人生100年時代…と言われながらも、全ての人が100歳まで生きられるわけではない。

そして、今一緒に過ごしているパートナーか自分のどちらかが先にこの世を去ってしまうことは避けられない。
11日に亡くなったプロ野球の野村克也元監督は、2017年に妻・沙知代さんに先立たれ、一人残された生活について「ただただ寂しい。男は弱い。」と生前語っていたのが印象的だった。

『72歳、妻を亡くして三年目』(幻冬舎)の著者である医学博士・西田輝夫さんは現在72歳。医学部の教授職を63歳で定年退任し、66歳で完全に公職から退くが、その後に妻をがんで亡くす。「自分が先に死ぬもの」だと思っていた西田さん。家事を妻に任せっきりだったため、妻亡き後の狼狽ぶりを前作『70歳、はじめての男独り暮らし』(幻冬舎)で綴っている。

今作では、それから3年以上が経った今、西田さんが前を向いて歩き出し、自身の「死」へ向き合いながらも、人生を楽しんでいる様子が描かれている。そんな西田さんに今の心境などを聞いた。

西田輝夫さん
西田輝夫さん
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「妻が見ているから、頑張るのだぞ!」

妻が亡くなってからの1年は、その事実を受け入れられず、2年目はその事実を受け入れる準備ができつつあったが孤独感を感じていたという西田さん。

「旅立った者は、時間が止まっています。しかし残された者は、この世で時間が進んでいき、実際の生活があります。その中で、生き延びるために現実的に処理をしなければならないことがたくさんあり、配偶者を失った空虚感にいつまでも浸っていられないのも現実です」

そして、西田さんはこの3年をこう振り返る。

「四十九日までは葬儀に続き、行わなければならない(法的な手続きと慣習的な物ごとなど)事柄で追われ、あっという間に時間が過ぎていきます。その後、一周忌までの約1年が悲しみや寂しさをひしひしと感じる時期でした。また、社会的な活動が少しばかり少なくなっても、周りの方々が許してくださった時期でもありました。

2年が経ち、現実の家庭内での生活や社会的な活動に追われ始めると、失った配偶者への気持ちは変わらないものの、いつまでもその寂しさに浸っていられなくなってきます。その意味で、三回忌から丸3年というあたりから、生活スタイルの立て直しから始まり、精神的にも少し立ち上がってきました」

3年という月日を節目に、西田さんは悲しみを乗り越え、残りの人生を考え始めたという。

「三回忌の次が七回忌ですが、ここで4年空いているのも先人の知恵かもしれません。つまり、2年あるいは3年経つと、立ち上がらなければならないということでしょう。残された人の年齢にもよると思います。私の場合は、退職し公職から退いていましたが、まだ医師としての活動を少し続けています。もし、40歳代や50歳代で働き盛りの時であれば、空虚感や寂しさに十分浸れることが許されなかったかもしれません。逆に立ち上がりは早かったかもしれないです」

こう語る西田さんは、この3年を振り返って自分自身へ掛けたい言葉について聞くと、「よく乗り切ったな!高いところから妻が見ているから、頑張るのだぞ!たくさんの新しい楽しいことを増やして、再会するときの土産話を作っておこう」と話す。

妻の死は私自身への大きな教訓

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現在、72歳の西田さん。妻を亡くした後、弟も亡くしたことを機に、自分自身にも近づいている「死」について考え始めたという。

「今を生きるために死を考えている」と著書で触れているが、自分の「死」を考えることで今の生き方に反映されているのか。死を考える上での心構えはあるのだろうか。

「今のこの国では、人は死なないというのが通常であるという考えが蔓延しているのではないでしょうか。本当は、死は平等に全ての人を襲うものでしょう。生まれてきたから、死というものが発生するのです。その間のさまざまな苦悩が“老”と“病”。これが仏教でいう“生老病死”という四苦なのでしょう。私自身は眼科医として“老”と“病”に関わってきました。身近な妻が死ぬということを経験し、私自身にも死が近づいてきていることを改めてはっきりと認識させられました。その意味で、妻の死は私自身への大きな教訓を与えてくれたものだと思います。

青春時代のような次の時代をより実りあるものにするために頑張るという感覚とは異なりますが、『死』の後の次の世界でどのように生かされるかを考えると、遺された今の『生きている時』をどのように過ごすかがとても大切になってきます。必ず訪れる『死』を避けて見つめないのではなく、『死』という境を超えた先にあるあの世でのことを望み、今生きているこの世での時を充実するために『死』を考えるべきではと思っています」

平均寿命が延びたとは言え、「死」は誰にでも訪れるもの。西田さんは妻を亡くすという大きな悲しみを徐々に受け入れ、還暦を過ぎたら“おまけ”の人生だとし、残りの人生を楽しめるよう、日々生きているという。

『72歳、妻を亡くして三年目』(幻冬舎)

西田輝夫
1947年生まれ、大阪府出身。医学博士。1971年に大阪大学医学部卒業後、米国ボストンのスケペンス眼科研究所に留学。1993年には山口大学医学部眼科学教室教授に。2010年からは山口大学理事・副学長を務め、2013年に退任。現在は、医療法人松井医仁会大島眼科病院監事、(公財)日本アイバンク協会常務理事などを務める

「人生100年時代」を考える。特集をすべて見る!
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プライムオンライン編集部
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