トラウマで疑心暗鬼に…ロヒンギャ難民の“癒えない傷”

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カテゴリ:ワールド

  • あばら家で暮らすロヒンギャ難民の半数は子どもたち
  • その難民の多くは、大きな傷を体だけでなく心に負っている
  • 悲惨な現実を自らの声で伝えたい14歳の少年

ロヒンギャ難民の半数は子どもたち

祖国を追われた無国籍難民『ロヒンギャ』。

ロヒンギャは、仏教徒が9割いるミャンマーの西部に暮らすイスラム系少数民族。
宗教や肌の色の違いなどを理由に長年ミャンマーで迫害を受けてきた。

去年8月、ミャンマー軍により行われたロヒンギャの掃討作戦では、多数の死傷者が出る事態となった。
そのため、約70万人のロヒンギャが隣国バングラデシュへ避難。

今、難民となった彼らの半数以上が子どもたちだ。

(【前編】半数以上が“子ども”のロヒンギャ難民。「勉強がしたい」悲痛な生活と目指す未来

あばら屋で生活するロヒンギャ難民たち

今、世界が最も注目する場所と言われているロヒンギャの難民キャンプ。

今にも崩れそうな崖の上にあばら屋が隙間なく建てられていて、そこでロヒンギャの人々は生活している。

取材を続けていると、同行していたユニセフのスタッフが、軍服をきた数人の集団に連れて行かれてしまった。
後に知ることとなったが、呼び止めたのは難民キャンプを管理しているバングラデシュ軍だった。

ロヒンギャに関する報道に敏感になっているというバングラデシュ。
その理由は、過去に避難してきたロヒンギャも含めると120万人もの難民をすでに受け入れていて、これ以上難民を増やしたくないという背景があるという。

事前に許可を得ていることを説明した我々は、取材を続けることができた。

そんな緊迫した空気が流れる難民キャンプで、小さな広場のような狭い空間で無邪気に遊ぶ子供達の姿があった。

彼らに話しかけると「ここで遊ぶのは楽しいよ!グラウンドは小さいけどね」と笑顔を見せてくれた。
現地で取材を続ける山中章子アナウンサーが、ミャンマーでの生活について尋ねると「うん、楽しかったよ!」と明るく話す男の子の声を遮るように「楽しくなかったよ、遊べなかったじゃん」と話す14歳のハリス君。

「ミャンマーにいた頃はボールをなくされたり、矢を打たれたこともあったんだ。石を投げつけられたこともあったよ」と悲しい表情を浮かべた。

「家を焼かれて、逃げるしか出来なかった…」

14歳のハリス君

ハリス君は父親をミャンマー軍に殺され、去年8月、母親らと一緒にバングラデシュに避難してきた。
友達と別れたハリス君についていくと、同じ時期に避難してきた親戚の家でお昼ご飯を食べさせてもらうということだった。

この日のメニューは、ご飯に魚と香辛料という質素なもの。
「ミャンマーではもう少し良い物を食べていたよ」と言うハリス君の親戚に詳しく話を聞くと、食べ物は月に1度ほどの配給品で、ギリギリの生活をしているという。

食事を終えたハリス君が向かったのは、キャンプ内にあるモスクだ。
イスラム教徒である彼らは、日に5回ある祈りを欠かさない。

平和な日々を送っているように見えるハリス君だが、そんな彼もミャンマーでは、迫害を受けていた。

「たくさんの人がロケットランチャーや銃で撃ち殺されたんだ。家を焼かれて、逃げるしか出来なかったよ」

ミャンマー軍のロヒンギャへの掃討作戦によって、村は無残にも焼き尽くされただけでなく、難民の多くが日常的に被害にあっていたという。

ある男性は「ミャンマー軍は小さな子どもでも、切り殺して川に捨てたんだよ」と怒りをあらわにした。

さらにある姉妹に話を聞くと、「逃げる時に足を銃で撃たれました」と撃たれた傷跡を見せくれた。

難民の多くが想像を絶する被害を受けていた。

“疑心暗鬼”になる難民たち

取材中、我々は突然多くの男性たちに囲まれてしまった。

噂話が広がり、取材クルーがキリスト教への改宗をさせようとしているのではないかと疑われて取り囲まれてしまったのだ。
情報網は口コミしかない難民キャンプ。
ミャンマーでの壮絶な過去がトラウマとなり、皆、疑心暗鬼となってしまっているというのだ。

取材の目的をしっかりと説明すると、彼らは理解を示し、最後には笑顔で別れることができた。

しかし今度は、我々がハリス君と話していると、「なんで何回も子どもに話を聞くのよ!何のために何回も来るの!」と、ハリス君の叔母が怒声をあげはじめた。

改めて室内で話を聞こうとしたが、叔母がまた「二度と私の家に来るんじゃないよ」と怒鳴ると、ハリス君は「なんでそんなこと言うの」と涙を流し始めた。

ハリス君は周囲から、もう何も話すなと言われたというが、それでも私たちの取材をうけてくれる理由を聞くと「僕の話を聞いてくれるからだよ」と答える。

ミャンマーでの悲惨な現実を自らの声で伝えたいという強い思いがあった。

先ほど声を荒げたハリス君の叔母に話を聞くと、涙を浮かべながらこう言った。

「さっきはハリスに強く言い過ぎたけど、彼が何か言うことで、あの子が酷い目にあうんじゃないかと心配なんです…」

「いつもお前たちの国じゃないと言われて、虐げられてきたわ。多くは望みません。生まれ育ったところに戻りたいだけです」

彼女もまた心に大きな傷を残していた。

夢は亡き父と同じ国連職員

「妹に勉強を教えてたんだ。ミャンマー語のアルファベットなんだけど」

後日、ハリス君を改めて訪ねると、妹に勉強を教えている最中だった。
勉強が好きというハリス君だが、ミャンマーにいるときは小学3年生までしか学校には通えなかった。
そんな彼は、今、ミャンマー語と英語を勉強したいと話す。

なぜミャンマー語だけでなく、英語も学びたいのだろうか。

「おとうさんは国連機関の職員だったんだ。英語ができれば、国連とかで働くこともできるから」
ミャンマー軍に殺害された亡き父と、同じ仕事に就きたいというハリス君。

過酷な環境を生きるロヒンギャの子供たち。
彼らにはどんな未来が待っているのだろうか。

ロヒンギャの人々が暮らすこのキャンプ。
様々な我慢や、犠牲の上でかろうじて成り立っているような状況で、物資も人もギリギリの状態が続いている。
不衛生で劣悪な環境で暮らすストレスも計り知れない。

受け入れ先のコックスバザールは、バングラデシュの中でも貧しい地域だったが、ロヒンギャの人々が受ける迫害を見て、土地や食べ物の支援をしてきた。
しかしロヒンギャ難民の数は今や120万人と、地元に住んでいる人の2倍にもなり、支援の手も限界にきているというのが実情だ。

そんな綱渡りの状況が続く中、取材をすると、2度とミャンマーに帰りたくないと話すロヒンギャの人もいる一方で、多くは安全が確保されて国籍が与えられたら、生まれ育った土地に帰りたいと話していた。

去年11月、ミャンマーとバングラデシュの間でロヒンギャ帰還についての合意がなされたが、話し合いの席にロヒンギャの人々は参加できなかった。

これでロヒンギャの人々が望む帰還はできるのだろうか。

表面張力一杯まで水が溜まったようなこの状況に、私たちは支援の手を差し伸べられるだろうか。


(【前編】半数以上が“子ども”のロヒンギャ難民。「勉強がしたい」悲痛な生活と目指す未来

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