ドライマティーニ密談で蘇る「加藤の乱・血判状」の記憶 自民ベテラン4人が語り合った「ポスト安倍」への夜

カテゴリ:国内

  • 岸田・石原・塩崎・根本4氏が恒例の「ドライマティーニの会」開催
  • 運命を変えた「加藤の乱」で共に行動…血判状の思い出
  • ポスト安倍も話題に…次期総裁選では「岸田氏推し」で連携も

今年で開催19年目。銀座に集まった顔ぶれは自民党幹部級の4人

11月26日午後9時頃、東京・銀座に自民党のベテラン政治家4人の姿があった。岸田文雄・政調会長、石原伸晃・元幹事長、塩崎恭久・行政改革本部長、根本匠・前厚生労働相だ。

岸田文雄政調会長(11月26日午後9時前・銀座)
石原伸晃元幹事長(11月26日午後9時前・銀座)
塩崎恭久行政改革本部長(11月26日午後9時前・銀座)
根本匠前厚生労働相(11月26日午後9時前・銀座)

毎年この時期に開かれ、「今年で19年目だ」というこの会合、1杯目は必ず、カクテルの帝王とも呼ばれる辛口のカクテル「ドライマティーニ」で乾杯するという。

「ドライマティーニを飲むと、あの時の記憶は鮮明に蘇るな」

この通称「ドライマティーニの会」で、閣僚や党の要職を歴任してきたベテラン政治家たちが思いを馳せるのは、今から19年前、2000年11月20日の記憶だ。それは自民党の宏池会(=現岸田派)にとって特に運命の一日となった「加藤の乱」のことである。

2000年の「加藤の乱」

政治史に残る大事件『加藤の乱』から生まれた『ドライマティーニの会』

岸田氏と根本氏が所属する派閥・宏池会(=岸田派)は、自民党内でも「保守本流」と呼ばれる名門派閥だ。比較的リベラルな政策を掲げ、これまでに、創設者の池田勇人氏をはじめ、大平正芳氏、鈴木善幸氏、宮澤喜一氏と4人の首相を輩出している。

岸田氏と創設者の池田勇人氏
大平正芳氏、鈴木善幸氏、宮澤喜一氏

そして、現在は石原派の領袖となっている石原伸晃氏と、無派閥の塩崎氏も、かつては宏池会の若手議員だった。この4人が、宏池会でいわば同じ釜の飯を食べていた2000年に起こったのが、20世紀最後の政治権力闘争となった「加藤の乱」だった。

その前年の1999年、当時の宏池会会長で、“政界のプリンス”と呼ばれ、将来の首相就任が確実とも言われていた加藤紘一氏が、自民党総裁選で当時現職の小渕恵三首相に挑む形で出馬し、敗れた。その後、小渕氏は加藤氏に対して「君は僕を追い落とそうとしたじゃないか」と吐き捨て、加藤氏とその周辺を人事で徹底的に冷遇したのだ。この仕打ちを受けて加藤氏は党主流派との溝を深めていった。

加藤紘一元幹事長

そして翌2000年、小渕氏が病に倒れたのを受けて誕生した森喜朗内閣が、森氏の失言などにより国民の支持を失っていくのを見計らった加藤氏は、同年11月、野党が提出する内閣不信任決議案に同調する動きを見せたのだ。自民党議員である加藤氏が、自民党のトップを追い落とすために野党と手を組むという禁断の手段に打って出たのだ。

宏池会は、加藤氏の方針への賛成派と反対派に割れた。そして賛成派=加藤氏とともに自民党執行部に弓を引き不信任案に賛成する覚悟を決めた議員の中に、岸田・石原・塩崎・根本・4氏の姿もあった。しかし、執行部による猛烈な工作の結果、賛成派は大きく切り崩され、内閣不信任案の可決は絶望的な状況となった。

