肩書きなんていらない ~すぐそこにある未来~  佐々木俊尚

カテゴリ:国内

  • 様々な仕事を同時並行させることが容易な時代になり、もはや肩書きに意味はない
  • だから、名刺に肩書きを入れるのをやめた 
  • 「何者なのか」は、SNSのアーカイブの積み重ね

「中心の仕事は何?」とよく聞かれる

いま目の前にいる人が何者なのか、ということを人は自分の理解できる範囲で理解しようとする。

たとえば終身雇用の大企業に勤めているような人だと、「所属先」や「どこから給料をもらっているのか」というようなことが理解できる範囲になるのだろう。だからこういう人に講演会場で出会ったりすると、いきなり不躾な質問を受けたりする。「どこかに所属されてるんですか」「いちばん中心の仕事は何なのですか」「主な収入はどこで得てるんですか」

そこで「いやあ、いろんな仕事をしているので、中心の仕事というのはないです」と説明するのだが、腑に落ちない様子で、納得はしてもらえない。

「複業」の時代に肩書きは意味がない

昨今は、日本社会でも仕事のあり方が大きく変わろうとしている。私のようなジャーナリストの仕事だと以前は出版社との仕事が大半で、人間関係もそういう業界に閉じている人が多かった。しかし2009年ごろからの出版不況で雑誌が減り、一部のベストセラー作家を除けば、単一の業界だけでは食えなくなっている。

これは出版業界に限らない。産業構造の変化に加えて、SNSなどの情報通信ツールの普及で広く人間関係をつくってさまざまな仕事をあれこれ進めることができるようになり、仕事観は大きく変わった。いくつもの仕事を同時並行させることが容易になった。本業ではない仕事を副業というが、副業をいっぱいやって生計を立てることができるようになって、もはや副業ではない。「複業」なんていう言葉もある。

そういう成り立ちで生きていると、肩書きはもはや意味がない。「何をやってる人ですか?」と聞かれて説明するのがめんどくさい時には、「ぶらぶら生きてます」と返事をしている。実際私はぶらぶら生きてて、その「ぶらぶら」がどこかでぐるりと回って多少のお金を生み出してくれて、それで生活はとりあえずできている。

肩書きよりも「人となり」を表すものがある

だから昨年新しく作った名刺には、もう肩書きを入れるのをやめた。名前だけポツンと刷り込んである。

住所も電話番号も書いてない。私はマネジメントが苦手なので、人を雇ったりしていない。なのでオフィスもなく、自宅が仕事場と兼用だ。住所を名刺に入れるとすると自宅の所在地ということになるのだけれど、最近は「Eight」のような名刺交換サービスが普及しているので、自宅住所が広く公開されてしまいかねない。それはリスク上あまりよろしくないと思うので、住所は打ち合わせなどの都度、相手に直接伝えるようにしている。

電話番号も書いていない。電話番号を知ったとたんに、あらゆる用事を直接の電話ですませようとする人がかなりの数いて、仕事に集中したいときの時間を妨げられてしまうからだ。

そのかわりに名刺には、メールアドレスとツイッターのアカウント名だけは入れてある。それと「佐々木俊尚」という氏名のみ。情報量がきわめて乏しく、「この人は何者であるか」という肩書き的なものもいっさい記載されていない無愛想な名刺だが、そもそもSNS時代には名刺交換という行為そのものが儀式でしかないので、これで十分かなと思う。

そして肩書きなんかよりも、SNSのアカウントに書いてあるプロフィールや日々のコメント、そして誰と友人であるかというさまざまな情報の方が、ずっと人となりを的確に表していると思う。信頼は名刺の肩書きじゃなく、インターネットのアーカイブの積み重ねによって得られる時代なのだ。


「〇〇なんていらない」~すぐそこにある未来~
 現金なんていらない 古市憲寿

〇〇なんていらないの他の記事