2月に復元が完成した矢先の惨事…なぜ、首里城の火災は一気に燃え広がったのか?その原因は?

カテゴリ:国内

  • 沖縄・首里城が未明の火事で正殿、北殿など7棟を焼失
  • 出火原因は不明も...火元は正殿の可能性
  • なぜ一気に燃え広がったのか...理由は風向きと強さ?

首里城で火災...正殿などが消失

10月31日午前2時41分、世界遺産の首里城跡に復元された正殿で、火災報知器が反応し、警備会社から「火が出ている」との通報があった。

消防車約30台、隊員約100人による大規模な消火活動が行われたが、火の勢いは弱まることはなく...正殿と北殿、南殿など計7棟が消失。午後1時半ごろに鎮火した。

正殿の左側が勢いよく燃えていたことが目撃されているが、出火原因はいまだ分かっていない。

首里城では、10月27日から琉球王国の儀式を再現するイベント「首里城祭」が開かれていた。この週末には、首里城公園内をたくさんのキャンドルの明かりで彩る「万国津梁(ばんこくしんりょう)の灯火」が催される予定だったという。

事務局によると、関係者は少なくとも30日深夜まで準備を進めていたが、出火時には誰もいなかったとみられ、キャンドルなどの用意もしていなかったという。

「直撃LIVEグッディ!」は現地から中継で最新情報を伝えた。

出火は正殿の内部とみられる

木下康太郎フィールドキャスター:
取材をしたところ、出火発覚の経緯が分かってきました。31日午前2時40分ごろ、中庭に常駐している警備員が、正殿内部にある火災報知器が作動したため、正殿の左側にあるシャッターへ向かいました。シャッターを開けたところ、内部からものすごい勢いで煙があふれ、あわてて消防に通報したということです。警備員が外から目視で火災に気付かなかった理由として、消防は「おそらく正殿の内部から出火があり、中に火や煙がたまっていたため、外から目視で確認することができなかったのではないか」と話しています。消防は、正殿の内部から火が出たものと見て調べを進めています

木下康太郎フィールドキャスター:
正殿の内部には、屋内用の消火栓はありましたが、自動で作動するスプリンクラーは設置されていないということが分かりました。建物の周りの地中にも放水システムが埋められているということですが、これは人が起動して初めて作動するものです。軒下には「ドレンチャー」という延焼を防ぐ放水システムが設置されていましたが、出火時に作動していたかどうか、消防が確認中ということです。外からの火に対して守る設備はありますが、中から火が出た時に自動で消すものはない。建物の中から出火することは想定していなかったと考えられます。

燃えやすい状況で風が供給された

火災の原因は何なのか?グッディ!は日本防火技術者協会理事・鈴木弘昭さんをゲストに招き、考えられる原因について解説していただいた。

安藤優子:
シャッターを開けたら、ものすごい勢いで煙が出てきたということですが、この時にはすでに、火災が発生してから相当時間が経っていたと考えられますか?

鈴木弘昭氏:
そう思います。シャッターを開けた時、本来なら炎が見えていいはずですが煙だけしか見えなかった。ということは、天井があって、その天井の裏に炎があった可能性も考えられます。

大村正樹フィールドキャスター:
31日午前3時観測の那覇市の天気は、曇りで24℃、湿度は69%。風向きに関しては北北東の風速3.5m/s。風は強いわけではなく、緩やかに吹いているという状況です。北北東ということは、火元とみられる正殿の左側から風が吹いています。正殿の左側から北殿に延焼し、そして風に乗って南殿や周辺へ延焼していったというのは、何となく合点が行くかなと思います。

安藤優子:
一時期は火の粉が飛び散って、周りの住民の方が避難を促されていた状況だということで。まず鈴木さん、風速3.5mの風というのは、火災の広がりとどのように影響しあったと思われますか。

鈴木弘昭氏:
映像見てお分かりと思いますが、結構風は強いです。いわゆる強い風は風速7m/sや10m/s以上になりますが、非常に燃えやすい状況で、風が供給されてしまったと。

安藤優子:
この木造の上に瓦屋根が乗っている造りになっていますが、見るも無残に全てが焼け落ちて崩れていくような状況でした。こんなにも燃えるものなんでしょうか。

鈴木弘昭氏:
炎が全体的に広がってしまうと、ものすごい熱量になりますので。そうすると一気に落ちてしまうと思います。

大村正樹フィールドキャスター:
正殿には、火災報知器はありましたが、スプリンクラーはありませんでした。鈴木さんの見解では...

