「一国二制度」の乱暴な蹂躙

「あそこは刑務所より恐ろしい、本当の地獄だった」。

そう語るのは、かつて香港の本屋で店長をしていた林栄基氏(63)。林氏は、休暇で香港から広東省に入ろうとしたところ突如、中国当局に身柄を拘束された。そこから5ヶ月にわたり、異様な監禁状態の中で厳しい尋問を受けたという。林氏が店長をつとめていたのは「銅鑼湾書店」。中国共産党を批判する「禁書」を扱うことで知られていた。

2015年、林氏はじめ書店の経営者や株主など関係者5人が次々と失踪するという不可思議な事件が起きた。後に全員の身柄が中国当局に拘束されていることが判明し、国際的なニュースとして報じられることになる。

銅鑼湾書店は香港島の繁華街の雑居ビルの2階にあった 今も看板が残る
銅鑼湾書店は香港島の繁華街の雑居ビルの2階にあった 今も看板が残る
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林氏は中国本土に入境するさい逮捕状もなく拘束されており、5人のうち1人は香港から、1人はタイのリゾートから忽然と姿を消している。特に香港から中国本土に「連行」されたと見られるケースは、「一国二制度」の乱暴な蹂躙とみなされ大問題になった。「逃亡犯条例」が改正されれば同様の事件が常態化するのではないか。その恐怖が香港人を改正案反対へと向かわせる大きな原動力の一つとなったのである。

5人は全員がいったん身柄を解放されたが、うち1人は去年1月、上海から北京に向かう列車の中で再び拘束され、今も中国本土にいるとみられる。

「逃亡犯条例」の改正案が立法会で審議中の今年4月25日、林栄基氏は香港から台湾へと逃れた。改正案が成立すれば、自分の身柄が中国当局に引き渡されると恐れ、香港を脱出したのである。

拘束・監禁の真相を本人が語った

9月初め、私は台北に林氏を訪ね、事件の真相を聞いた。

インタビューに答えてくれた林栄基氏 9月4日 台北にて
インタビューに答えてくれた林栄基氏 9月4日 台北にて

ーーどのように身柄を拘束されたのか?

林氏:
「香港から広東省羅湖に入境するとき、税関で理由も告げられずに拘束された。寧波に連行されて同じ外観の建物が立ち並ぶ区域で監禁された。まず家族と弁護士への連絡を放棄するという文書に署名させられた。それから毎日3、4回、時には寝る時間もなく尋問された。聞かれたのは私の出身、家庭の背景、書店を開いた経緯、本の作者は誰かなど。さまざまなことを繰り返し聞かれた。」

ーー監禁された環境は?

林氏:
「監禁されたのは5階で、その階に部屋が20ほど並んでいた。部屋は7m四方の大きさで、机、椅子、ベッドがある。窓には鉄柵がはめてある。室内に常時2人の監視員がいて、各々2時間ずつ交代で24時間、私の睡眠中も見張っている。夜中もずっと電灯がついていた。天井には監視カメラが3台あった。トイレは半透明の仕切りがあったが、シャワーにはなく、監視されながら体を洗った。尋問の時は尋問者と記録係の2人がきて、彼らと対面して椅子に座らされる。尋問が終わるまで椅子から離れてはならない。」

林氏自身が描いた監禁されていた部屋 7メートル四方の部屋に2人の監視員が常時いたという
林氏自身が描いた監禁されていた部屋 7メートル四方の部屋に2人の監視員が常時いたという

ーー何が辛かったか?

林氏:
狭い部屋で24時間監視され、話すことは禁止された。尋問では『一生、ここに閉じ込めておくぞ』などと脅されたりもした。この恐怖と孤独がいつ終わるかわからない。頭がおかしくなり自殺したくなった。もっとつらいのは、自殺さえできなかったことだ。やつらは徹底して自殺を防ぐ工夫をしていた。これまで多くの人が自ら命を断とうとしたのだろう。」

ーー自殺の自由もない?

林氏:
「例えば夜寝るとき、手は見えるように布団の上に出していなければならない。手が布団の中にあると自殺する可能性があるから。眼鏡はガラスがあるから取り上げられた。食事にはスプーンだけで箸は出てこない。危ないから。歯ブラシや爪切りにはヒモがついていて私が使うとき監視員がヒモの端を持っている。飲み込んだりしないように。壁や机の角に頭を打ちつけて死ぬこともできない。壁も家具もみなクッションが入ったフィルムで覆われていた。床には絨毯が敷いてあった。」

ーーなぜ、書店の関係者を拘束したのか?

林氏:
「私の場合は中国の政権を転覆させるための書籍を売った、反革命だと糾弾されて、懺悔する文書を書かされた。『禁書』について尋問されたが、それを誰が書いたか、そのもとの情報をどうやって入手したかに関心があったようだ」

香港の未来

林氏は台湾で再び「銅鑼湾書店」を再開しようとしている。9月5日夜に開業資金を募るクラウドファンディングを始めたところ、6日午後には目標額の280万台湾元(約960万円)を達成したという。

最後に、私は林氏に、いま香港で闘っている若者たちをどう見ているか尋ねた。

林氏:
「条例を撤回しても、我々が求めている問題は解決されていない。中国は香港の声を聞かないだろう。私は若者たちが傷つき死んでいくのを見たくない。もし闘うなら、まずは自分と周りの人を守りなさい。そして香港から自由が奪われ、安全でなくなったら香港を離れることだ」。

権力の恐ろしさを身をもって知った林氏の答えは、驚くほど悲観的なものだった。

【執筆:ジャーナリスト 高世仁】

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