日本の英語教育改革は5年遅れる

萩生田文部科学相の「身の丈」発言に端を発した、大学入学共通テストの英語民間試験を巡る騒動は、結局2024年度まで導入を延期することで幕を閉じた。今回の決定は受験生に大混乱を招くだけでなく、今後の日本の英語教育改革に大きな禍根を残すことになった。

筆者は先週ここで、「“つぎはぎだらけ”の改革でも、民間試験導入を止めるな」と書いた。すでに日本の英語教育は、ヨーロッパはもとより中韓より20年以上遅れ、タイやベトナムにも後塵を拝している。やっと動き出した英語教育改革の流れを、止めてはならなかったからだ。

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さらに筆者は「『完璧な制度』を待っていては、新たな『失われた20年』が繰り返されるだけ」と書き、「受験生への救済措置は万全を期し、導入を延期してはならない。制度を見直しながら走るしか、日本の英語教育に残された道はないのだ」と主張した。しかし政治やメディアの「地域・経済格差」批判の大合唱を受け、民間試験導入は5年後に先送りされることになった。

世界のグローバル化が加速する中、改革が5年間行われないことは、今後の日本の英語教育にとって致命的だと言える。この決定を受け、対案無いまま批判を繰り返した野党やメディアは、さぞや溜飲を下げただろう。

取り残され困惑する教育現場や受験生のフォローを彼らはどう行い、これから5年続く改革の空白の責任をどう取るつもりなのだろうか。

大学受験の「地域・経済格差」は既にある

民間試験に対する「地域・経済格差」批判の中に、こんな試算があった。
「北海道稚内市から英検1級以上を目指す場合、札幌会場までの交通費+検定料+教材の合計が、約7万5千円かかる」
これを聞けば誰もが「ひどい。やはりやめるべきだ」と思うだろうし、共通テストの一教科の受験にこれだけの費用がかかるのは、「格差の拡大」と言われても仕方が無い。

だが振り返ってみれば、いまの大学受験は既に「格差の拡大」となっていないか。大学の受験料をみると、センター試験の受験料が1万2千円~1万8千円で、国公立大学の2次試験が1校あたり平均1万7千円。私立大学だと平均約3万5千円(歯学・医学系は4~6万円)となっており、これに願書請求に関わる費用がかかる(ベネッセ調べ)。

受験生は平均3~5校併願すると言われており、国公立と私立を併願すると受験料だけで10万円を超える。さらに遠方の大学を受験する場合には、交通費や宿泊費もかかるし、保護者が同行する場合は保護者の分も加わる。日本政策金融公庫によると(今年3月発表)、大学受験にかかる総費用は、国公立、私立ともに約38万円。入学しなかった併願校への納付金を合わせると約50万円に上る。

大学受験には既に「地域格差」と「経済格差」が、厳然として存在するのだ。民間試験を批判してきた人々は、いま大学受験にある「地域・経済格差」をどう見るのか。

教育改革を進めるための4つの提言

今回「受験料が高額、かつ受験会場が都市部しか無い」と「地域・経済格差」の象徴のように扱われたのがTOEFLやIELTSだ。しかし50万人の受験生のうち、そもそもどのくらいの受験生がTOEFLやIELTSの受験を志望していたか。

これまでの受験者数の実績をみると、多くの受験生が英検を選び、TOEFLやIELTSを選ぶ受験生は数パーセントだったと思われる。こうして考えてみれば、以下のような「地域・経済格差」対策を講じれば、来年度民間試験を実施することに問題はなかったのではないか。

まず、公平公正な評価に疑問が払拭できない以上、民間試験の業者は一社に絞る。その業者は受験料が比較的安く、受験会場が多い英検とする。受験会場が都市部しかない地域では、国がほかに複数の受験会場を確保する。それでも長時間の移動や宿泊が必要となる受験生については、交通費や宿泊費について国が補助する。そして翌年度以降の民間試験については、初年度の問題点を整理し、制度設計を見直す。

偏差値50の公立高校を、わずか4年で海外トップ大学へ多数の進学者を出す進学校に変えた、日野田直彦武蔵野大学中学校・高等学校校長はこう言う。

「受験生50万人×(受験費用+移動費2回分)をバウチャーで渡してしまうのもありだと思います。最大でも約300億(仮に全員が一番高いTOEFL25,000円をうけ、交通費(新幹線・飛行機・船など)で近くの会場に行く費用5,000円を出した場合)にしかなりません。よく分からない『何とかプロジェクト』に出すのも大事ですが、まず「学生ファースト」で考え、経済格差を広げるようなことを解消し、未来の子どもに投資・サポートすることがこの国の未来を明るくするのではないでしょうか?例えば、未執行の予算をかき集めればいけるはずです。」

こうした措置を取れば、民間試験に「地域・経済格差があり、対応が不十分」と強く反対していた、公立高校の中心的存在である全国高等学校長協会も納得するであろう。

彼らはそもそも改革の趣旨自体には異論が無い。

「4技能が必要なのはわかっているし、4技能を測定するテストは民間試験しかないので、導入に反対はしていません」(全国高校長協会宮本前会長)

来年度の受験はどうなるのか

民間試験導入が中止となり、来年度は共通テストで「読む」と「聞く」のみの評価となる。共通テストはセンター試験に比較して、「リーディング」は配点が200点から100点に下がり、「リスニング」は50点から100点に増える。また「リーディング」では、文章を読み解く力がより重視されて、センター試験で出題されていたような発音やアクセント問題はほぼ無くなる。これまでの「受験英語」に比べれば、より実用的な英語試験になることは間違いないだろう。

今回の延期決定には、受験勉強の範囲が減ってほっとする受験生もいるだろうし、これまで4技能の勉強を頑張ってきて、憤懣やるかたない受験生もいるだろう。後者には「これまでの勉強は、将来決して無駄にならない」としか慰める言葉が無いが、とにかく前を向いて勉強に集中してほしい。

世界基準から外れた日本のスピード感

今回はっきりしたのは、国の教育行政のスピード感が、世界基準から大きく外れていることだ。

中国では文化大革命後の1978年、「10年間の人材育成の空白を取り戻す」ため、小学校の英語教育を開始した。しかし当時、「母国語の習得を干渉する」「教員の人材不足で無理」「農村部や少数民族は一生英語使わず資源の浪費」と猛反発を受け、都市部のみの実験導入となった。

その後中国が本格的に英語教育を開始したのは、北京五輪の招致が決まった2001年。導入を決定してから、すでに23年が過ぎていた。しかしその後中国は、米国と並ぶ経済大国となった。日本は中国に遅れること約20年、やっと行うはずだった英語教育改革が頓挫し、5年後に行う改革もまだ先は見えない。

40年前の中国のように、日本でも「日本語の習得を妨げる」「教員の人材不足で無理」「一生英語を使わない人も多く、資源の浪費」と、早期の英語教育に反対する声は多い。しかしグローバル社会で、世界の共通言語である英語は、生き抜くための武器である。

決定から週が明け、メディアも政治もあらためてこの問題をしっかり議論してほしい。
「なぜ問題とされていた制度設計が改善されなかったか」
「そもそも延期期間はなぜ5年なのか。前倒しの可能性はあるのか」

そして「この5年が、日本の未来をつくる子どもたちにどんな意味を持つのか」を突き詰めることが我々の責任である。

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

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鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。