成田空港の利用客が10億人突破! 開港前に反対運動はなぜ起こったのか

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  • 成田の前に空港建設が内定していた場所があった
  • 成田の土地は開墾地が多く、住民がようやく手に入れた土地だった
  • 様々な思惑を持った人が入り込み反対運動が組織化されていく

成田空港の利用客がきょう、10億人を突破した。航空旅客数は年間4000万人近くいて、日本で国際空港と言えば成田空港が最初に思い浮かぶ人が多いであろう。

成田空港は、今年で開港から39年となるが、実は開港までには紆余曲折の歴史があった。「成田空港の歴史」を3回に分けて連載する。第1回は成田に空港を立てることが決まるまでの道のりだ。


【第1回】成田空港の利用客が10億人突破! 開港前に反対運動はなぜ起こったのか(この記事)
【第2回】死傷者が多数に…なぜ成田空港の反対派は過激に進んだのか
【第3回】闘争から共存へ… 成田空港のこれからは

2016年1月の成田国際空港
1969年12月の成田国際空港予定地
1969年12月の成田国際空港予定地

突然決まった成田への空港建設

高度経済成長期真っ只中の日本。1964年には日本人の海外渡航の自由化が始まり、同年東京オリンピックも行われ、ジャンボ旅客機やコンコルドの離発着が行われようとしていたこともあり、羽田空港は混雑のピークを迎えていた。着陸ができないため、旋回して待つ飛行機もいたほどだという。

また大阪万博を迎える1970年には羽田空港の空港機能がパンクするという話もあったため、新国際空港の設立が急務となっていた時代だった。

1960年台の羽田空港の混雑

1962年、国は新しい国際空港を立てる必要に迫られ、羽田空港の次の国際空港を作ることを閣議決定した。

当時の航空審議会は「羽田空港の拡大・浦安・木更津・富里(八街)・霞ヶ浦」の五案を検討したが、当時の技術力では海上にさらに羽田空港を拡大することは難しかった。

さらに浦安・木更津に関しては新しく作ったとしても羽田の運行を邪魔する事となり発着便の大幅な増加は望めず、霞ヶ浦に関しては都心から遠すぎるなどとして、1965年11月には、内閣で「富里(八街)」案で内定した。


しかし、国は県や市に対して何も説明をしないまま富里(八街)を内定したため、富里の地元の人は報道でそれを知る人も多く、激しい反対運動が起こった。

県庁でデモを起こしたり、血判状を当時の佐藤栄作首相に送るなどする行為が続いたため、県に協力を得ようとしたが、国は県にも必要な保証の話などを一切おろしていなかったことから、県からも協力は得られなかったという。

結果、富里案を白紙撤回し、別の場所を探す必要に迫られた。

当初の空港計画

そこで国は当初の新空港計画を半分の規模、2000haから1065haに、そして滑走路は5本から3本に減らし、出来る限り住んでいる人に迷惑をかけない形で別の場所を探したところ、御料牧場や県営林が4割近くを占め、都心からのアクセスも考えられる成田が見つかった。

この時は県や市にも説明をした上で、1966年7月には閣議決定をして、富里案の内定から8ヶ月という短期間で、成田に新空港を設立する事となった。

成田空港の土地は開墾地だった

成田空港ができた土地のうち多くは開拓地だった。

戦後満州などから引き上げてきた人、また沖縄に米軍基地ができたことから本州に来た人々が、国有地などの払い下げを受け、20年のローンで地代を払い、1966年に払い終わるという状況だった。

ようやく土地が自分のものとなるはずだったこの1966年と言う年は、奇しくも空港を成田に作る閣議決定がされた年だった

空港建設前の成田の土地分布

そもそもこの土地は木が茂る森で、土地の払い下げを受けた人々は、日中は近隣の農家に働きに出て賃金を得て、夕方から深夜にかけて自分の土地を開墾するという非常に厳しい生活だった。

ようやく苦しい生活が終わり、得られるはずだった土地を取り上げられることになってしまう住民たちは、激しい憤りを感じた。

また、富里では住民運動により空港計画が白紙化されたこともあり、「反対運動で白紙化できるなら我々も」と住民は反対運動を起こすようになる。

一方、市は空港建設について反対決議を出したものの、国と調整をした上で決定したことや、閣議決定がすでになされているということで白紙撤回し、さらに新しく空港を作るために設立された空港公団の事務所を役場の隣に立てたことでも、住人は反感をつのらせたという。

空港建設は国からの施策だったこともあり、様々な思惑を持った政党や活動家や反権力思想を持った人々などが入るようになり、本格的な反対運動が進んでいった。

この時この地には325戸の生活があった。

計画からはすでに4年が経っていた。

【第1回】成田空港の利用客が10億人突破! 開港前に反対運動はなぜ起こったのか(この記事)
【第2回】死傷者が多数に…なぜ成田空港の反対派は過激に進んだのか
【第3回】闘争から共存へ… 成田空港のこれからは