450年に渡って栄えた琉球王国の象徴

焼失前の首里城
焼失前の首里城
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首里城は1429年から450年間にわたって栄えた琉球王国の歴史を象徴する城で、城内には中国や日本の建築文化の影響を受けた正殿や北殿、南殿などがあり、74年前の沖縄戦で焼失。1992年に沖縄の本土復帰20年を記念して国営公園として復元された。

2000年7月には九州・沖縄サミットが開かれ、首里城北殿で夕食会も開催された。

九州・沖縄サミットに参加した各国首脳たち 首里城の前で (2000年7月)
九州・沖縄サミットに参加した各国首脳たち 首里城の前で (2000年7月)

また同じ年の12月には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として正殿などの一部が世界文化遺産に登録された。

復元作業が今年2月に完成

沖縄の歴史を象徴し世界中から観光客が訪れる首里城は長い間、復元作業が続けられ今年2月には正殿奥の御内原が公開されていました。
首里城の復元に携わった関係者や文化財関係者は落胆の色を隠せない。

首里城正殿の火災に県立博物館美術館の田名真之館長は、
「琉球王国が中国とか日本とかとつながりながら独立した国家として国の象徴であるものとして首里城は作り上げてきたという意味で沖縄を象徴する建物だったと思う。県民にとっても世界遺産でもあったわけだから、そういう意味では多くの方々がショックを受けたということになる。」

「“英知の結集”が一瞬のうちに炎に包まれた」

首里城の復元に携わってきた琉球大学名誉教授の高良倉吉さんは、
「首里城は三十数年かかって今年の2月に完成した。当初から関わっていて、やっと完成したのを噛みしめていた。しかしその年に焼けてしまい、言葉を失っている。多くの人が参加し英知を結集し集団作業でやりましたから、そんなことを思いながら炎を見ていた。これまでの成果が一瞬のうちに炎に包まれてしまった」と話した。

【取材:沖縄テレビ】

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