周囲に何もなく、スタジアムだけがポツンと…

秋晴れのもと、スタジアムではいくつもの旗が振られていた。
釜石でおなじみの大漁旗ではなく、フィジーとウルグアイの国旗。
恐らく今大会一番“不便な”スタジアムといってもいい、「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」で行われたフィジーVSウルグアイの一戦。

 
 
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東北新幹線で、東京駅から新花巻まで約3時間。そこからシャトルバスで2時間。
周囲に何もない、もちろんコンビニもない…。釜石市中心部から車で20分ほど離れた、スタジアムだけがポツンとあるだけの場所。
このスタジアムの存在が今回のワールドカップ開催に際し、日本が世界に発信したい大きなメッセージのひとつなのだ

 
 

スタジアムがつくられた場所は、2011年の東日本大震災のときまで釜石市立鵜住居小と釜石東中学校があった場所。
津波ですべてが流されたその場所に、復興の象徴として、そしてW杯誘致を目指してスタジアムが作られたのだ。
私自身、このスタジアムに来たのは2回目。
初めて訪れたのは去年8月、友人のラグビー関係者に誘われ、休みを利用して訪れた。
ちょうどその日は、「釜石鵜住居復興スタジアム」の“こけら落とし”の日。
全国から多くのラグビー関係者や地元の人が集まる中、セレモニーであいさつに立った一人の女子学生の言葉に心を打たれた。

洞口留伊さん(当時高校2年);
地元代表として今、私がしなければならないことは、あのとき釡石のために支援をしてくれた日本中の、そして世界中の人たちに改めて感謝の思いを伝えることだと思う

こう決意を述べたのは、釜石市で生まれ育った当時高校2年生の洞口留伊さん。
洞口さんは、あふれる釜石への思いとともに、未来についてこうも語った。

洞口留伊さん(当時高校2年);
人々の思いがいっぱい詰まったこのスタジアムを通じて、釜石は世界とつながる

かつて学校があった…このスタジアムで試合をする意味

さて、1年ぶりのスタジアムに足を踏み入れびっくりしたこと。
申し訳ないが、ちょっと立派になったスタジアムにびっくり。1年前に来たときは、写真のようにゴールポスト裏の仮設席は存在しなかった。
ワールドカップ仕様にするため、写真手前部分には仮設席がつくられた。

 
 

そして目立ったのは外国人の多さ。
日本の清潔さと礼儀正しさに驚いている」と英語で話してくれたのは、初めて日本を訪れたというフィジー人夫妻。
なんとこの2人、札幌、釜石、大阪などフィジーの試合観戦を中心に日本に7週間滞在するという。そして、こう語ってくれた。

 
 

フィジー人夫妻;
釜石で試合をするという意味は、フィジーのテレビ番組を見て知っていた。
このスタジアムは、津波が来る前は学校があったんだ。追悼の意味を込めて試合を観戦したい

秋晴れのなか、両チームが入場。国歌斉唱の前に、
Thank you for your support during the 3.11 Earthquake and Tsunami
と書かれたメッセージとともに、震災でなくなった人を悼む黙とうが行われた。

試合については、多くを触れなくてもいいだろう。
印象的だったのはゴールポスト裏に陣取った地元釜石市の小学生たち。
時には歌声を、時には叱咤激励を。
その声援は80分間止むことはなかった。

試合前日、フィジーの選手たちはビデオで東北・釜石市の惨劇を学んでいた。
メンバーの一人は「試合を通じて犠牲者に頑張りを伝えたい」と語ったと言う。
スタジアムで出会ったフィジーの男性は、こんなことも言っていた。

フィジー人男性;
7週間後にフィジーに帰ったら、日本がどんなにすばらしい国であるかを友人たちに話して、すぐに日本に行くべきだと薦めるよ。もちろん釜石ヒストリーも含めてね

きょう確実に釜石と世界がつながった。
私は、洞口留伊さんと直接言葉を交わすことはできなかったけれど、彼女もきっとスタジアムで「つながり」を確信したに違いない。

(フジテレビ報道スポーツ部 坂本隆之)

坂本 隆之
坂本 隆之

1990年入社後、カメラマン・政治部・社会部・スポーツ部・番組プロデューサー・クアラルンプール、ベルリン、イスタンブールの支局勤務を経て現在はマルチメディアニュース制作部長。バルセロナ・長野・シドニー・リオ五輪やフランス、ドイツW杯の取材経験あり。