"障害"理由に強制的な不妊手術…深い傷を負った女性たちの今

  • 優生保護法で半世紀の間に1万6500件不妊手術
  • 不妊手術受けた女性「死ぬことばかり考えていて」
  • 「手術勧めた母の言葉が…」息子生んだ女性の現在

今、多くの女性たちが声を上げ始めている。

「障害者はケアが何もない時代だったから。母が心配して『子宮を取った方がいいね』って」
「人生を戻せるものなら戻してほしいけど元には戻らないので悔しいだけです」

女性たちの心に深い傷を負わせたのはある法律。

“不良な子孫を出生することを防止する”
知的障害や精神障害などを理由に本人の同意がないまま、強制的に不妊手術を行うことを認めていた「優生保護法」。

この法律に基づき1948年から96年までのおよそ半世紀の間、全国でおよそ1万6500件の不妊手術が行われたとみられている。


「人生戻せるものなら」手術受けた女性

「優生保護法がやったことでなんでこんな辛いことがあるのかなって。いつも部屋で死ぬことばかり考えていて…」

悲痛な胸のうちを明かすのは仙台市内に暮らす飯塚淳子さん(仮名・70代)。
障害を抱えながら生きてきた飯塚さんの心には今も辛い“不妊手術”の辛い記憶が刻まれている。

それは中学生の頃のこと。
軽い知的障害と診断され「優生手術」を受けることになった。

飯塚淳子さん(仮名・70代)
「何も告げられないで、優生保護というのは何も知りません。だまして注射を打って(手術を)行ったのだと思います」

知らぬ間に受けさせられた不妊手術。
しかし実の父親が残した手紙には父親自身が不妊手術にやむなく同意したことが綴られていた。

飯塚淳子さん(仮名・70代)
「至急手術をするように話があったので印鑑押せと責められて」
「やむなく印鑑押させられたのです。優生保護法にしたがってやられたのです」
「震える手で書いてたんですよね。しつこく責め立てられるので仕方なく印鑑を押したって」
「障害者に対する差別ですよ。障害者も生きる権利があるし子供を産む権利もあるんですよ。出来れば人生を戻せるものなら戻してもらいたいけれども、元には戻らないので悔しいだけです」

不妊手術の経験を持つ医師は…

今年1月、不妊手術を受けた宮城県に住む60代の女性が全国で初めて国を相手取り裁判を起こした。

女性は15歳のとき知的障害を理由に不妊手術を受けさせられ「基本的人権を踏みにじられた」などとして、1100万円の損害賠償を求めている。

こうした動きが各地に広がる中、飯塚さんも同様に近く訴えを起こす考えだ。


なぜ障害者は子供を産む権利を奪われなければならなかったのか。
北海道で当時、不妊手術を実際に行っていた医師に話を聞くことが出来た。

不妊手術の経験を持つ医師
「いたずらをされて妊娠を万一したら困るというので(親も)手術を強く依頼して(子供を)できなくした方がお互い幸せでいいんじゃないかという空気は当然あった」
「出来ればそういうことはないほうがいいと思ったんだけど…」

今も手術勧めた母の言葉が忘れられない

札幌市で障害者の自立支援などに取り組む小山内美智子さん(64)。
脳性麻痺の障害がある小山内さん自身も15歳前後の頃、不妊手術を受けさせられそうになった。
今でも手術を勧めた母の言葉が忘れられない。

小山内美智子さん(64)
「障害者はケアが何もない時代だったから、生理が来たらと学校にも行けなくなっちゃうし。母が心配して『子宮を取った方がいいね』って言われて」

この言葉に従い母・久子さんと共に病院へ。しかしタクシーに乗った途端不安がこみ上げ、道路に座り込んで訴えた。
「やっぱり行かない」この娘の訴えによって思いとどまった母・久子さん。泣きながら「自分が間違っていた、やめよう」と話し、その後は一切手術について口にすることはなかったという。

小山内美智子さん(64)
「万一もしかしたら1000分の1でも恋が出来るかもしれないという、その夢を捨てちゃいけないと思った」

その後小山内さんは31歳で結婚し、息子・大地さんを出産。その存在はずっと大きな支えになってきた。

小山内美智子さん(64)
「今は優生保護法がなくても若い障害者たちが結婚出来ない現実がある。醜い身体と心を抱いてくれる人はいないっていう障害者は常にそれで悩んでますからね」
「私たちが言う保護法はもっと福祉がよくなって障害をもつ人も恋愛して結婚も出来る、そういう社会を作り出すことが優生保護法をなくす最後の壁だと私は思いますね」

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