「防災マイスター」を目指す小学生

岩手・陸前高田市の小学3年生・米沢多恵さん。
地域の防災リーダー「防災マイスター」を目指す人を対象にした講座を受けている。

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米沢多恵さん:
地震の時にどうやって身を守ればいいかや、津波の時はどう避難すればいいかに興味を持っている

「防災マイスター」は、陸前高田市が2018年度から養成を始め、地域のイベントなどで防災に関する指導をする。月に1回開かれる講座に、一定の回数以上出席することが認定される条件だ。

本来は中学生以上が対象だが、小学3年生ながら講義を受けている。

米沢多恵さん:
あなたは119番通報をお願いします。あなたはAEDを持ってきてください

この日は、心肺蘇生の方法についての講習。
消防署員の話を熱心に聞き、応急処置の練習に取り組んでいた。

米沢祐一さん:
絶対助けるんだって気持ちでやって

多恵さんをそばで見守るのは、父親の米沢祐一さん。
頑張る娘の姿を隣で優しく見つめる。

米沢祐一さん:
自分よりも、授業が終わったあとに覚えていることが多いみたいなので頼もしい

自身も2018年度、防災マイスターとなった祐一さん。多恵さんが防災に強い関心を持つのは、祐一さんの存在が強く影響している。

父の大切な場所…津波の教訓を娘に

復興が進む陸前高田市で、東日本大震災当時のままの姿を残すビル。ここで包装資材を販売する店を営んでいた祐一さんは、震災の津波で、両親と弟を亡くした。

ビルの屋上にある煙突。祐一さんは、真下まで津波が迫る中、ここによじ登り、なんとか難を逃れた。

米沢祐一さん:
自分はこの建物に助けられた

この経験から、建物を震災遺構として独自に保存することを選択。
これまでに国の内外から、約5000人が訪れている。

一方、多恵さんは震災の1カ月前に生まれ、当時の記憶はない。

米沢祐一さん:
ここまで来たの、津波が。だから多恵ちゃんなんて海の底だよ

だからこそ、親子でそのビルを何度も訪れ、父から娘へ震災の教訓を語り継いできた。

米沢祐一さん:
形見と一緒。何も残ってないので。亡くなった両親と弟と一緒に暮らした場所。昔の陸前高田を思い出せる場所

米沢多恵さん:
お父さんの大事な場所

マイスターを目指すきっかけ 娘に響いた父の思い

陸前高田市の仮設商店街「高田大隅つどいの丘商店街」。
祐一さんは、震災の翌年から、ここで営業を続けている。

多恵さんは、時間がある時には店にやってきて、祐一さんの手伝いをしている。

祐一さんに防災マイスターの証として、市から受け取ったバッジを見せてもらった。
実は、多恵さんがマイスターを目指したきっかけは、父がこのバッジをもらった時の姿に憧れを持ったことだった。

米沢多恵さん:
(もらった瞬間は)かっこよかった。メダル取って追い越すからね

米沢祐一さん:
追い越してください。とと(父)に教えてください

「米沢商会」は2020年2月、本設の店舗での営業を再開する。しかし、その規模は、震災前の半分ほど。これからは、新しい店舗の建設費や震災遺構として、旧社屋を残すうえでの維持費を支払わなければならない。それでも、震災の伝承活動を続ける祐一さんの思いは娘に伝わっている。

米沢多恵さん:
ずっと言っていたじゃん、あっち(旧社屋)に行くと『津波は怖いんだぞ』って。あの言葉はびんびん響いている。びっくりするほど響いている

米沢祐一さん:
そのくらい響いていれば大丈夫だよ。津波が来ても絶対に助かるよ。逃げることができるよ

「キッズ防災マイスター」に認定 「防災は命を救うと教えたい」

12月22日、防災マイスター養成講座の最終回を迎えた。この日も、会場には米沢親子の姿が。11回の講義のほぼすべてに出席し、防災について真剣に学び続けた。

講座のあと、新たな防災マイスターに認定書が授与された。

多恵さんが認定されたのは、「キッズ防災マイスター」。防災について、公の場での指導はできないが、市が多恵さんの頑張りを認めて、新たに考案した。

もらったのは、お父さんのバッジよりも一回り大きい特別なピンバッジ。

ーーお父さんのとどっちがいい?

米沢多恵さん:
自分の。大きいから

米沢祐一さん:
自分の身の守り方については今回学んでいると思うので、身を守ったあとにどうするのかは、これから本人が考えていくこと

米沢多恵さん:
(キッズ防災マイスターとして)防災は命を救うと、友達に教えたい

震災からの復興半ばの陸前高田市。「津波の怖さ」について深く胸に刻んでいる親子は、命を守るための行動を発信していく。

(岩手めんこいテレビ)

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