金正恩氏がシンガポールに行かない理由

カテゴリ:話題

  • 身の安全を守る上ではシンガポールは完全アウェー
  • チャンギ海軍基地など米軍の強襲能力は圧倒的
  • 「素晴らしい取引」でホーム開催に誘い込む

金正恩委員長 “ゆさぶり”真の狙いは?

北朝鮮が米朝首脳会談の中止を示唆した狙いは何なのか?合意内容をめぐる駆け引きとの受け止めが一般的だが、別の見方もできる。そもそも金正恩委員長は、シンガポールには行きたくないのだ。
何故か?シンガポールでは身の安全を確保できないからだ。

首脳会談の開催地がシンガポールに決まった理由としては
①米朝ともに外交関係があり中立的な場所であること。
②金委員長の専用機の飛行距離内に収まること。
③大がかりな国際会議の経験が豊富なこと…などが挙げられた。

しかし、金委員長にとって最大の関心事は、移動途中も含めて「シンガポールは安全なのか?」ということのはずだ。

相手はアメリカでありトランプだ。あらゆる選択肢はテーブルに載っており、その中には北朝鮮内に特殊部隊を送り込み金委員長の首を取る「斬首作戦」や、核関連施設を精密爆撃する「サージカル・ストライク」などが含まれていることは公然の秘密だ。

2017年にはそうした軍事作戦計画がいつ実行に移されてもおかしくないという緊張感があったし、今も、アメリカが計画を放棄したという話は聞いたことがない。必要に迫られ、チャンスがあれば、いつでも行動を起こす。シンガポールに金委員長がやって来るのはアメリカの軍事作戦にとって千載一遇の好機と言える。

金委員長はそんなふうに考えないだろうか。

北朝鮮にとってシンガポールは完全アウェー

北朝鮮の歴代首脳の外遊はほぼ中国、ロシア(旧ソ連)に限られている。ということは、北朝鮮の当局は、本土から遠く離れた外国で首脳の安全を組織的に確保する経験は決定的に欠落していると考えられる。北朝鮮警備陣の先乗り部隊はすでにシンガポールの首脳行動エリアを念入りに下見し、あらゆる事態を想定して警備計画を立案していることは疑いない。

しかし、シンガポールは直線距離で4800km離れた海の彼方だ。
北朝鮮は警備に必要な機材を運ぶ輸送力は全く不十分だし(第三国からレンタルする手はある)、特殊車両やヘリを運べたとして万一の事態に対応するためのリハーサルをやっている余裕もない。

ぶっつけ本番を迫られることになる。

一方のアメリカは1990年以降、シンガポールとの合意に基づいてチャンギ海軍基地を使用している。
米空母の寄港も珍しくなく、シーレーン防衛の拠点であり準同盟国でもあるシンガポールとその周辺の軍事情報は着実に蓄積されている。

基地からシンガポール中心部まではせいぜい20km。海軍特殊部隊などが強襲作戦を行うための準備を秘密裏に整え、いざという時のためにスタンバイは容易だ。

しかもシンガポールでは首脳スケジュールが判明しており、動線も予想できる。駐機中の金委員長の専用機を押さえ、退路を断ったうえで身柄を確保する。反撃もたかが知れている。
北朝鮮で「斬首作戦」を敢行することに比べたら遥かに容易ではないか。

首脳警備という観点からすれば、北朝鮮にとってシンガポールは完全アウェーと言って間違いない。

アメリカが配慮しなければならないことは、軍事作戦はシンガポールの主権侵害になり得る点だ。
が、例えばアメリカは、パキスタン国内に潜んでいたビンラディン容疑者を捕獲・殺害する軍事作戦をパキスタンに無断で敢行した。

イラク戦争では少なく見積もっても10万人を超える民間人と戦闘員が死亡したのは誤算だったろうが、相当数の犠牲者が生じることは承知の上で開戦に踏み切った。

首脳会談が不調に終われば、新たなエスカレーションは避けられない。
ここでテイク・チャンスの決断が絶対ないとは言い切れないだろう。
少なくとも金委員長がそう考えたとしても不思議ではない。

もう一つの配慮は、正恩氏不在の北朝鮮が報復軍事行動に出ることを断固防止することだ。
そのためにはシンガポールと平壌の間の緊急通信手段を遮断しなければならないが、電子戦はアメリカ軍が得意とする分野だ。

“エアフォース ウン”でも残る不安

さらに、平壌~シンガポールの飛行中の安全をどう確保するかも問題だ。専用機の飛行距離内に収まっていればいいというものではない。イリューシン62の特別仕様でどれだけの運動性能と防御手段が備わっているのか想像もつかないが、考えうる敵対行為への対策が不十分なのであれば、警備・安全確保の観点からは「飛行不可」と言わざるを得ない。
ざっくり言えば、海の上を飛ぶのと、陸の上を飛ぶのと、どっちがより安全かという判断になる。北朝鮮空軍にエスコート飛行する能力はないので、中国/ベトナムの支援を受けることが不可欠だ。できるだけ中国/ベトナムの領空を飛べば、機体の不調の場合も緊急着陸対応が容易になる。が、南シナ海の公海上は米軍機もミサイル搭載艦も活動し放題だ。金委員長にとって決して気分の良いフライトではないだろう。

こう考えてみると、金委員長が平壌を飛び立って以降、無事帰還するまでの間、自分の身の安全について気を抜ける瞬間は全くない。

このとてつもない恐怖を乗り越えるには、アメリカとトランプを100%信用するしかない。

冷静に考えれば彼我の実力差は圧倒的だ。果たして金委員長は自身の安全をトランプに委ねることが可能だろうか? 相手は「斬首作戦」の最高司令官で、「最大の圧力戦略」の差配者でもあるディール男だ。ポーカーフェイスでブラフをかけるのも罠を仕掛けるのもお手の物。

そのトランプに命を預けるとしたら、それは『ベタ降り』の意思表示に他ならない。金正恩はそんなタイプだろうか。

では何故、金委員長はシンガポールでの会談で合意したのか? そして事前協議を続けるのか?

それは「素晴らしい取引」を目の前にぶら下げることによって、平壌(あるいは板門店)での仕切り直しの首脳会談にトランプを誘い込む作戦と考えるのが自然だ。

ホーム開催であれば身の安全は最大限に確保できるし、内向けの宣伝にもいいように使える。

米韓合同軍事演習を言い訳に南北次官級協議をドタキャンし、核実験場取材から韓国メディアを説明もなく排除した北朝鮮だ。「合意はすぐそこにあるがシンガポール会談はキャンセル」とするための理由はいくらでもひねり出すだろう。

極論すれば、専用機で出発したものの機材の不調によりたどり着けないことにしてもいいのだ。

これまでの北朝鮮、金正恩委員長を振り返ってみるにつけ、そんな展開も考えうる一つの可能性だと思える。

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