西城秀樹さん死去 壮絶なリハビリ秘話「頑張っていたのに」その"心残り"は?

  • 昭和の大スター西城秀樹が5月16日に死去 63歳だった
  • 2度の脳梗塞を発症、懸命なリハビリでコンサート復帰
  • 「頑張っていた」 笠井アナが語る壮絶リハビリの日々

昭和のスター逝く 早すぎる別れに広がる悲しみ

5月16日午後11時53分、急性心不全のため西城秀樹さんが亡くなった。63歳だった。

4月25日、横浜市内の自宅で倒れ、救急搬送された西城さん。
急性心不全で心肺停止状態だったというが、その後も意識は戻らず、愛する家族に看取られ息を引き取った。


まだ63歳・・・早すぎる別れに、街では…

新御三家で秀樹大好きで、子供時代過ごしていたのでショック」

「Y.M.C.A.とか歌いました。テレビのマネして


と、驚きと悲しみの声が広がっている。

ブロマイドショップには急遽、追悼コーナーが

東京・浅草のブロマイドショップには急遽、追悼コーナーが設置された。
人気の絶頂期には、ブロマイドの売り上げもトップクラスだった西城さん。
白黒の写真からカラー写真まで。甘いマスクにロングヘアーをなびかせる若き日の西城さんがそこに・・・

マルベル堂・武田仁店長
急遽、追悼コーナーを作りました。やはりこれだけのスターの方ですから。マルベル堂にあるこのブロマイド、元気のいいころの西城秀樹さんの姿をファンの方みなさんに見ていただきたいと思って。マルベル堂のブロマイド売上ランキングで昭和50年、51年、53年、54年と4回1位を取ってます。

1972年デビューしトップアイドルに…「新御三家」と呼ばれて

1972年、16歳の時に「恋する季節」で歌手デビューを果たした西城さん。
翌年には「情熱の嵐」がオリコンチャートで初めてベスト10入りし一躍トップアイドルの仲間入り。郷ひろみさん、野口五郎さんと共に「新御三家」と呼ばれ、一世を風靡した。

突然の知らせに郷ひろみさんは
とても残念です。ボクの中で長男は五郎、次男は秀樹、末っ子がボクでした。秀樹が先に逝ってしまったこと とても悲しい気持ちでいっぱいです
とコメント。


また、野口五郎さんも
あまりにも突然で今は言葉が見つかりません。気持ちの整理がつくまで少し時間をください
とコメントした。

2度の脳梗塞を経験 右半身と言葉に障害も

2003年、48歳の時に脳内の血管が詰まる脳梗塞を発症


わずか1ヵ月後には復帰を果たした西城さん。当時のことをこう語っていた…

西城秀樹

うちの女房が「長い時間のツケがたまって病気になったんだから、その分ゆっくり時間をかけて一緒に治していこう」と言ってくれたのが一番うれしかった。自分が自分を守らないと大変なことになる。“自分だけは大丈夫”という言葉は捨ててください

と語っていた。


ところが、2011年、56歳で再び脳梗塞を発症。右半身と言葉に障害が残った。
2012年の4月にはフジテレビ番組の密着取材に、片手に杖を持ちジャージ姿で現れた西城さん。
家の中ではリハビリのため、杖を使わずに歩いていると明かしていた。

笠井信輔アナウンサー
お久しぶりです

西城秀樹
こういう姿で申し訳ない


笠井信輔
お元気ですかって聞いても良いんですか?

西城秀樹
もっと悪かったんで、やっとここまで戻ったんで。1月の後半くらいから、ようやく退院できて通院って形になったんで

笠井信輔
杖をつくのがふつうの生活になりますか?

西城秀樹
外は。家の中では、リハビリのために使わないで歩く練習をしてますね

「とにかく頑張っていた」… 語られたリハビリの日々

取材後も公私ともに親交を続けた笠井アナウンサーは、リハビリを受けていた生前の西城さんについてこう語った。

笠井信輔:
頑張っていたんですけどね…とにかく頑張っていた。


笠井信輔:
言葉がもつれるところが非常に本人は気に病んでいて、うまくしゃべれないんだけど歌うと不思議なもので、ちゃんと歌えるんですよ。
ただ、しゃべると神経が繋がっていないところがあるのか、言葉がもつれたり、不明瞭になったりするんだけど、歌はね。
だからコンサートも何度も行ったけど「歌えるじゃん」って。


リハビリを続ける西城さんを支えてきたのが家族だった。

笠井信輔:
お子さんたちの成長が何よりも幸せで、あと奥さんがいい人でさ、明るいんだよ。くじけちゃうかなってところでも明るいんだよな。子供の成長をすごく楽しみにしていた。いい家族でした。本当にいい家族。

歌への情熱を持ち続けたまま旅立った西城秀樹さん。通夜・告別式の日程などはまだ決まっていないという。

(「プライムニュース イブニング」5月17日放送分より)

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