「美食で町おこし」の見本、サンセバスチャン

スペインバスク州のサンセバスチャン市
スペインバスク州のサンセバスチャン市
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スペインバスク州のサンセバスチャン市が「美食の聖地」と呼ばれて久しい。
人口18万6千人のこの小さな街は、世界的に有名になる前からスペインやフランスではすでに王侯貴族や上流階級の避暑地としてバスク地方の中でも特別な存在だった。

山海に恵まれた立地もさることながら、フランスのヌーベルキュイジーヌに刺激を受けたバスクの料理人たちが70年代から独自の研鑽を積んだことも、バスクを美食の地にしていった大きな下地となっている。バスクの料理人たちの発信力は、 フランコ独裁時代から解放されたスペインの民主化(1975年以降)を背景に加速してゆく。

外国人観光客が年々増加をたどっている日本だが、大小の地方自治体も美食やガストロノミーという観点で観光客を引き寄せたい、そうした計画を掲げているところとも少なくないだろう。サンセバスチャンはそうした観光発展途上都市の見本となるべき街だ。

「料理のパリコレ」時代からの進化

「海のシェフ」と呼ばれるアンヘル レオンは今回「海から砂糖」「海のチーズ」を紹介。その技術に会場は拍手喝采で湧いた。
「海のシェフ」と呼ばれるアンヘル レオンは今回「海から砂糖」「海のチーズ」を紹介。その技術に会場は拍手喝采で湧いた。

そのサンセバスチャンで開かれた国際的料理学会は今年で20周年を迎えた。 開催当初は料理人による料理人のためのレシピを発表する学会という要素が強かったが、近年では飲食業界が経済や環境に与える影響を十分に意識し、食の側から見た共存可能な世界というコンセプトを発信する場ともなっている。

10月6日から9日までの4日間開催された今年の学会への聴講者数は1558名、472名のメディア関係者が参加、世界47カ国の人々がガストロノミカを体験した。

ガストロノミカの魅力は、発表者の提供する試食にもある。味覚にまで訴える発表は、記憶にも鮮明に残ってゆく。
ガストロノミカの魅力は、発表者の提供する試食にもある。味覚にまで訴える発表は、記憶にも鮮明に残ってゆく。

この数年、学会には女性シェフの登場も多く、料理の世界のフェミニズム化にも深く貢献している。前衛料理の全盛期(95年—07年)ごろまでは数々の新技術、料理コンセプトの発表に「料理のパリコレ」の異名を持っていたが、学会の性質は回を増すごとに成熟し、料理や飲食セクター以外にも影響力を持つ。

スペイン著名シェフ5名によるこのコラボディナーでは日本の食材や技術も目立った。アルサック作「今日のお魚、塩麹」
スペイン著名シェフ5名によるこのコラボディナーでは日本の食材や技術も目立った。アルサック作「今日のお魚、塩麹」

民間との協力、マーケティングや海外メディアへの働きかけも余念なく

サンセバスチャンはなぜ世界的認知までに至ったのか、サンセバスチャン市観光局局長マヌ ナルバエス氏に話を聞いた。

「観光局はガストロノミーを観光要素として意識してきたのは比較的最近のことなんです。2006年ごろから観光局はガストロノミーを意識した商品を作り出してきました。美味しいレストランがあるだけでは美食都市とは呼ばれない。 ガストロノミールートの作成や、料理講習会、高級店シェフを呼んでのレクチャーなど様々な食に関する活動を観光局から活発に行いました」。

観光局主催の食関連の活動では、参加者のマーケティングにも余念が無い 。オンラインで集客状況や客のタイプ などの分析を次の集客に役立てた 。海外マスコミへの働きかけも大事だ。こんな小さな町でも、観光局内に言語に有能な国際プレス担当者がいて、海外マスコミに積極的に働きかけてゆく。

サンセバスチャンには国際映画祭やジャズフェスティバルなどイベント開催の歴史もあり、それに料理学会が20年前から加わり、街のイメージをさらに美食と繋げることに成功した。