火災発覚が遅かったことが考えられる

<なぜ ここまで燃え広がった?>
鈴木さんの見解によると...
・「全体的に燃え広がった要因として、火災発覚が遅かったと考えられる。出火元は天井裏の可能性も?」
・出火場所が天井裏の場合、天井裏が燃え落ちるまで警報が作動せず、発見まで1~2時間かかることもある

安藤優子:
仮に出火元が天井裏だとした場合、何が出火の原因だと考えられますか?

鈴木弘昭氏:
天井裏だと通常は人は入れませんから、電気の線だけですよね。電線も電気を使って無ければそこに熱が発生することはないんですが、イベントが行われている、あるいは準備をしているとなると、どこかで電気をたくさん使っていて。例えば、作業をしている人たちが電気を消さないまま作業を終えたとすると、電気は使っている間ずっと発熱しているんです。発熱していても通常の状態だと、空気に触れて冷やされて火事になる状況にはありません。ところが、電力をある一カ所で使いすぎると電線系統がいわゆる過電流になるわけです。それで電線の被覆材がいっぺんに燃えてしまう。その時に一か所からではなくすーっと全体的に燃えてしまうんです。ですから、結構大きな発火源になります。

ヨネスケ:
ネズミがかじったなんていうのは?

鈴木弘昭氏:
ありますね。ネズミがかじって、電線がそのままむき出しになって。そういうところで何かの拍子で出火しやすくなるということもないとは言えないですね。

安藤優子:
ひとたびこういうものを消失してしまった時に、いかに元に戻すことが困難か。それほど価値があるものということだと思いますが。パリでもノートルダム大聖堂が燃え落ちた時、パリの皆さんはぼう然として見ていましたが、本当に同じような気持ちになりますよね。

田村勇人弁護士:
物がなくなったことは悲しいことですが、沖縄って大国のはざまだったり悲しい歴史がいっぱいあるじゃないですか。そこから復興する、悲しみをたたえながらも強く復興する、その強さはまだ失われていないので、それを日本国民全体として支援していきたいなと思います。

大村正樹フィールドキャスター:
琉球というのは鎖国時代の日本において、貿易の要衝になった場所もありまして、琉球というと特別な場所ですよ。今から140年前に琉球王国は崩壊し、沖縄県が誕生し、首里城は残っていました。1925年、戦前に国宝に指定されましたが、沖縄で地上戦が行われたことによって、首里城は消失してしまいました。この時、沖縄の皆さんの悲しみは大変なものがありました。それが30年前から復元が始まりまして、92年に一部が公開され、93年には大河ドラマで首里城もロケに使われて、一躍全国区となりました。それが少しずつ復元されて、2019年2月、ようやくすべての復元作業が完了して、やっと首里城が元に戻ったという記念すべき年に、半年後にこんなことになってしまった。沖縄の皆さん、いろんな悲しみがあると思います。

安藤優子:
沖縄の方たちにとってみれば琉球王国、自分たちの独自の文化をはぐくんできた心の拠り所であり、皆さんの誇りのシンボルだったと思うんです。それだけにこれを、なすすべもなく消失してしまったことに対しての悲しみは尽きないと思います。それは沖縄の方だけではなく、日本中が、もっと言えば世界の人たちが、今回の火災についての消失を悼んでいると思います。

(「直撃LIVE!グッディ」10月31日放送分より)

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