亡くなった子どもの“20歳の姿”をイラストに…天国へ旅だった被災地の「笑顔の魔法使い」

カテゴリ:国内

  • 1人の男性イラストレーターが亡くなった
  • 東日本大震災の被災者に似顔絵を描くボランティア続けた
  • 閖上中学校遺族には亡くなった生徒たちの20歳の姿を描いて贈った

沖縄県浦添市。
10月、一人の男性の告別式が営まれた。
イラストレーター・森琢磨さん。
肺がんのため、10月14日に亡くなった。46歳だった。

生前の森さん。
震災後の宮城県に入り、ボランティアで被災した人やその家族の似顔絵を描き続けて来た。
その数は、ゆうに8000枚を越える。

イラストレーター・森琢磨さん;(2017年9月 東松島市内で)
手にしている画を見る瞬間にニコっと笑ったり、周りの一緒にいる人も盛り上がるのでこちらも楽しいし、やりがいがある。

名取市閖上では、閖上中学校遺族会の人たちと出会いがあった。
森さんは、津波の犠牲となった子供たちが成人した時を想像して、似顔絵を描いた。

11月3日。
閖上中学校遺族会・代表の丹野祐子さんが、「閖上の記憶」で森さんとの思い出を話った。

閖上中学校遺族会・代表の丹野祐子さん;(2019年11月)
私達は毎年3月11日に天国の子供達に、ハト風船にメッセージを書いて届けようという追悼の集いを開催しています。
森さんも、必ず自分の似顔絵を入れたシーサー付きの素敵な風船を飛ばしていました。笑顔の魔法使い。そんな言葉がぴったりの森さん。
…これが森さんが想像してくれた、私の20歳の息子。

丹野さんの長男・公太さんは、閖上を襲った津波の犠牲となった。当時、13歳だった。
森さんが、成人した公太さんの絵を描いたのは、2018年1月。
丹野さんから借りた写真を元に、二十歳の公太さんをイメージした。

イラストレーター・森琢磨さん;(2018年1月 東松島市内で)
実際に公太君に会った事はないけど、丹野さんの話すこととか、閖上の記憶で語り部をやっているのを聞いたりしていると、公太君の姿が見えてくるというか。会った事ないけど身近に感じるというか。

そして2018年1月。丹野さんは森さんから20歳の公太さんを描いた絵を受け取った。

閖上中学校遺族会・代表の丹野祐子さん;(2018年1月)
ご無沙汰しておりました。
怖いの。だって知らない7年間がここにある訳でしょう?

森さんが描いた絵をじっと見る丹野さん。そして涙が…。

閖上中学校遺族会・代表の丹野祐子さん;(2019年11月)
絵の中で20歳の息子と会えたのは嬉しかったけど、20歳になった息子を想像する事が実はとっても怖かった。なので頂いてすぐ、私は声を出す事が出来なかった。
本人を前にして申し訳ないけど、「どうだろうね」そんな馬鹿な言葉が一番最初に出てしまいました。

もう一つ、大切にしている似顔絵。
津波に家を流され、家族で撮った写真が一枚も残っていなかった丹野さんに、森さんが描いてくれた。

閖上中学校遺族会・代表の丹野祐子さん;(2019年11月)
ほんとに嬉しかった。家宝だなって思いました。
震災起きてよかったとは口がさけても言えない。でも震災があったからこそ、息子が魔法使いの森さんと私を出会わせてくれたのかなって思うと、息子にありがとうって言葉が自然にあふれて来ました。
これから私に出来る事は、我が子がここに生きていた事だけでなく、笑顔の魔術師がこの日本の中にいたんだよと伝える事だと考えています。

(仙台放送)


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