国境を越えて活躍するアスリートたち。

3月15日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、インターナショナルなアスリートたちが登場。来日したときの苦労など、日本人には分からないエピソードを披露した。

 
 
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カナダ国籍を決断するまでの葛藤

柔道・カナダ代表の出口クリスタ選手。カナダの国旗が付いた柔道着に袖を通すまでにはさまざまな葛藤があったという。

彼女が生まれたのは長野県塩尻市。カナダ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、二重国籍という環境で育った。幼少期はまるで天使のようにかわいらしく、そのかわいさゆえ、護身術も兼ねて3歳の時に柔道を始めた。

それからメキメキと頭角を現し、高校1年生で全国制覇。そんな彼女の夢は「東京オリンピックで金メダルを獲ること」。

 
 

しかし、クリスタ選手のいる日本の女子57キロ級にはライバルが多く、日本代表が遠かった。さらに、22歳までに日本かカナダのどちらかの国籍を選ばなければならず、悩みに悩んだ末、決断したのがカナダ国籍。

「人生を左右するような決断。もう日本代表に戻ることもできない。結局、勝てないから逃げたのかってなるのが嫌でした」

背水の陣で迎えた2019年の世界柔道選手権。決勝で高校時代からのライバルである芳田司選手に勝利したクリスタ選手は、オリンピック、世界選手権を通してカナダに初の金メダルをもたらした。

優勝後、祝福してくれたのは妹のケリーさん。姉の葛藤を側で見ていたケリーさんは涙を流して喜んでいた。

スタジオでは、国籍を選ぶ上で30人にリサーチしたことを明かす。クリスタ選手は「自分一人で決めるのも分からなかったので、仲のいい人に聞きました。柔道やっている人は9割、『カナダ国籍がいい』と言ってくれたので、それも決断の一つでした」と振り返る。

カナダ国籍を選択後、快進撃が続いた理由については「気持ちが楽です。日本での柔道は、“お家芸”だったり“金メダルが当たり前”というプレッシャーの中でやっていて。でも、カナダは“とりあえず一回戦”、“結果、金メダル。メダルが獲れていれば十分”というスタンスなので楽です」と笑った。

さらに、子どもの頃から男子相手にも勝てるほど強かったクリスタ選手の強さの秘密を、昔の柔道仲間が告白した。学生時代のクリスタ選手をよく知るという1年後輩の男性2人は、「クリスタ選手は獣!」、「練習でボコボコにされて泣かされたこともあった」と暴露。

当時、クリスタ選手には“心も体も殺しにくる技”があり、よくその技をかけられていたという。その技は、相手の股の間から帯を持ち、持った手を引っ張り相手をひっくり返すもの。

男性には激痛を伴うというこの技をクリスタ選手は「男性には力で負けるので、どうしたらルールに違反せずに返せるかと考えて。絶対に負けたくなかった!今の女子中学生とか全員に教えたいです」と笑顔を見せた。

ラグビーを捨ててでも!

 
 

フィジー出身の副島亀里(カメリ)ララボウラティアナラ選手。

現在、コカコーラレッドスパークスに所属し、身長190センチの恵まれた体格と規格外のパワーが持ち主のラグビー選手だ。

リオオリンピックでは、7人制ラグビーの日本代表として活躍し、東京オリンピックでも日本代表候補に選ばれるほどの実力の持ち主。

フィジー共和国バヌアレブ島で一番大きな街であり、近年リゾート地として成長しているランバサで生まれた副島選手。地元の人たちは昔ながらの集落に住み、サトウキビ栽培や砂糖を作ることで生計を立てている。

母国・フィジーの代表選手になる夢を持ち、代表も目前かと思われていた26歳の時、ラグビーでプレーすることすら捨て、日本に来日したという。

彼を突き動かした理由は、「とにかく彩と結婚したかった!」から。

 
 

スタジオには副島選手の妻・彩さんも登場。彩さんは2005年から2年間、青年海外協力隊としてフィジーで活動し、そこで副島選手と出会ったという。しかし、彩さんは活動を終え、日本に帰国することになったが、副島選手は彩さんを追いかけ日本へ。

しかし、彼は彩さんを追いかけて日本に来日したときに失敗をしてしまった。初めての来日が2月だったため、彩さんから「寒いからしっかり着てきてね」と言われていたが、なんとTシャツ、短パン、サンダルで登場。当時の心境を副島選手は「寒すぎる!冷蔵庫の中にみんなが住んでいるみたいだった…」と表現した。

 
 

ラグビーを捨て来日した年にめでたく結婚。なんと、プロポーズは彩さんからあった。

彩さんが「結婚してくれないと飛び降ります!」と言ったところ、副島選手が「下に落ちる前に俺がキャッチする」と返事をしたというエピソードが披露されると、スタジオにした面々も2人の情熱的なやりとりに思わずニヤけてしまった。

鈴鹿サーキットに憧れて

 
 

イタリア出身でスーパーGTで活躍するレーシングドライバーのロニー・クインタレッリ選手。

2005年にスーパーGTに参戦すると、GT史上最多、4度のシリーズチャンピオンを獲得するという偉業を達成。その功績が認められ、2016年にイタリアから勲章を授与された。

ロニー選手は、モータースポーツの本場であるイタリアの北部に位置するヴェローナで生まれた。「ロミオとジュリエット」の舞台として有名な世界遺産の街。

父親の影響で10歳からモータースポーツを始めると、数々のレースで優勝。小さい頃から鈴鹿で行われていたF1日本グランプリをテレビで観戦していたロニー選手は、いつしか鈴鹿サーキットに憧れるようになった。

すると、22歳の時に日本からスカウトされ、ロニー選手は悩むことなく来日を決意。大都会・東京かと思いきや、日本の原風景が残る山口県に移住。

生活は一変したが、山口県はロニー選手にとってパラダイス!だった。

その理由は「たまたまスカウトされたチームのベースが山口で、とにかく自然がよくて、左を見たら山、右を見たら海。オフの時ものんびりできてよかった」と魅力を明かす。

山口が好きすぎて、その後、名古屋が拠点のチームへ移籍するが、チームが住む場所を手配するという話も断り、山口に住み続けた。

すると、番組MCの浜田雅功さんが「レーサーの実家はお金持ちなの?」という素朴な疑問をぶつける。ロニー選手は「ある程度は必要」と濁しながらも、「うちはお金持ちではない」と否定した。しかし、「実家の仕事は大理石の切り出し。僕は日本に来る前に大理石の専門学校に行って勉強しました」と明かす。

 
 

さらに、ロニー選手の親戚はイタリアで95年続く老舗のワイナリー「クインタレッリワイン」であることも明かされる。

それを聞いた浜田さんは「ええところの子やん!」とツッコむ。

そんなロニー選手は、「石からワインまで幅広く」と笑いを取りながら、ホワイトハウスにも卸しているというワインを「ぜひ、浜田さんに飲んでもらいたい!」持参。高級ワインをプレゼントされ、浜田さんも思わず顔がニヤけていた。

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送