そして不信任案の採決が行われる11月20日、自民党除名も覚悟の上で時の政権にNOを示すために本会議へ出席する直前、この4人だけで“出陣式”を行った。その時乾杯の酒に選んだのがドライマティーニだったのだ。『ドライマティーニの会』が誕生した瞬間だ。

加藤の乱後はそれぞれの道を歩むも結束を維持

山崎拓氏

結局、加藤氏は採決直前の集会で、同志が執行部から処分されるのを避けるために、自分と盟友の山崎拓氏の2人だけで賛成票を投じる方針を表明したが、側近の谷垣禎一氏による涙の説得もあり全員が本会議を欠席。この乱は幕引きとなった。

その後、岸田氏と根本氏は、乱を受けての宏池会分裂の際に加藤氏と袂を分かち、宏池会内で不信任案に反対した人々と行動を共にしていった。石原氏は山崎派へと移ってその派閥を継承し、塩崎氏は無派閥となった。

それぞれの道を歩んで行った4人ではあるが、この大政局に一時は自民党からの離党も覚悟し、一体となって臨んだ経験は大きく、その後も定期的に会合を持って結束しているのだ。

離党覚悟の血判状!次期総裁選への結束も確認?

あれから19年目を迎えた今年のドライマティーニの会は、肝心のドライマティーニは最初の一杯だけだったようだ。「やっぱり年を取った」「今日は少し弱気だったかな」との言葉が出席者から漏れた。

しかし、当時の話には熱がこもったという。「血判状を取った時の話とかな。指の皮が薄いやつが針を刺したら血が吹き出しちゃって大変だったんだよ」

『加藤の乱』において、加藤氏と共に自民党離党を覚悟した議員の中で、岸田ら4人をはじめとする若手議員11人がそれぞれの親指に針を刺していき“血判状”をしたためたのだ。

「貴方の後ろにはこれだけの覚悟を持った若手がついているんだと伝えたかった」。そんな思いで、大きな判断を迫られていた加藤氏の背中を強く押すための行動だったという。

そして、今や党内でも一定の力を持つベテラン議員になった4人だけに、会合は思い出話だけで終わるはずがない。まして、岸田氏というポスト安倍の候補者がいるなら尚更だ。ポスト安倍をめぐる次期自民党総裁選が話題になったかを探ってみると、「(自民党の)総裁を倒しに行こうとした会なんだから、(次の総裁選の)話が出ないわけがない!」との声が漏れた。

出席者の1人は「みんな、元は1つの派閥だったんだから向かう方向も同じだ」と語り、いざ決戦の時には4人の足並みは岸田氏を担ぐ方向で揃うとの見通しを示した。

反森内閣だった4人だが、森内閣を支えた安倍首相とは深い関係

現在、岸田氏は、親密な関係の安倍首相から有力な後継候補とみなされていて、石原・塩崎・根本の3氏は、安倍首相と4人で、それぞれの頭文字をとった「NAISの会」を結成していた盟友でもある。

かつて森内閣の打倒を目指した4人が、当時は森内閣を支える官房副長官だった安倍首相が岸田氏を支持する道筋を作り、岸田首相の誕生を目指すとしたら、運命のいたずらかもしれないが、この会が、来るポスト安倍政局で、一定の役割を果たす可能性は否定できない。

後進の育成議論も…円熟期の4氏の今後は?

その後、会合は、「政治家として経験すべきことは一通り経験した」という彼らが、「今は少し若手に甘すぎるな」「それは我々年配が不甲斐ないってことでもある」などと、いまの若手議員への苦言と、後進の育成を頑張るべきだといった話題に移っていったという。

「来年は20周年だからみんなで旅行にでも行くか」

こうして19年目の会は、翌20年目にもドライマティーニを4人で酌み交わすことを約束して終わった。この会について「これまで一度も欠かしたことはない会だ」と満足げに語る表情に、ベテラン政治家たちの原点と次への一手を垣間見た一夜となった。1年後には、4人の前にどんな政治の光景が広がっているのだろうか。

(フジテレビ政治部 自民党担当 福井慶仁)

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