「この世界の片隅に」で描かれたリアルな“街並み”に込められた思い【広島発】被爆から73年継承

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  • 映画「この世界の片隅に」で描かれたリアルな街並みの資料とされた画集が復刊され話題に
  • この鉛筆画集を描いた88歳になる森冨茂雄さんに画集に込めた思いを聞いた
  • 楽しい思い出がいっぱい詰まった場所が一瞬にして無くなった悲惨さを語り継ぎたい

映画スタッフも感動する「生き生き」とした街並

2年前、大ヒットを記録した映画『この世界の片隅に』。この映画の中では被爆前の広島の街並みがリアルに描かれ話題となった。

映画の中で街並みを描く際、資料として参考にされた一冊の画集がある。原爆投下前の広島の町の様子が生き生きと描かれた画集「消えた町 記憶をたどり」。
元々7年前に出版されていた画集だったが映画のヒットを受け話題となり今年4月に復刊された。

映画『この世界の片隅にで』で中島地区のシーンの作画を担当した監督補の浦谷千恵さんはこの画集についてこう語る。

「まずはすごいなっていう一言。これだけのものを描くエネルギーに一番圧倒されました。写真だけだとわからない細かい、町が非常にいきいきと描かれていて、大変感動もしたし、作品の資料として大切に使わせていただきました」

リアルな街並みの画集はなぜ誕生したのか?

この絵を描いたのは広島市西区に住む森冨茂雄さん88歳。

73年前のあの日、森冨さん自身は爆心地から2.5キロ離れた学徒動員先にいて助かった。
しかし家族の営む店が爆心地近くにあり父や祖母、弟2人を原爆で失った。

森冨さんは当時をこう振り返り、鉛筆画集を描くに至った経緯をこう話す…

「原爆の投下を受けていっぺんに孤児になりましたね。やっぱり肉親というものはいいもんです。それらを失うのは寂しいです。いっぺんに亡くなれば…

当時の私は学校から帰ったら、もう勉強するより先にまず遊んでましてね…だから僕は行動範囲が広かったんですよ。
昼間は練兵場、護国神社の方で遊んで、夜は店が閉まるまで本通り筋で遊んでた。今日は陣取り合戦やろう、軍艦遊芸やろう…馬跳びをやって遊んだりなんかしてましたね」

一方で、森冨さんは最近では戦前の町を知る人がいなくなることへの焦りも募っていた。

ちょっと当時の街並みの絵を描いてみたらね、みな懐かしがって。戦前の広島こうだったって…当時を知る人と話が盛り上がり、記憶をたどって楽しい思い出が次々と蘇ってきたんです。

作者が鉛筆画集に込めた思い

この画集を出版したのはヒロシマ・フィールドワーク実行委員会の中川幹朗さん。画集復刊の経緯についてこう語る。

「ほとんど人間は描かれていないのですが家や通りだけ描いてあってもすごく人間を感じるんです。この感じをいつか画集にしたいと思っていました。
今回、映画がなければ復刊に至らなかったと思います。これもひとつのきっかけで、映画を通して広島のかつての町の暮らしや原爆そのものについて、皆さんが知っていくきっかけになればうれしいことだなと思います」

復刊された画集を購入した人には、映画に登場した被爆前の町のイラストに説明書きを重ねられた『アートカード』がプレゼントされることになった。
映画『この世界の片隅に』の監督補・浦谷千恵さんの「ちょっとでも大切な画集を広めるために一助になれないかな」という思いで実現したうれしいプレゼントだ。このアートカードを元の街並みの鉛筆画に重ねると、画集と映画で描かれた当時の町の様子がより詳しくわかる仕組みとなっている。

作者の森冨茂雄さんは、この画集に込めた思いをこう語る…

「戦前の広島を原爆(投下)前のことを話せる人がおらんようになってきてますね。説明がいつまでできるかなと思います。戦前の広島というものを、人がいて、たくさん住んでいる人が亡くなったんだということを知ってもらいたくて描いたんです」

73年前のあの日。そして、それ以前の町の様子を知る人の貴重な記憶の形だ。

(TSS プライムニュース 8月1日放送分より)

詳しい動画はこちらからご覧になれます
http://www.tss-tv.co.jp/tssnews/000001856.html


画集「消えた町 記憶をたどり」に関しての問い合わせ
ヒロシマ・フィールドワーク 実行委員会
℡ 082-255-1923

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