香港では林鄭行政長官が議会の審議を要しない「緊急法」を発動し、デモ参加者にマスク着用を禁じる「覆面禁止法」が10月5日施行された。当日、香港に入った私は市民の激しい抗議行動に遭遇した。抗議活動の鎮静化を狙ったこの措置は、むしろ市民の反発を強め、街にはデモ隊による破壊の痕が痛々しく残っていた。

一方で、香港情勢が一つの転換点にさしかかっていることも見えてきた。デモ隊と警察の暴力の応酬が危険なレベルにまでエスカレートしていたのである。

「未来が見えない」と嘆く香港の勇武派

デモ参加者には「和理非(和平・理性・非暴力の略)派」と実力行使も辞さない「勇武派」がいる。『香港デモのスローガンは“Be Water” 革命の「水」はどこへ流れていくのか』で書いたように、「勇武派」と「和理非派」は対立することなく協力しあう関係であり、路上にバリケードを作ったり火炎瓶を投げたりするデモ隊の実力行使は、警察の暴力的なデモ規制への対抗措置として多くの市民に容認されていた。

10月4日のデモで中国銀行は通りに面したガラスが全て割られ、ATMなどの機器も破壊された(撮影10月5日)
10月4日のデモで中国銀行は通りに面したガラスが全て割られ、ATMなどの機器も破壊された(撮影10月5日)
この記事の画像(6枚)

「勇武派」の実態は、日本の過激派のイメージとは全く異なる。常設の組織はなく、見知らぬ者同士が現場で知り合い、催涙ガス対策の防塵マスクやゴーグル、ペットボトルを配る兵站係、警察の動きを知らせる連絡係、催涙弾に交通規制用の円錐形のカラーコーンを被せて処理するグループと役割分担して動いている。女性の姿も多く見かける。

私が会った「勇武派」はいずれもごく普通の心優しい若者たちだった。共通しているのは切羽詰まった危機感である。
ある男子大学生は「勉強は未来のためにするものだよね。でも僕らには未来が見えないんだ。勉強している場合じゃないよ」と言う。そして「デモでは催涙弾の処理など、大学では教わらないことを学んでる」と笑顔で語った。

家族に遺書を書いてデモに参加する若者も少なくない。一人の若い男性の遺書にはこう書かれていた。「もう家に帰れないかもしれない。中国人民解放軍に殺されるかもしれない。でも、妹や甥にこんな濁った社会で生きてほしくない」。

ここまで思いつめた若者たちが実力行使に出るのは、ある意味自然な成り行きだった。

「平和的なデモでは、政府は市民の声を聴かない」

なぜ暴力を使うのかと彼らに尋ねると、返ってくる答えは「100万人が街頭に出ても、平和的なデモでは、政府は市民の声を聴いてくれない」というものだ。今の香港は「真の普通選挙」が実現しておらず、立法会は親中派議員が多数を占め、行政長官は事実上共産党政権の指名で決まる。そこで市民は選挙に代えて民意をデモや集会で示してきた。6月には香港史上最大のデモがあり、その訴えをも無視されるとなれば、では平和的な手段以外の方法を使おうとなる。

その結果、実力行使は効果的だったと「勇武派」は考えている。逃亡犯条例改正を政府が撤回したのは9月4日。その前、8月12-13日にはデモ隊が香港空港を占拠して発着便が欠航となり、9月1日には再び空港への交通を妨害し到着客が空港で足止めされている。空港機能をマヒさせるという経済的ダメージを香港政府に与えたことが条例改正案撤回につながったとして、「勇武派」は実力行使への傾きをいっそう強めることになったのである。

手のひらを掲げるデモ参加者 5本の指は「五大要求」を示す 「勇武派」には女性も多い
手のひらを掲げるデモ参加者 5本の指は「五大要求」を示す 「勇武派」には女性も多い

抗議の対象は警察の暴力

いま、デモ参加者の抗議の対象は警察の暴力である。彼らが掲げる「五大要求」のうち、「警察と政府の、市民活動を『暴動』とする見解の撤回」、「デモ参加者の逮捕、起訴の中止」、「警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査実施」の三つが警察を追及する項目だ。

当局は6月以降の抗議活動に絡んで2000人以上を逮捕、200人以上を暴動罪で起訴している。デモを「暴動」と認定した政府見解の撤回は、デモ参加者にとっては絶対に譲れないところだ。

一方、香港政府はあくまでもデモは暴動であるとして徹底的に抑え込む姿勢を明らかにしている。警察当局は9月30日付で内規を改定、拳銃や催涙弾を含む武器使用のハードルを下げた。そしてこの日、ついに警察がデモ参加者に向けて実弾を発射し18歳の高校生に重傷を負わせたのである。

ショッピング街の銅鑼湾(コーズウェイベイ)の地下鉄の駅 入り口が焼け焦げている(撮影10月5日)
ショッピング街の銅鑼湾(コーズウェイベイ)の地下鉄の駅 入り口が焼け焦げている(撮影10月5日)

これに対抗するかのように、「勇武派」の暴力行使にも変化が起きている。これまでは彼らの暴力の対象は「人」ではなく「モノ」に限られていた。空港占拠でも施設は破壊されたが空港職員に暴力が向けられることはなかった。警官隊と対峙した「勇武派」が投げる火炎瓶は警官隊のはるか手前の道路上で炎を上げるだけだった。火炎瓶は示威であるとともに警官隊が前進してくるのを妨害する手段として使用されてきた。

ところが「覆面禁止法」施行前夜の10月4日、デモ隊が一人の警官を袋叩きにした上、火炎瓶を彼に向けて投げ、警官の服が燃え上がる映像がネットで流れた。この警官はピストルを発射し14歳の少年が太腿に重傷を負っている。実弾による2人目の負傷者である。

警官隊との衝突に備え「勇武派」がバリケードで道路を封鎖する 正面右の建物が政府総部、左が中国人民解放軍駐香港部隊のビル
警官隊との衝突に備え「勇武派」がバリケードで道路を封鎖する 正面右の建物が政府総部、左が中国人民解放軍駐香港部隊のビル

警官隊とデモ隊との暴力は、ここにきて人命にかかわるレベルに達している。
さらに10月13日夜に反政府デモが行われていた付近で手製の爆弾が爆発したと警察が発表。同日、別の場所では高校3年の少年が警察官をナイフで切りつけて首にケガを負わせている。

知り合いの香港人が深刻な表情でこう言った。
「警官隊とデモ隊、どちらに最初の死者が出るか、固唾を飲んで見ています。それによって局面が一気に変わります。どちらにしても、収拾できない事態になるでしょう」。

香港情勢はいま大きな転機を迎えつつある。

【執筆:ジャーナリスト 高世仁】

「隣国は何をする人ぞ」すべての記事を読む
「隣国は何をする人ぞ」すべての記事を読む