御遺族の取材、ひいては災害報道の意義はどこにあるのか。
頭では分かっていながらも、いざ取材をすると、突然の悲しみにくれる御遺族の胸中を考えると、質問をする事、マイクを向ける事は、失礼ではないのか。
そもそも私にその権利はあるのか。
「お線香だけでもあげさせてください」と言いながらも、取材の事を考えるなんて、なんて冷たく、腹黒いのかと。

そんな私にデスクはこう声を掛けてくれた。
「災害報道は、当事者が当時の状況を話してくださることに意味がある。この生の声を伝えることが、防災・減災に繋がる」、と。
そうか、悲しみに一緒に暮れるのではなく、“生の言葉”を教訓として、1人でも多くの人に伝えていくことが、犠牲になった方々に報いる術なのか。

「思い出しますね。長男の姿やら、妻の京子の姿も脳裏に焼き付いてね。
もうちょっと早く逃げておけばよかったなと、あとから後悔してもしょうがないですが。・・・やっぱり避難は大事です。」

「やっぱり、避難は大事です」。
妻と長男を亡くした、重雄さんの言葉は重かった。
放送をご覧になった重雄さんはどう感じただろうか。放送をご覧になった方はどう感じただろうか。伝わっただろうか。

今までのどの取材よりも、放送に出すのが怖かった。
それは、現場に行って、見て聞いたからこそ、マイクを向けた、あのときの空間が頭を過るからだ。

ー「向き合う」って難しい。

(執筆:FNN取材団 阿部桃子)

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