「仮面女子」猪狩ともかさん “車いすアイドル”としての決意告白

  • 強風で倒れてきた巨大看板の下敷きになり脊髄損傷…車いす生活に。
  • 救われたのは「生きていればなんでもできる」という兄の言葉。
  • 退院後も「仮面女子」として車いすでもできる活動を行う予定。

“春の嵐”で倒れてきた看板の下敷きになり車いす生活に…

東京・秋葉原を中心に活動するアイドルグループ「仮面女子」のメンバー、猪狩ともかさん。
ステージ上でスポットライトを浴び、ファンの声援に応えていたアイドルが突然、車いすに乗り、リハビリ生活を余儀なくされることに…。

1人のアイドルが直面した過酷な運命。

それは、4月11日、関東地方に吹き荒れた「春の嵐」の日だった。

猪狩さんは4月11日、東京・文京区の湯島聖堂近くの歩道を歩いていた。
その際、強風で巨大な木製の看板が倒れ、その下敷きになり病院へ搬送された。

ブログに「気づけば看板の下敷きになっていました。出せる精一杯の声を振り絞って『助けて・・・!』と口にしました。その時はとにかく苦しく、早く楽になりたいという思いでした」と綴った猪狩さん。

この事故で、腰椎や胸椎、足やあばらの骨を折った猪狩さんは脊髄も損傷し両足が麻痺。

自らの力で歩くことができなくなってしまった…。

“脊髄損傷”とは?

「脊髄というのは脳から身体の末端まで信号を送る役割をしている。今回の下肢の麻痺というと、胸椎の下の部分の障害が考えられる」と、東邦大学医療センター大橋病院脊椎脊髄センターの伊藤圭介講師は語る。

さらに、リハビリについては、「脊髄損傷に対するリハビリは、残された神経を最大限に活用し、自分の生活をしやすくするために行うことが主眼となる」と説明する。

リハビリを行う猪狩さんの様子。車いすから腕の力だけでピンクの台に移動しようとするが、なかなか思い通りに体が動かない。

「下半身が完全に動かない状態なので、上半身の力だけで足を持ち上げたりだとか、自分でズボンをはく練習だとか、日常的な動作をまずは自力でできるように練習しています」

実は、猪狩さん自らが両足麻痺したことを知ったのは事故から10日後のことだった。

猪狩さんはブログに「絶望しました。事故に遭うまで、この先ずっと普通に歩けると思っていたし、踊れると思っていました」と当時の心境を綴った。


“絶望”から前を向けたのは兄の「生きていればなんでもできる」という言葉。

長い下積みを経て、猪狩さんが「仮面女子」のメンバーに加わったのは25歳の時。
幼いころからの夢を実現した1年後に、事故に巻き込まれ「絶望していた」と言う。

そんな猪狩さんを救ったのは猪狩さんの兄の言葉だった。

猪狩さんの父親は、兄が猪狩さんに掛けた言葉について、「『歩けなくたっていいじゃん』って言っていました。『別に歩けなくたっていいじゃん』って『生きてるんだから』って」と涙ながらに話した。

猪狩さんも取材に対し、兄の言葉に救われたと話した。
「命が助かったことが何よりもよかったという風に言ってもらえたということと、脚がもう一生動かないかもっていうのが分かった時に『車いすに乗っていたってなんだってできるよ』っていう風に言ってもらえたので」


「生きていればなんでもできる」
…その言葉を胸に苦しいリハビリに取り組む際も、晴れやかな笑顔で前向きな姿勢を見せている。

「今後は車いすに乗ってできる、やりたいなと思っていることは、作詞活動や、おしゃべりすることが好きなのでラジオや講演だったり自分の今の現状を受け入れて、自分にできることをこれからやりたいなと思っています」


所属事務所によると、猪狩さんは退院後も「仮面女子」として車いすでもできる活動を行い、スタッフ全員でサポートしていくという。

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