まずはこの資料を見て頂きたい。

低所得者の死亡・要介護認定割合は高所得者の2倍であることを示す衝撃の資料だ。

低所得者の死亡・要介護リスクは高所得者の2倍
低所得者の死亡・要介護リスクは高所得者の2倍
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(注)第1段階から第5段階は、各家計の所得を少ない順から並べて人口で5等分したときの階級を指す。
(出所)近藤他(2008)

「明るい社会保障」とは

11月初旬、自民党が「明るい社会保障改革推進議員連盟」という議連を発足させた。この議連の目的は、病気の予防や健康づくりについて議論し、国民の健康増進、社会保障の担い手の増加、そして予防や健康づくりの分野における成長産業の育成を同時に達成する「3方良し」の明るい社会保障改革を推進することだ。

世耕弘成参議院議員(左)加藤勝信衆議院議員(右)
世耕弘成参議院議員(左)加藤勝信衆議院議員(右)

この第一回目の議連会合には、世耕弘成参議院議員(参院幹事長)と加藤勝信衆議院議員(厚生労働大臣)、うえの賢一郎衆議院議員などの大物政治家が多く参加。また 毎回、外部講師数名が10分ずつ問題提起を行うことになってる。最初の講師を務めたのは、近藤尚己東京大学准教授とミナケア株式会社の山本雄士社長だ。

この2人の問題提起の要旨を、やや大胆にいくつかのキーワードでまとめると、
①予防や健康づくりを推進するために医療機関へのインセンティブが必要なこと
②「自己責任」を前提とした予防や健康づくりを進めても健康格差の解消は困難なこと
③データ活用の重要性
だ。

社会的弱者に対する救済制度設計が重要

まず、近藤准教授は予防や健康づくりにおいても、社会的弱者に対する救済を重視する制度設計にすることが重要であると主張。社会保障とは元来、病気、障害、老化、失業などによって困難な状況に陥っている人々を救済するための再分配のための制度だからだ。

近藤准教授は、低所得者の死亡・要介護認定割合は高所得者の2倍であることや、幼少期の逆境経験や胎児期の栄養失調が成人後の健康に悪影響を及ぼすといった研究を紹介し、社会的に困難な状況にある人ほど健康リスクが高いと指摘した。それが冒頭に示した資料である。

そして、こうした人々に対して、予防や健康づくりについての知識の啓発や自己責任論を強調するような「犠牲者追撃アプローチ」を取っても、本来救済すべき対象の人々の健康リスクを減らすことはできず、健康リスクの低い人々との間で健康格差を広げる結果となることに警鐘を鳴らしている。

それよりも、健康づくりを支援するために地域の環境や制度を整えることが大切、と近藤准教授は主張している。例えば、孤立や貧困など、治療を困難にしている社会的な課題を解決すべく医療機関と行政の福祉部署そして住民組織とが連携する「社会的処方」の取り組みがある。

ところが、社会的処方は医師や病院の善意によって行われているのが現状だ。病院が「社会的処方」に積極的に取り組むようになるインセンティブを与えるためにも、先の「業績払い制度」には検討の余地があるのではないか。

またデータ活用も重要だ。この点は改めて指摘するまでもないが、AIなど新しい技術の進展もあり、患者が受けた医療報酬の明細であるレセプトデータや健康診断のデータを用いて、例えば、個人が将来かかりそうな病気を予測し、より効果的な予防や健診受診につなげていくことが可能となる。

病気にならない医療への転換を

一方で、ミナケア株式会社の山本雄士社長は、予防や健康づくりを通じて「病気にならない医療」への転換を図ることが重要であると強調している。なぜなら、病気になった後で治療をすることは、病気になった個人にとって不幸なだけでなく、医療費の増大にもつながり、誰も得をしないからだ。しかし、現在の健康保険は、予防や健康づくりは支払いの対象となっていない。あくまで治療のみなのだ。

現在の診療報酬制度は、病気になってしまった人を治療することで収入を得る「出来高払い制度」(”pay-for service”とも言います)になっており、病院には、「患者を病気にならない」ようにする診療報酬上のインセンティブはないのが現状だ。それどころか、治療をすればするほど病院の収入が増えるわけで、病院側になるべく多くの医療サービスを提供しようとする間違ったインセンティブを与えてしまっている。この点をどのように変えていくかということが重要だ。

治療をすればするほど病院の収入が増える現行制度には課題が多い
治療をすればするほど病院の収入が増える現行制度には課題が多い

この点については、もう一人の講師、近藤准教授も、出来高払いではなく、「業績払い制度」や「成果報酬方式」(”pay-for performance”とも言います)の導入も検討すべきではないかと指摘している。こうした支払い方式は既に欧米諸国で取り入れられた実績があり、「業績払い制度」が医療の質を改善することを示した研究も発表されている。

予防や健康づくりの費用をどうねん出するかが課題

上記のように、両講師から非常に重要な情報提供がなされたが、今後の論点としては次のようなものがあげられる。

第一に、欧米のように「業績払い制度」を導入するとすれば、医療の「業績」や「成果」をどのように計測するかという問題が生じてくる。また、治療だけでなく予防や健康づくりにも「業績払い」を導入することは可能なのだろうか。一方、「業績払い制度」については、患者の死亡率を下げる効果がないという研究も数多く発表されており、更なる議論が必要だ。

そして、最も重要な問題は、予防や健康づくりの費用をどのように捻出するかということだろう。会合に参加した議員からも「誰が負担するのか」という厳しい指摘があった。この議連の趣旨である「明るい」社会保障改革にすることで、正面から議論していくという姿勢にはとても好感が持てる。

欧米では「予防」や「健康づくり」に対しての“pay-for performance”の導入実績も
欧米では「予防」や「健康づくり」に対しての“pay-for performance”の導入実績も

その一方で、痛みを伴う改革を避けて通れなくなっていることも事実ではないだろうか。1940年代後半生まれの「団塊の世代」が75歳以上の後期高齢者となり、給付を受ける側にまわる2025年まで残された時間は多くない。ここまで有力な政治家が集まる場で、ステークホルダーからの反発を恐れ、現行制度の微修正にとどまることのないよう、大胆な改革案が望まれる。

「人生100年時代」の社会保障制度

金融庁の金融審議会が公表した報告書を発端とした「老後2,000万円問題」が話題となったことからも明らかとなり、人生100年と言われる長寿時代に年金制度への信頼が揺らいでいる。少子高齢化が進展とともに、2018年度の国民医療費は42兆円に達する一方、子供の教育に充てられる文部科学関係予算は5兆円程度。この国の将来が心配になるのは、私だけではないはずだ。

しかし、年金・医療・介護などの社会保障制度の改革は、給付カットや負担の増加という話に終始しがちで、国民も目を背けがちだ。そんな中、与党内で、社会保障改革の全体像を描く議員グループがまとまって活動し、正面から社会保障改革に取り組み始めたことは歓迎すべきことだと考える。

【執筆:教育経済学者 中室牧子】

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中室牧子
中室牧子

慶應義塾大学総合政策学部 教授。専門は、経済学の理論や手法を用いて教育を分析する「教育経済学」。米ニューヨーク市のコロンビア大学で学ぶ(MPA, Ph.D.)。2013年から現職。著書「『学力』の経済学」は発行部数累計30万部のベストセラー。