サンセバスチャン市観光局局長マヌ ・ナルバエス氏
サンセバスチャン市観光局局長マヌ ・ナルバエス氏

マヌ氏は「民間との協力も発展の大事な要素です」と強調する。

観光局に「アソシエート企業」の認定とその企業との協力体制が敷かれている。現在登録企業は340社。一定の基準を満たした企業であればどんな営業種でも登録ができる。アソシエート企業からの企画は観光局も審査の後、積極的に支援する。協力企業から上がってくる情報はどんな細かなものでも蓄積され、分析され、新たな企画のインスピレーションになる。行政と民間の風通しが良くなければここまでの発展はなかったはずだ。

マヌ氏は言う。
「質の高い観光客=富裕層というわけではありません。お金を持っている観光客が増えると地元は変化を強要されます。サンセバスチャンが目指しているのは、土地の商品を本当に評価できる層。ブランドだからくる、買うという感覚ではなく、そこにいて、その時間とモノを大事にでき、旅の真の価値を評価できる方々を呼ぶのが目的です。それはある程度成熟した文化がある国の人々ということになります。数ではなく利益性の高い観光を目指しているんです。そうした時間とお金の使い方できる国を対象に観光プロモーションを現在仕掛けています」。

ガストロノミカには地元バスク・クリナリーセンター(食芸術、食科学に関する大学学位が取得できる専門 学校)の学生たちも多数参加
ガストロノミカには地元バスク・クリナリーセンター(食芸術、食科学に関する大学学位が取得できる専門 学校)の学生たちも多数参加

サンセバスチャン・ガストロノミカの縁の下の力持ち

料理学会を20年継続させるのは並大抵の手腕ではない。この 継続に深く貢献しているのが、運営を担当する民間会社だ。サンセバスチャン学会を運営するGSR社社長ロセール・トラス氏に話を聞いた。業界では知らない人がいないほど、スペイン料理界を影ながら牽引してきた女性である。

Grupo GSR社社長、ロセール・トラス氏
Grupo GSR社社長、ロセール・トラス氏

「傾向を作っていくのが私たちの使命の一つ。今や当然の意識となっている食のサスティナビリティについても最初はここから発信されました。私たちが大事にしたいのは食を担う生産者。この学会は食のチェーンの中にいる多くの人の雇用を生み出すという重要な役柄も 課されています。料理人は食の重要性を伝える伝達役。私は常に,一般の人々がもっと料理をするようになればと思うんですよ。長く続く秘訣は、終わった途端に次の学会のために準備をしてゆくこと。有能なスタッフ 、行政との優良な環境も大事です」。

GSR社はバルセロナを中心に食に関するイベント、シェフやレストランのプロモーションの多くを手がけてきた会社である。生産者と市民をつなぐイベントでは20万人強を動員したプロジェクトもあるほどだ。スペインにはこうした食専門の広告代理店とも呼べる会社がいくつか存在し、各地の食を通じての町おこしに貢献している。 国内外の市民レベルの食を広く深く知ってきた経験が、こうした学会の継続を可能にする要因の一つなのは確かだ。こうした運営に女性スタッフが圧倒的に多いのもスペインの特徴だろう。

大会場でのシェフたちの発表と並行して、数々のワイン試飲会や調理技術講習も行われる。
大会場でのシェフたちの発表と並行して、数々のワイン試飲会や調理技術講習も行われる。

サンセバスチャンの美食の名声は一朝一夕にできたものではない。有名シェフだけで築いてきたものでもない。食を愛する縦横に広がる様々なセクターの人々がいるからこその成功だ。

その手法は、日本食や食を通じての自治体のアピールに大いに役立つに違いない。

【執筆:ライター&コーディネーター 小林 由季(スペイン在住)】
【取材協力・スペイン政府観光局】

小林 由季
小林 由季

95年よりスペイン在住。フリーランス通訳、ライター、コーディネーター 。
フラメンコ、闘牛、シエスタ、パエリア以外のスペインを伝えたいと、
様々な媒体と方法で日本とスペインをつなぐお手伝いをしています。